お知らせ

 

 

私達は憲法によって言論の自由が守られているので、

食や健康等の問題を主張する事ができます。

 

 

 

 

元々憲法改正賛成派だった人の解説です。

 

 

 

 

谷本議員と一緒に飛行機を降ろされたもう一人の人物・高橋清隆氏について

 

 

 

谷本議員らがノーマスクで強制降機! 釧路空港のエアドゥ機、「憲法違反を公然と行う航空各社への行政指導を国交省に求める」

 

 

一緒に飛行機を降ろされた反ジャーナリスト高橋清隆氏による、谷本誠一議員のインタビュー動画です。

 

 

 

 

 

身近な人が被害に合った時の為に

とりあえずブックマークをお願いします。

 

 

 

 

 

 

月別:2016年11月
ホームPage 3 / 3123
正月に太る原因は糖質です。おせち料理に使用される砂糖は約1kg

 

「和食は素材の味を生かした料理」・・・等と言われています。

 

 

しかし、ハッキリ言って、和食は「素材の味」ではなく、「調味料の味」です。特に、「砂糖」や「みりん」といった、甘味料の量が多すぎます。

 

 

今回は、その和食の中でも、最も糖質が多く味付けの濃い「おせち料理」に焦点を当ててお話したいと思います。

 

 

ちなみに、人が太る原因は「糖質」です。

 

 

スポンサーリンク

 

 

お重の砂糖は1kg

 

まず「和食はヘルシーだ」と思っている人の目を覚ます、強烈な記事をご紹介します。

 

これによると、おせち料理に使われる砂糖の量は約1kgだそうです。

 

 

『独立行政法人 農畜産業振興機構 おせち料理と砂糖』より引用

 

 

 おせち料理は、お重の前に祝肴をいただき、初の重、二の重、三の重、与の重と続きます。

 

 

祝い肴には田作り、数の子、黒豆をいただきます。田作りには五穀豊穣、数の子には子孫繁栄、黒豆には豆々しく元気を意味しており縁起をかついだ料理です。

 

 

初の重には紅白かまぼこ、伊達巻、梅花かん・牛乳かん、栗きんとん、きんかんの甘煮、たたきごぼうを詰めます。初の重には甘味のものが多いのでほかの濃い味の料理をすっきりさせてくれます。

 

 

二の重には冷めてもおいしい焼き物として鶏肉のみそ松風焼き、さわらの西京焼き、小鯛の南蛮漬け、いかのウニ焼き、あんずの甘煮を詰めます。

 

 

三の重には煮物を詰めます。富貴寄せのように縁起のよい切り方をした材料を各々煮て合わせる方法と大切りにした野菜を煮えにくい順に鍋に加えて一緒に煮しめていくお煮しめの方法があります。お煮しめは素朴な煮物ですが、家族が仲良く一緒に結ばれるようにという祝いの心がこめられているのです。

 

 

与の重には酢の物を詰めます。ナマコの粕漬け、ヒラメの昆布巻き、新巻鮭のかぶ巻き、さらに、なます、炒めなます、菊花かぶなど生野菜を取るようにします。

 

 

このように4つのお重に詰められた食品や調理をみると、栄養バランスだけでなく、甘・辛・酸など味のバランスも良いということに気づきます。改めておせち料理が素晴らしい日本の伝統的食文化であることに驚かされます。

 

 

以下の部分に注目して下さい。

 

 

>このように4つのお重に詰められた食品や調理をみると、栄養バランスだけでなく、甘・辛・酸など味のバランスも良いということに気づきます。改めておせち料理が素晴らしい日本の伝統的食文化であることに驚かされます。

 

 

・・・だそうです。

 

 

では、「栄養バランス」がどのように良いのか、その内訳を見てみましょう。

 

 

おせち料理に使われる砂糖の量は?

 

おせち料理で砂糖を使わない料理はありません。

 

おせち料理のレシピより、砂糖の使用量をみてみると、田作り30g、黒豆150g、伊達巻30g、梅花かん・牛乳かん200g、栗きんとん200g、きんかんの甘煮60g、たたきごぼう20g、鶏肉のみそ松風焼き15g、小鯛の南蛮漬け60g、あんずの甘煮50g、富貴寄せ50g、新巻鮭のかぶ巻き15g、なます40g、炒めなます40g、菊花かぶ15gと合計約1000gの砂糖が使用されています。

 

これでも昔のおせち料理のレシピに比べると砂糖の量は少なくなっていますが、1年のうちで最も砂糖を利用しているといえるでしょう。

 

 

これを「栄養バランスが良い」と言うそうです・・・凄い感覚です。

 

 

どこからどう見ても糖質過多でしょう。

 

 

ここまで多いと、健康面だけではなく、味にも問題がでてきます。

 

 

和食が好きな人でも「おせち料理は美味しくない」という人は結構いますが、これだけ甘かったら美味しくないのも無理はありません。

 

というか、不味いと思うのが正常な感覚です。

 

 

一応、上に示された1kgは、あくまで重箱の中に入った料理の砂糖です。

 

 

店で買ったのならともかく、家庭で作った場合、お重の中に入りきらなかった料理が、タッパーの中にあったりしますから、総使用量は、これより多いと思った方がいいでしょう。

 

 

おせち料理を作った事がある人は、この話を聞いても驚かないかもしれませんが、作られた事がない人は、砂糖1kgという数字は信じられないかもしれません。

 

 

なので、「黒豆」を例に、一品にどれくらい砂糖を使っているのか見てみましょう。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

甘い黒豆に含まれている砂糖の量

 

 

先に紹介した記事では、黒豆に対して砂糖150g・・・と、控えめになっていますが、現実はこんなもんじゃありません。

 

 

 

豆と砂糖の割合に注目したら、いかにとんでもない量の砂糖を使っているのかが分かります。

 

 

以下のサイトに「黒豆のレシピ」がたくさん載っているので、「豆に対して、砂糖をどれぐらい使っているか」をまとめてみました。

 

 

cook-list

 

・黒豆 … 250g
・砂糖 … 250g

 

 

・黒豆 (乾) カップ1(150g)
・砂糖 大さじ4+大さじ4

 

 

・黒豆 (乾)300g
・砂糖   600g

 

 

・黒豆 (乾)カップ2(約300g)
・白ざらめカップ2~2+1/2

 

 

・黒豆…200g
・砂糖…200g

 

 

・黒豆 (乾)300g
・グラニュー糖カップ2+1/2

 

 

・黒豆…1袋(250g)
・砂糖…180~200g

 

 

 

お菓子か。「黒豆」ではなく「黒飴」です。

 

 

比較として、以下のサイトで「ケーキの砂糖の量」を見てみましたが、こちらのケーキがかわいく見えます。

 

買うよりも手作りでしょ! ショートケーキのレシピまとめ

 

 

ちなみに、1カップとは200mlで、大さじ1は15gです。料理人によって割合は様々ですが、黒豆はどれも砂糖を多く使っています。

 

というか、このぐらい使わないとあの黒豆の味はでないのです。

 

よく料理自慢の人が「甘さ控えめ」と言って、黒豆を食べさせてくれるのですが、「甘さ控えめと」いうのは大嘘です。

 

悪いですが、大して控えていません。

 

何故そう言いきれるのかと言うと、私も作っていたからです。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

本当に甘さ控えめの黒豆を作ったら大失敗

 

これは始めて黒豆を作った時の話です。

 

計量器で砂糖を測ろうとレシピ本を開いた時、あまりの砂糖の量に我が目を疑いました。

 

確か黒豆が300gに対し、砂糖が250gだったと思います。

 

「この本が間違っているのかもしれない」と思って、クックパッドや他の本で確認したのですが、砂糖の量はどれも似たり寄ったり...。

 

信じられませんでしたが、「黒豆には砂糖をこれだけ入れろ」と、レシピが言っているのです。

 

当時は糖質制限はしていなかったので、今程「糖質の害」の知識はありませんでしたが、さすがにこの量の砂糖はヤバイと思いました。

 

でも、「書いてあるからやるしかない」と思って、計量を始めました。

 

ボールに砂糖を入れても入れても250gに到達しません。

 

一時期、ケーキ屋に勤めていたので、250g程度の砂糖の計量は見慣れていましたが、お菓子ではなく、料理に使うという認識なので、とんでもない量に感じました。

 

砂糖が250gに達した時、ボールの中は砂糖山盛りで、それを見て恐ろしくなりました。

 

いや、やっぱりこれはないだろう...。

 

そう思って、100g程、砂糖の袋に返しました。それでも150gもあるので、多い気がします。

 

 

しかし、レシピ本からすると、少ないわけす。また考えます。

 

ここまで減らしたら不味いかな...。

 

今度は少し増やして200gにしてみます。レシピよりは少ないですが、200という数字がヤバイわけです。

 

いや、もうちょっと減らした方が...。

 

 

 

・・・このような感じで、計量を始めてから15分ぐらい、砂糖をボールに入れたり、戻したりして散々悩みました。

 

 

最終的に、黒豆300gに対して、砂糖は150gにしました。豆に対して砂糖半分で落ち着いたわけです。

 

 

すると、どうなったと思いますか?

 

 

とんでもなく不味い黒豆になりました。一応言っておきますが、砂糖の量以外は何もいじっていません。

 

 

150gも砂糖を使っているわけですが、甘さを感じないのです。

 

ではないですが、「黒豆=甘い」と、脳にインプットされているので、そのイメージの甘さに達しないと、甘さを感じないのです。

 

砂糖を控えた黒豆は完全に別の料理でした。

 

おそらく、おせちの黒豆を食べた事のない外国人に、「普通の豆料理」として食べさせたら、そんなに不味くはないと思いますが、日本人の感覚で「黒豆だ」と思って食べると不味いです。

 

砂糖をたった100g減らしただけでこのザマです。本当に甘さ控えめにしたらこうなります。

 

「黒豆の美味しさ」というのは砂糖の味なのです。

 

だから、「甘さ控えめ」と言われた黒豆を食べて、もし美味しかったら、それは砂糖を大して控えていないということです。

 

で、この話には続きがあります。

 

「黒豆は砂糖を減らしたらいけない」という事を学習した私は、翌年、砂糖の代わりに人口甘味料を使いました。「人工甘味料なら糖質0だから」と、250g投入しました。

 

 

で、どうなったかと言うと、

 

今度は、甘すぎて不味い。

 

 

舌にしつこく残る甘さです。

 

それもそのはず、人工甘味料の甘さは砂糖の数倍です。その事を知らなかった私は、砂糖の数倍の甘さをもつ人工甘味料を250g投入しました。

 

一応言っておくと、人工甘味料は甘すぎる事も問題ですが、健康上よろしくないので、この方法はオススメしません。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

室町時代の黒豆

 

「昔のおせち料理の方が砂糖が多かった」という意見がある一方で、こんな話もあります。

 

砂糖をたくさん使う黒豆ですが、以下の説によると、昔は砂糖を使っていなかったみたいです。

 

ということは、今と全く違う味の料理でしょう。

 

 

『IN YOU 糖質オフ!混ぜるだけで簡単おいしい「黒豆でつくる和フムス」の作り方【ヴィーガン・レシピ】』より引用

 

実はおせち料理として黒豆を食べる習慣は古くからあり、室町時代に食べられていた「座禅豆」という料理が起源と言われています。

 

当時は砂糖がなかなか手に入らなかったため、黒豆とこんにゃくを一緒に炊き合わせていたそうです。

 

室町時代には砂糖が手に入らないという理由で入れていなかったわけですが、砂糖を使わない調理法は健康のことを考えると理に適っていますね。砂糖が簡単に手に入る現代でも見習いたいところ。

 

 

 

 

(追記)昭和のおせち料理も甘くなかった

 

 

昭和の初めは砂糖が貴重だったそうで、和食でも今のように砂糖は使われていなかったという意見もありますので紹介します。

 

 

『失われし食と日本人の尊厳 / 著者:弓田亨』より引用

 

 

《以前は料理と砂糖の間には一線があった》

 

私が子供の頃、日々の家庭料理にはほとんど砂糖は入っておらず、甘くありませんでした。

 

正月の料理にも黒豆ときんとん以外は砂糖は加えられていなかったと思います。

 

戦後それほど経っていない頃だったので、砂糖はまだ貴重品でした。

 

お歳暮には上白糖がよく使われましたが、もらっても使わずに、それをそのままよその家にお歳暮として回すことも多々ありました。

 

甘いお菓子といえば、本当にたまのまんじゅうくらいだったので、甘いものに対する憧れが誰にでもありました。

 

合津では法事で、干しだら(棒鱈)をたっぷりの砂糖で煮た「甘露煮」が必ず作られました。多くの人が集まる折りに、わざわざ遠いところから来て頂いた感謝の意味で、甘いものをふるまうことが最上のもてなしだったのでしょう。

 

(277p~278p)

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

(追記)砂糖を控えたおせち料理

 

 

「砂糖の量を減らした黒豆を作ったら不味かった」というお話をしましたが、同じような事を、弓田氏がされていましたので紹介します。

 

手の掛け方は、私のような素人と違い徹底していますが、それでも砂糖抜きだと美味しくできないようです。

 

 

『失われし食と日本人の尊厳 / 著者:弓田亨』より引用

 

 

糖尿病の家族をかかえる家庭でも、そして病院の病人食であっても味わいの乏しい薄ら甘いだけの食事が出てきます。

 

特に正月のおせち料理は砂糖の固まりのように甘く、わざわざ「正月太り比べ」のために作られたかのようです。すべてがどぎつい甘さに漬かり、すべてが不自然なのです。

 

この様な料理が体を傷つけないわけがありません。

 

そうだ、私が子供の頃そうであったように、砂糖を少しも使わない料理を作ろう。まず初めにおせち料理から作り直そう、そう思いました。

 

フランス菓子・料理教室長である椎名との試作が始まりました。

 

彼女は短大の家政科を卒業後、日本料理教室の助手などをし、当時高名な先生の講習会にたびたび参加するなど、和食にはかなりの経験と知識がある頼れるパートナーであり、彼女と共に考えていけば、砂糖なしの料理もきっと確立できると考えていました。

 

まずそれまで椎名が作ってきた、砂糖をたっぷり使った料理から、とりあえず砂糖を完全に抜き、鰹節を多めにして、濃い目の一番出汁を作りました。しかし私の舌が納得する味が出ません。

 

次は鰹節にさば節を加え出汁を取りました。でも駄目です。

 

下茹でする時にも野菜の旨味を逃さないようにできるだけ、ヒタヒタの水で煮るなど気を配りました。筍などの切り方を変えたり、煮方を変えたり様々のことをしました。

 

また鶏肉も地鶏のしっかりした味のものを探しました。

 

昆布巻きの昆布もいくつかの産地のものを使ってみました。

 

でもどんなに工夫をしても、砂糖を抜いてしまうとまったく味が成り立たないのです。

 

私はパティスリーを開店した当初から、正月は必ず会津の雑煮を作り、皆に食べてもらっていました。少しの飾り気もない、鶏肉と大根と里芋の本当に朴訥な味わいの田舎雑煮でした。

 

初めの頃は皆喜んで食べてくれましたし、確かにとてもおいしかった。

 

前述のりんごやいちじくでの経験から4、5年後の頃からだと思いますが、少しもおいしくなくなっていったのです。どうもおかしいと思いながら、毎年少しずつ工夫しますが、次第に以前の味わいはさらに消えていきました。

 

この新たな試作でいくつかの違う方法をとり入れて作りましたが、まったく駄目でした。身も心も完全に打ち砕かれた第1回目の試作でした。

 

正月も過ぎるともう何の気力も残っていません。おせち料理の試作はここで一旦中断となりました。

 

後日談ですが、椎名は本当は仕方なく付き合っていたようです。

 

「どうして砂糖を使ってはいけないんだ。必要だから今の今まで日本では料理に砂糖を加えてきたんだ。こんな試作に何の意味があるんだ」と考えていたようです。

 

それは無理もありません。今まで自分がずっと慣れ親しみ生きてきた世界を、私に完全に否定されるのですから。

 

(286p~287p)

 

 

 

「和食は素材の味を生かした料理」と言われていますが、

 

調味料を抜いて、素材の味を生かしたら味が成り立たなくなるのです。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

砂糖以外の糖質

 

 

砂糖の話をしたので、付け加えておかなければならない事があります。

 

おせち料理の重箱に、砂糖を約1kg使う事にショックを受けられたかもしれません。

 

そして、美味しい黒豆を作るには、黒豆と同じぐらいの重さの砂糖が必要な事にも驚かれたかもしれません。

 

しかし、加えられている「砂糖」だけにビックリしないで欲しいのです。

 

それは糖質の氷山の一角に過ぎないからです。

 

糖質は砂糖だけではなく、普段食べている穀物や野菜、果物にも大量に含まれています。

 

 

だから、「砂糖の害」を語るなら、「砂糖を含めた糖質の害」を語る必要があります。

 

 

私は現在、糖質量1日10g以下の糖質制限をしているのですが、それ以前は、多い時、一日で約230g~260gもの糖質を摂っていました。

 

ご飯や野菜、間食の糖質量を測ったらこの数字になります。つまり4日で砂糖約一袋、1kgです。

 

 

 

ここまでではなくとも、糖質の多い和食を好まれる方は、一日糖質150g~200gは普通に摂られていると思います。

 

 

で、大事なのはここです。

 

「砂糖から260gの糖質を摂る」のと、「ご飯や野菜から糖質260g摂る」のは、姿が違うだけで本質的には全く一緒です

 

砂糖だけが悪者ではありません。

 

だから砂糖などの調味料を控えれば万事解決・・・ではないのです。

 

味を薄くしても、穀物や野菜の食材には元々多くの糖質がある事を忘れないで下さい。

 

そして、穀物や野菜が中心になりがちな和食は糖質過多になる食事です。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

糖質の多い食事

 

 

ここからは、和食のような「糖質の多い食事」を摂る事による、健康上の問題についてお話します。

 

正月に太ることとも関係があります。

 

私は以前、「和食のどこが素材を生かした料理なんだ」という記事を書きました。

 

和食は素材の味を生かした料理だという嘘と、日本人が不健康な白米を止められないワケ

 

 

日本人は「ご飯を中心におかずを食べる」というスタイルの食事をします。だから、そのおかずも、味は濃く、ご飯に合うように設計されています。

 

おせち料理は極端ですが、普段食べている和食も、かなり調味料が使われているので、これらを食べている人は糖質を過剰摂取している事になります。

 

 

ご飯の糖質 + おかず(素材の糖質+調味料の糖質)

 

 

でも、多くの人は「糖質の害」を過小評価しているので、それだけの糖質を摂っても、「何も問題が起きていない」と錯覚しています。

 

しかし、ハッキリ言って、糖質は慢性疾患の原因になります。

 

糖質の多い和食を食べている人がそれに気が付いていない・・・のは問題です。

 

誤解のないように言っておくと、私は「日本の料理が、他の国の料理に比べて悪い」と言いたいのではありません。

 

世界は広いので、和食以外にも、「調味料たっぷりの外国料理」はあるでしょう。

 

 

私が言いたいのは、「和食は調味料たっぷりで糖質過多なのにも関わらず、「ヘルシー」と定義付けられるのは、問題ではないのか」という事です。

 

 

その概念により、多くの人が、問題大ありの和食を「ヘルシー」だと思って食べています。人によっては健康の為に、あえて和食を意識して作るのではないでしょうか。

 

 

和食を食べると、ご飯や根菜を多く摂ってしまうので、かなり血糖値が上がります。ヘルシーとは程遠いのです。

 

 

次は糖質で不健康になる根拠を紹介します。

 

 

スポンサーリンク

 

疾患と糖質の関係

 

 

私は糖質の過剰摂取で体を弱らせてしまったので、「糖質の害をもっと多くの人に認識してもらいたい」と思っています。

 

 

 

そこで、「糖質を摂りすぎると、何が悪いのか、どうなるのか」について、具体例を挙げておきます。

 

 

 

 

 

糖質は肥満の原因になる

 

 

【脂質+タンパク質】は良くて【糖質+脂質+タンパク質】が良くない理由

 

経験上、脂質は悪くない。太った原因はただの勘違いだった

 

本当は怖いいくら甘い物を食べても太らない体質と、後で払う肥満以上の大きな代償

 

 

 

 

糖質はタンパク質と結びついて細胞を劣化させる

 

 

糖質は余ると、体のタンパク質と結びついて「糖化反応」します。糖化によって体は細胞レベルで弱っていきます。

 

糖化反応(メイラード反応)について分かりやすく説明してみた

 

 

 

胃が糖化すると、肉や脂が食べられなくなります。

 

肉を食べると胃が気持ち悪くなるが、野菜や穀物や甘い物はいくらでも食べられる理由とは

 

 

 

 

 

糖質は癌の原因になる

 

 

 

糖質は細胞が癌化する原因にもなります。癌家系の方は以下の記事に目を通しておいた方がいいかもしれません。

 

 

余命わずかの末期癌患者が退院できたのは病院での栄養療法のおかげだった!

 

癌細胞と癌家系について分かりやすく説明してみた

 

【注意】癌の本質を理解していないと症状が悪化する治療法を選択します

 

 

 

 

糖質は高血圧の原因になる

 

 

糖質は「血糖値」だけではなく「血圧」も上げます。

 

血圧と、本態性高血圧の原因について分かりやすく説明してみた

 

 

 

 

糖質は動脈硬化の原因になる

 

 

動脈硬化はコレステロールが悪いかのように語られていますが、元を辿ると糖質が原因です。

 

 

動脈硬化は悪玉コレステロールではなく、動脈壁の劣化が原因だった

 

動脈硬化を改善・予防する方法を分かりやすく説明してみた

 

 

 

 

 

 

 

糖質は太る原因になりますが、それは、糖質による影響の一つに過ぎないのです。

 

 

タバコやお酒は、「摂りすぎるとどうなるか」リスクを知った上で嗜んでいます。

 

 

同じように、糖質も、健康を損ねる事を知った上で、それを食べるかどうか決めれば良いのです。

 

 

しかし、糖質の危険性は軽んじられています。知らなければ警戒もしません。

 

 

スポンサーリンク

 

 

おせちはヘルシーではない

 

 

「おせち料理」を含め、日本料理は意外にヘルシーではない事が、分かっていただけたのではないかと思います。

 

特に男性は、「作って出された料理」を食べる事が多いので、その料理の中にどれだけの調味料が使われているか、どんな栄養が含まれているのか、ピンと来ないと思います。

 

ですが、「自分が食べている物の中に何が入っているのか」、また「それを食べる事でどうなるのか」を把握する事はとても重要なのです。

 

 

「おせち料理なんてたまにしか食べないんだから、そんなに目くじら立てなくてもいいだろう」・・・と思われたかもしれませんが、「お祝いだから」と、ここまで甘い料理を作って食べてしまう感覚が問題なのです。

 

 

特別な日に、このような異常な感覚が炸裂しただけの話で、普段から濃い味を好む背景があるという事です。

 

 

味を楽しむなら良いですが、間違ってもこのような食事を「ヘルシー」だと言ってはいけません。

 

「糖質の害」を無視して、おせち料理のお重を「栄養バランスが良い」・・・等と考えているようでは、不健康になります。

 

 

(追記)糖質を食べている人が気を付けた方が良い事

 

 

お正月は、おせち料理だけでなく、お餅や、お寿司・・・等、糖質を摂る事が多いので健康には良くありません。

 

年末から暴飲暴食が続く人は特にです。

 

健康の為には糖質を制限する事が好ましいのですが、楽しいイベント事を全て拒否するわけにもいきません。

 

 

そこで、糖質を避けられない方の為に対処法を紹介します。

 

ベジタリアンや糖質を止められない人が、健康の為に摂っておきたい栄養素とは

 

 

元々この記事は、ベジタリアンの方や、食事制限が出来ない方の為に書いたのですが、普段食事を制限している方も不摂生をした時に使える知識なので、よかったら読んでみて下さい。

 

 

スポンサーリンク

 

トマト缶を使ったレシピは多いのにトマトパックは売れ残る。安全な商品の需要について考えてみた

 

だいぶ前に、「専門家が食べない七つの食品」“7 Foods the Experts Won’t Eat” という記事を読みました。

 

その中では以下の食品が危険な食品として挙げられていました。

 

 

●トマト缶

●洋食サーモン

●トウモロコシを食べて育った牛

●電子レンジで作るポップコーン

●有機栽培でないじゃがいも

●成長ホルモンを与えられた牛の牛乳

●オーガニックでないリンゴ

 

 

 

このうちの「トマト缶」について考えてみたいと思います。

 

 

スポンサーリンク

 

 

トマト缶 VS トマト紙パック

 

 

 

「トマト缶」が危険な理由ですが、「トマト缶」の内側に塗られている樹脂加工が、トマトの酸によって溶け出すからです。

 

それが、「成長ホルモン」や「生殖ホルモン」に影響を与えるそうです。

 

缶詰は色々ありますが、「トマト缶」が危険なのは、トマトのが強いからです。

 

 

 

以前、「トマト缶」が危険だと知った私は、さっそくその後から、缶を止めて紙パックタイプの商品を購入することにしました(※まだ糖質制限をしていない頃です)。

 

ちょうど、地元のスーパーでも「トマトパック」の取り扱いが増えていた時だったのでよかったのですが、わずか半年で、売り場面積が縮小され、今では「トマト缶」だけになってしまいました。

 

「トマトパック」の取り扱いを完全に無くした店では、「トマト缶」の方はいつも減っていたのに、「トマトパック」の方はいつ見ても残っていました。

 

まだ「トマトパック」を扱っているお店もありますが、以前に比べ置いている数が減りました。

 

つまり、「トマトパック」ではなく、「トマト缶」を選ぶ人がほとんどだということです。

 

何故、わざわざ危険な物を選ぶのか不思議でしたが、賞味期限を見てわかりました。缶の方が圧倒的に保存期間が長いのです。紙パックの方は数ヶ月です。

 

そして、私がスーパーで見た限りでは、通常は値段は紙パックが高めです。これも好まれない理由の一つでしょう。

 

 

しかし、私が良く買っていた店では、缶とパックの値段はそんなに変わりませんでした。少し紙が高いですが、大した差ではありません。なので、値段ではなく、やはり保存期間が短いのが不人気の原因なのかなと思いました。

 

保存期間を重視するということは、「便利さ」を重視するという事です。それとも、「トマト缶」が危険だと知らない人が多いのか...

 

とにかく、安全な「トマトパック」に需要がなかったのは事実です。

 

 

他の地域はわからないですが、もし他の地域もこのような状況だったら、やがて生産打ち切りになってしまうのではないかと危惧しています。

 

 

 

なお、このブログでは、「一つの事象に、専門家の意見が真っ二つに割れる事がある」事を、度々指摘してきましたが、この「トマト缶」も、ご多分にもれず、やっぱり意見が割れていました。

 

缶詰に使用のビスフェノールA フランスで禁止も健康リスク皆無と発表

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

糖質0麺もやがて消えるのか

 

 

安全な物が消えるのは、「トマトパック」に限った話ではありません。糖質の少ない商品も売れ残る傾向にあります。

 

私は糖質制限をしているので、最近「糖質0の麺」が普通のスーパーでも安く手に入るようになって喜んでいたのですが、「トマト缶」の時と同じような現象が起きています。どんどん売り場面積が少なくなるので、やがて消えてしまうのではないかと思っています。

 

 

ハッキリ言って、「糖質0の麺」は、従来の炭水化物の麺に比べると美味しくありません。普通の麺を食べている人からすると不味いでしょう(すみません・・・)。

 

 

しかし、糖質制限をしている人からすると、新鮮です。食の幅が広がります。

 

 

糖質制限をする事で、「甘いものが食べたい」という欲求は次第になくなっていくので、未練もなくなります。

 

しかし、唯一未練があるのは、食材の食感です。タンパク質、脂質は食感がいまいちです。

 

 

野菜のシャキシャキ感とか、

スナックをかじった時のサクサク感

麺類を食べた時の喉越しなど、

 

 

食べる時の食感は、食の楽しみに貢献していると思います。この食感だけは、どう頑張っても動物性の食材では出せません。

 

なので、多少不味くても、たまに違った食感のものが食べたいと思った時に、そういう選択肢があるだけで、食事が楽しくなります。

 

現在実践している人はもちろん、これから糖質制限に参入する人にとっても、食べられるものが少ないより、食べられるものが多い方が楽しいはずです。

 

 

でも、売れ残っているのをよく見かけます。

 

需要がない・・・

 

流行っているように見えて、糖質を制限する人は、少ないのだなと実感します。

 

 

そういう安全なものが消えていくと、ますます、「糖質制限をすると食べるものがない」と言って、挑戦するハードルが高くなります。

 

そして、糖質制限をする人が少なくなれば、関連商品は益々減っていきます。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

安全なものは消えやすい

 

 

安全な物が、どこのスーパーでも普通に買えるようになって欲しいですが、需要が増えないと話になりません。その為には、「安全に気を配る人」の増加が不可欠です。でも、

 

 

危険なものでもちょっとくらいなら大丈夫、毎日食べるわけじゃないし

 

今はそんなの気にしない

 

 

・・・こう考える人は多いです。安全にばかり気を配っても、今すぐ健康になるわけではありません。だから気をつけることに意味がないように感じられるかもしれません。

 

しかし、その積み重ねがないと、安全な物が手に入る社会は築けません。

 

これは食品に限った話ではありません。

 

 

(追記)

例えば今、白熱球に替わり、LEDが普及していますが、LEDの発するブルーライトは、人間の健康に悪影響を及ぼします。

 

LEDの安全性は疑わしい。ブルーライトで目の奥や頭が痛くなる理由

 

肌の対策まで必要?ブルーライトの生体への影響は深刻だった

 

白熱球が姿を消すのは時間の問題です。

 

 

しかし、「危険なものは避けたい」と少人数が思ったところで、他の大多数の人間がその危険なものを選択すれば、危険なものの需要が増え、売れ残った良質なものが消えていきます。

 

 

そうなってしまうと「危険なものを避けようと思った人」でも、事実上、それを避けることは出来なくなります。選択肢そのものがなくなるからです。

 

 

(追記)事実、そうなりつつあります。

 

草食系男子が増える原因は、価値観の変化でも女性の強さでもなく、生殖能力に影響を与える環境である

 

安心・安全が大好きな日本!でも何故か「健康を損ねる物質」への規制だけは甘い

 

 

私はそんな細かい事は一生気にしないからいい

 

そう思う人もいるかもしれません。

 

今そう思ったとしても、病気になったり、子供が出来たりすれば、安全な物を選択しなければいけない時が来るかもしれません。そうなった時に、安全な道が残されていなかったら、恐い事だと思いませんか。

 

 

安全な物は残さないといけないのです。

 

 

スポンサーリンク

 

和食は素材の味を生かした料理だという嘘と、日本人が不健康な白米を止められないワケ

 

米に含まれる「糖質」は、あらゆる慢性疾患を引き起こします。

 

近年一般的になってきた「糖質制限」は、ダイエットのイメージが強いですが、最大のメリットは、これらの疾患を防げることにあります。

 

穀物、野菜、果物、お菓子・・・植物性食品は糖質が多く含まれているので、減らした方がいいのですが、この中で最も止めるのを嫌がれるのがです。

 

 

米が止められなくて、糖質制限が出来ない人は多いのです。最初から米を制限する気がない人もいますが、健康の為に米を止めたいという気持ちはあるけど、止められない人もいます。

 

 

何故だと思います?

 

 

「日本人だから」でしょうか? それとも、「人間の体には糖質が必要だから」でしょうか?

 

どちらも違います。このような思い込みは、洗脳によるものです。

 

 

何故なら、米が大好きなのは、アジア圏の人達も同じです。日本人だけが特別米を好きなわけではありません。

 

人間の体には確かに一定の糖質が必要ですが、体には「糖新生」という糖を作り出すシステムが備わっているので、本来、食事から糖質を摂らなくても大丈夫なのです。

 

 

実は、米が止められない本当の理由は、「米が美味しいから」です。

 

「日本人だから・・・」とか、「体に必要だから・・・」というのは、説明したとおり、何の根拠もないただの後付です。食べたいから、食べるべき理由をつけているだけです。

 

 

ここで、もう少し踏み込んで考えてみましょう。

 

 

糖質で美味しいものは、他にいくらでもありますよね。何故、米なのでしょうか?

 

 

麺類も、パンも、甘い物も、他のものは止められるけど、米だけは止められない・・・

 

 

その原因をハッキリ言います。

 

 

 

 

 

おかずのせい、

 

もっと言えば、和食の調理法のせいです。

 

 

 

元・白米好きの私が、日本人が白米が止められない原因と、白米から離れる秘訣をお話します。

 

 

スポンサーリンク

 

 

純粋にご飯が好きなわけではない

 

ご飯が好きな人でも、ご飯だけを食べる人は、そんなにいないと思います。

 

ここがポイントです。

 

いわゆる「ご飯好き」というのは、純粋にご飯が好きなのではなく、「ご飯とおかずのセット」が好きなのです。おかずを、ほんのりした甘みで中和した味が好きなのを、「ご飯が好きだ」と勘違いしているだけです。

 

 

セットが好きなのを「ご飯が好き」と勘違いしている状態ですから、米を止める為には、「おかず」の味付けを見直す必要があります。

 

日本人が米を止められないのは、おかずの味付けがすぎるからです。

 

 

和食に対する勘違い

 

 

「おかずの味が濃い」

 

こう言うと...

 

 

「え? うちは味付け薄いよ。素材の味を生かした和食が中心だしね。」

 

 

と思う人が必ず出てくると思います。

 

しかし、その和食自体が、本当に「素材の味を生かした味」なのかを考えて欲しいのです。

 

「和食は素材を生かした味付け」と散々言われているので、みんなそう信じきって、和食を作り、食べていると思いますが、

 

 

ハッキリ言って、和食の大半は、素材の味を生かした料理ではなく、素材の味を一旦消して、味を上塗りする調理法で成り立っています。

 

会席料理は味付けが薄いのかもしれませんが、日常的に日本人が食べているほとんどの和食は、素材を生かした料理とは言えません。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

調味料の減り方が半端ない和食

 

 

私は基本的に和食よりも、インド料理、中華料理、その他アジア料理を好みます。従って、和食を作る回数は、他の人よりも圧倒的に少ないです。

 

特にアジアの家庭料理が好きで、レシピ本や、youtubeをお手本に作ります。

 

で、私は料理があまり得意ではないので、きっちりレシピ通りに料理を作るタイプです。

 

それで気が付いたのですが、アジア料理の場合、家庭料理であれば、レシピ通りに作っても、味は濃くなりません。香りが強いとか、脂が多くてこってりすることはありますが、「味付け」は、日本の料理に比べると薄いです。

 

日本人が「外国の料理のレシピ」を作った場合はそういうことはないのですが、「外国人が作ったレシピ」は味が薄い傾向があります。なんというか、薄くてご飯に合わないのです。

 

 

そんな私ですが、一時期、ある和食料理人のレシピ本にハマって、珍しく毎日和食を作っていた時期がありました。

 

日本料理人が考えた家庭料理の本です。

 

そのレシピ通りに作ると、味は最高に美味いのですが、砂糖がメチャクチャ減ります。

 

砂糖に限らず、醤油や酒等、他の調味料もかなり減ります。こんなに使わなきゃいけないの?とは思うのですが、プロの料理人が考えたレシピですから適当ではないはずです。真似をすると美味ですが、やっぱり調味料が気になります。

 

しかし、これは彼の考えたレシピに限った話ではありません。

 

女性向け雑誌に載っていたレシピや、料理研究家の考案したレシピ、クックパッドにいたるまで、とにかく和食を作ると調味料の減りが異常に早い事に気が付きました。

 

 

私が外国料理にハマッたのは、薄味で、香辛料が多いからです。その私にとって、和食は調味料を使いすぎ、味にパンチがあると感じました。日本料理が濃いというのは薄々感じていましたが、自分で料理を作ることで確信しました。

 

 

言うまでもありませんが、調味料が減るという事は、それだけ素材に、味が添加されているという事です。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

和食は調味料漬け

 

 

冷静に考えると、和食は下茹でしたり、水にさらしたりするので、アクは逃げますが、それによって、素材の味も逃げていきます。そして、味の無くなったところに、大量の調味料を加える調理法です。

 

「これのどこが素材を生かした味なんだろう」と思いました。

 

そういう目で和食を見ると、実生活の知り合いの料理でも、テレビで紹介される料理でも、とにかく調味料の味が前面に出たような料理が目につきます。

 

 

「下処理をするから、大量の味付けが必要」なのか、

 

「大量の味付けをするから、全体の味をまとめる為に、下処理をして素材から余計な味を抜く必要がある」のか

 

 

・・・は、わかりませんが、素材本来の味が複雑に交わるような味は、和食からは感じません。

 

和食は、素材の味というより、「肉じゃがの味」「胡麻和えの味」「筑前煮の味」・・と、まとめた味ばかり目立って、素材の味は影に隠れている感じがします。

これは料理自慢の日本人女性の料理や、小料理屋の板前が作った料理に至るまで、あらゆる和食を食べて感じる事です。

 

素材の味は目立たない代わりに、調味料の味は目立つので、どの料理も同じ味がして、飽きてきます。

 

・・・これが、私が和食をあまり好きではない理由です。

 

(※野菜を水にさらしてアクを抜くことで、フィチン酸の害は減りますから、一概に「水にさらしたりするのが悪い」とも言えません。むしろ健康の事を考えればそうした方が良いでしょう。)

 

 

確かに和食には、「素材の味を生かした料理」もあります。焼き魚に、刺身、お吸い物、焼き牡蠣・・・これらは、余計な味を加えずに美味しくいただける素晴らしい料理です。列挙したものは私の好物でもあります。

 

しかしこれらは、毎日食べる食事のうち何%を占めているでしょうか?

 

和食中心だと多くの場合、これら以上に、味をしっかり添加された料理が食卓に並ぶのではないでしょうか。

 

和食は見た目が綺麗で「脂が少なくあっさりしている」、「素材を生かした料理だ」と言われているので気付きませんが、実は凄く味付けの濃い料理です。例えば酢の物はあっさりしていますが、そこに使われている砂糖の量に気が付いていない人は多いです。

 

子供の頃からそれに慣れていると、その感覚が標準になりますから、それだけ味が濃くても気が付かないわけです。しかも、「素材の味を生かした料理だ」と洗脳もされているので、濃い味を薄味と勘違いしています。

 

和食に限らず、和食の感覚に慣れた人が、外国の料理を日本風にアレンジすると、やはり味付けが濃くなります。

 

従って、「和食は味が濃い」というより、「日本人が味付けをすると濃くなる」といった方がいいかもしれません。

 

どこの国の料理でも、日本人が作ると「味の濃い料理」になる傾向があります。そして、これこそ「白米が止められない原因」です。

 

 

(追記)和食の感覚に慣れた人が外国料理を日本風にアレンジすると味付けが濃くなるのは、ご飯に合わせる為です。例えば、ハンバーグは柔らかくすることで「ご飯に合う仕様」になりました。

 

つなぎ不要!食べ応えのある食感のハンバーグは低糖質でヘルシー

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

ご飯がないと辛くて食べられないおかず

 

 

味が濃いと、辛いので何かで中和したくなります。

 

そこで登場するのが、ご飯です。

 

 

例えば、ぶり大根、さばの味噌煮・・・

 

あれは旨いですが、お酒もご飯もなしに食べると濃いと思いませんか?なんであそこまで濃い料理を発明したのか...。私はご飯がないと、この料理はキツイです。

 

 

こうして、「ご飯がないと食べられないような濃い味付けの料理」を、作って食べ続ける限りご飯は止められません。これは当たり前です。

 

おかずの味を薄くすればいいのですが、日本人は何故かそれをする人は少ないです。

 

 

おかずの味を薄くしたら、今度はご飯があまり美味しく感じられないから物足りない。だから、おかずの濃さはそのまま・・・。

 

このように、ご飯が止められない原因はおかずにあり、おかすの味付けを薄くできないのはご飯があるからなのです。だからこの2つはセットなのです。

 

 

 

 

ご飯至上主義だった昔

 

 

今でこそ、和食の問題点について語っている私ですが、元からこうだったわけではありません。

 

元々は「ご飯と、ご飯の供さえあれば良い」というくらいご飯が好きでした。麺類だったら、ご飯が食べれなくてガッカリしていた程です。

 

梅干、明太子、納豆、カレー、山芋、刺身、ふりかけ、お茶漬け...

 

今思いつく限りで書きましたが、これらは20歳頃まで、私が最も好きだった食べ物です。見てもらったらわかる通り、これらは全てご飯に合うおかずです。ご飯の共にならないおかずは好きではありませんでした。

 

母親は栄養を考えて料理を作るので、おかずを食べない原因である、梅干、明太子、ふりかけ・・・等のご飯の共を、あまり出してくれませんでした。

 

そのぐらい、昔の私は、「おかず食いの人間」ではなく、「ご飯食いの人間」でした。

 

おかずが不味いのは許せても、ご飯が不味いのは許せないわけです。私はグルメではありませんから、「銘柄」とか、「炊き方」まではうるさく言いません。ですが、釜の底の固くなったところや、冷ご飯の色が変わっているところは食べたくなかったです。

 

とにかく食事は、「白いご飯を食べる事」が大事でした。なので、おかずの好き嫌いは、「ご飯に合うと思うかどうか」で決まっていました。

 

ご飯に合うと思う=美味しいおかず

ご飯に合わないと思う=美味しくないおかず

 

・・・こういう基準です。

 

 

 

人によってご飯の共は様々なので一概には言えませんが、私にとって

 

おでん、筑前煮、肉じゃが、野菜炒め、酢の物、山菜、天ぷら、

 

・・・等の具がゴロゴロした料理は「ご飯とは合わない」と思っていたので、何が美味しいのか分かりませんでした。

 

こういう「おかず単体で食べても美味しい料理」が好きじゃなかったのです。体の為、栄養の為、もったいないからという理由で食べていました。

 

飲食店に行く時も、「白いご飯」を扱っていないお店に行くのは不満でした。中華料理のお店も、ご飯系がチャーハンやお粥しかメニューにない場合は不満です。麻婆豆腐も、白いご飯と食べたいと思っていましたから。

 

このように、昔の私はご飯が中心でした。

 

和食に限らず、洋食や中華料理にいたるまで、全てこの基準で決めていましたから、「ご飯とは無縁の料理」に対する評価は、自然と低くなります。

 

パンやパスタも美味しいですが、やはり「ご飯とセット」で食べる組み合わせじゃないと、食べた気がしません。

 

昔は、「外国の料理って、ご飯に合うおかずが少ないな~」って思っていました。反対に、ご飯に合うおかずが多い日本料理は、世界で一番美味しい料理だと思っていました。

 

 

しかし、この味覚は、20歳くらいから、次第に変わっていきました。

 

キッカケは外国の料理を食べたことです。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

外国の料理

 

 

日本で食べる外国料理は、日本人の味覚に合わせてあります。最近は時代も変わって、本場の味を提供するお店も増えてきましたが、私が子供の頃は、洋食屋にしろ、中華料理屋にしろ、日本人向けの料理でした。

 

そんな事は知らないので、日本向けに作られた味を、「これこそが外国の味だ」と思って、美味しいと思いながら食べていました。

 

ですが、ある時、台湾人女性の作った本場の台湾料理をいただきました。

 

その方は料理上手と評判だったので、凄く期待して食べたのですが、美味しいと思えなかったのです。今食べると評価は違ったと思いますが、その当時の私には、「パンチのない、ぼけたような味」でした。味の主張がないのです。

 

 

「これが料理上手女性の作った料理なのか...と思いました。

 

その場にいたみんなは、「美味しい、美味しい」と言って持ち帰っていたので、「私の味覚が変なのかな」と思いました。

 

それが序章です。

 

 

その感覚は、後に行った台湾旅行でも体験しました。

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

外国の料理に対する不満

 

 

「台湾の料理は美味しい」と聞いていたので期待していたのですが、そこでもやはり、以前台湾の家庭料理を食べた時と同じ体験をしました。

 

一週間のうち、ホテルに泊まる事もあれば、普通の家庭に泊まらせてもらう事もありました。

 

泊めてもらった家のお姑さんが、これまた料理自慢だと聞いて期待していたのですが、やはり、どこか「抜けたような味」というか、「ものたりないボケた味」に感じました。色んな味はいっぱいあるけど、まとまりのない味です。

 

 

なので、同じように「これが料理上手の人の作った味なのか...」と思いました。

 

ですが、そう思ったのは家庭料理だけじゃありませんでした。

 

ツアーではなく、現地に住んでいた事のある人と旅行したので、ガイドブックに載っていないようなお店から、高級な薬膳料理のお店、屋台と、色んな料理を食べました。

 

しかし、そのほとんどの食べ物は、私には美味しいと感じられませんでした。香菜や八角等、それまで、日本の中華料理屋で味わったことのない香りもなかなか慣れませんでした。

 

なにより、白いご飯にありつけなかったというのが最大のストレスでした。

 

食べた気がしないんですよ。

 

おかずがどうこう・・・とか、もはや関係ありません。

 

主食がなかったわけではありません。主食は主食でも、チャーハンとか、お粥とか餃子ではなく、「普通に炊いたご飯を食いたい」と旅行中ずっと思っていたのです。

 

結構良いものを食べたので、今思い返せば実にもったいない話で、もっと味わっておけば良かったと思うのですが、当時の私には、あれを美味しいと感じる味覚がありませんでした。

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

味覚の変化

 

 

旅行中は「味付けのハッキリしたおかずが食べたい」、「香辛料が少ない料理が食べたい」、「白いご飯が食べたい」と思っていたのですが、何日もいると慣れるもので、

 

日本に帰る2日前ころから、異国の香辛料の香りとか、ご飯が無くても食べられる薄味のおかずに、少しずつ慣れていきました。

 

 

それまでは、「日本的な味」しか美味しいと思えませんでしたが、ここから味のキャパシティーが広がった感じです。今思えば、私の香辛料好きはここから始まりました。

 

飛行機に乗る前の最後の昼食は凄く美味しかったのを覚えています。

 

 

こうして、台湾の料理の味に慣れたころ、日本に帰国しました。

 

すると、今度は逆のカルチャーショックが起きたのです。

 

 

日本の料理に対する見方が変わった

 

 

私の周りには、海外旅行から帰国して、和食を食べて「やっぱり日本の料理が美味しい」と言う人は多いのですが、私は違いました。

 

帰って最初の夕食を食べた時の話です。

 

あれほど食べたいと思っていた、「白いご飯」と、「ご飯に合うおかず」が何故かあまり美味しく感じませんでした。香辛料がないことの物足りなさ、余計な味が多くついている気がする違和感、単調な味、食べたものは、それまでと変わらない母の作るバランスの良い食事でしたが、まるで違うもののようでした。

 

味付けが濃いと思いました。

 

受け取る側の感覚の違いでこれほど違って感じるのかというくらい、私の味覚や嗅覚が変わってしまったのです。そして、他のどの料理を食べても同じような感覚になりました。

 

台湾で食べた中華料理が気に入ったため、それまで以上に中華料理が好きになったのですが、その後どこの中華料理を食べても、現地のような香辛料の香りはなく、味付けが濃くて、ご飯に合うような味に改良されているように感じました。

 

その時、それまで食べていた中華料理の味も、実は日本人の口に合わせてある事に気付きました。

そこで、「日本人の作る料理って味付けが濃いな」と思ったのです。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

何故和食は味付けが濃いのか

 

 

「何故日本の料理はこんなに味が濃いのか」と考えました。

 

台湾では、おかずがガッツリあって、白いご飯が無くても、(慣れたら)不満を感じなかったのに、日本に戻ると、おかずだけでご飯がないと食べにくいのです。

 

そこで気付いたのですが、日本では、「白いご飯を美味しく食べる事」に重点を置いています。

 

その為、ご飯をより美味しくする為に、おかずの味を濃くするのだと。

 

それか、濃いおかずが先にあって、それに合わせる為にご飯が重要視された可能性もあります。

 

・・・どっちが先かはわかりませんが、「ご飯」と「おかずの味の濃さ」は無関係ではありません。持ちつ持たれつです。

 

 

 

主食とおかずという概念

 

 

私もそうでしたが、日本人は異常なまでの白米信仰です。

 

以前、料理をご馳走してくれた台湾女性に、「日本人は、ご飯のおかずに餃子を食べたり、ラーメンとご飯を一緒に食べる。炭水化物と炭水化物の組み合わせだから変だ」と言われた事がありました。

 

でも、日本人の感覚からしたら、全然変じゃありません。

 

それは何故か。

 

日本人にとって「餃子」は、ご飯に合う「おかず」なのです。「炭水化物」などという栄養的、理論的な概念はありません。

 

私は小食なので、「ラーメンとご飯」は入りませんが、「餃子をおかずにご飯を食べる」は普通にしていました。

 

 

当時は、「ご飯に合えば、何でもおかずに変身する」と思っていたので、それほど変な事だとは思いませんでした。今程ではないですが、当時もそれなりに栄養に気を使うタイプではありましたが、「ご飯」に対しては甘い認識だったのです。

 

 

もちろん今はそんな事はしません。外食で餃子を食べることがあったとしても、餃子だけです。

 

私も人の事は言えませんが、今でも「ご飯と餃子」の組み合わせをおかしいと思わない人は大勢いると思います。

 

料理に過剰に味をつけたり、炭水化物をおかずに炭水化物を食べるという奇妙な組み合わせを発明するのも、全てご飯を基準に考える白米信仰に根ざしたものです。

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

本当の素材の味とは

 

 

後でわかったのですが、この台湾女性は薄味好みでした。

 

ある時ドレッシングなしでサラダを食べたと聞いてビックリしました。塩も使わないのです。

 

 

私は味が添加されていないサラダは食べれません。

 

 

「よくドレッシングがなくて食べれるな」と思ったのですが、本人は「時々、私、牛?って思う」と言って笑っていました。

 

 

なんというか、味付けがされてなくても、素材の味を堪能できるって、ある意味凄い事です。舌が発達しているようです。

 

 

私も試しにレタスを何も付けずに、そのままかじってみたのですが、何が美味しいのかさっぱりわかりませんでした。

 

 

ていうか、これだけ食えんし・・・。

 

 

 

ドレッシング等の味を付けないと、素材の味を美味しいと感じられない私は、鈍感だといえます。

 

先程、この台湾人女性に料理をご馳走になった時、私には美味しく感じられなかった話をしました。

 

素材の味に敏感な彼女は、薄い味付けで素材の味を生かした料理を作っていたため、素材の味に敏感な人達には美味しく、「添加された味を美味しい」と思い込んでいた私には美味しく思えなかったのです。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

しっかり味をつけている料理を「素材の味だ」と言い張る日本人

 

 

わが家は、母親が健康に気をつけてバランスよく料理を作っていましたが、それでも味付けが濃かったんだと思いました。

 

 

それは家だけの傾向ではなく、他の家庭も同じでした。私の周りは、料理が得意な人が多いので、よその家庭料理を味わう事は多いですが、わが家よりも味はしっかりついています。「うちより薄いな」と思った事はほとんどありません。

 

 

「和食は素材の味を生かした料理だ」と言われています。

 

 

しかし、実態は「ご飯に合うように、素材の味を消して、味をしっかり付けた料理」が和食ではないのかと思うようになりました。

 

2015年に、料理上手な女性に昼食をご馳走になったのですが、すごく美味しい肉料理だったので、何で味付けしたのか聞いたところ、

 

(何だったか覚えていませんが、4種類くらいの調味料で)しっかり漬け込んで焼いただけ、素材の味を生かした

 

と言われました。

 

 

 

・・・・・素材の味を生かした、ですと?

 

 

おかしいと思いませんか?

 

4種類の調味料の味が染み込んだ状態が、どうして素材の味になるのか私には意味がわかりません。

 

 

ご馳走になっている手前、それ素材の味じゃないし・・・等とは、言えませんが、どう考えても調味料の味です。

 

味は美味しいですよ。だから作り方を聞いたわけです。

 

 

 

 

●しっかり味付けしたものを「素材の味を生かした」と、はたして言えるのだろうか。

 

●肉に塩だけみたいなのが、本当の素材の味ではないのか。

 

●どうして料理上手な女性が、こんなおかしな認識をするのか。

 

 

 

言っちゃ悪いですが、日本人は「素材の味を生かす」という言葉の意味を勘違いして使っています。

 

 

味付けしたものが悪いと言っているのではありません。

 

しかし、味をしっかり付けたものが、どう間違えたら「素材の味」として認識されるのかです。そんな嘘はいけないでしょう。早急に正す必要があります。

 

和食は「ヘルシー」と言っている事、味付けの濃いものを薄いと嘘をついている事を「間違っている」と指摘しているのです。

 

体に悪いものを良いと言えば、それを信じて食べた人が病気になりますし、味付けが濃いものを、「素材の味を生かしている」と表現して味付けが薄いように思い込ませれば、いつまでたっても、味付けの濃い料理はそのままです。

 

 

それを食べている限り米が止められないので糖質過多になります。

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

ご飯を止める方法

 

 

和食でも、塩だけふって焼いた魚とか、お吸い物とか、刺身なら、「素材の味」だと思います。

 

しかし、それ以外のほとんどは、「素材の味」とは程遠いと思います。板前が作った料理はわかりませんが、一般の日本人が普通に家庭で食べている和食は調味料たっぷりです。

 

 

その事に気付かなければ、おかずを中和する為に、ご飯が必要になるので、ご飯を止めることは難しいでしょう。

 

「慢性疾患の予防をしたい、でも、ご飯を止めたいけど止められない人」は、先におかずを見直す必要があります。「ご飯がなくても美味しい」と思える味になるまで、調味料を限界まで削ぎ落とした薄味のおかずを作るのです。

 

 

「今食べている料理は味付けが濃い」と認識出来なければ、調味料も減らしませんから、それを分かってもらう為に、「和食は本当に素材の味を生かした料理なのか」について書いてきました。

 

薄い味と思い込んでいるだけで、実際には、ご飯が進むような味付けかもしれません。

 

ちなみに、今私は一日10g以下の糖質制限をしているので、調味料はほとんど使いません。砂糖、みりんは、基本的にNGとしています。酒、醤油、酢は、大匙一杯程度使う事はあります。

 

この条件だと、調味料過多のほとんどの和食は作れません。

 

 

和食を諦める

 

 

年配者には酷かもしれませんが、いっそのこと、和食を諦めるというのも一つの手です。

 

 

私はなるべく調味料に頼らず美味しい和食を作ろうと思いましたが、この状態で、和食を作るのは非常に難しいです。

 

調味料を減らすと、和食は途端に不味くなります。

 

味が決まらないのです。

 

下処理を丁寧にやろうが、良い出汁をとろうがです。

 

これをやってみて初めて、和食がいかに調味料に依存した料理かがわかりました。

 

味付けを濃くしないと美味しく感じられないような料理は大したことがない・・・なんて言ったら怒られるかもしれませんが、食材の味を無視していることは確かでしょう。

 

従って、今私が頻繁に食べる和食といえば、調味料をあまり必要としない、魚の塩焼き、刺身、納豆、豆腐だけ味噌汁、豚汁・・・とかになります。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

(追記)日本料理の調理法を分析する

 

 

私は料理人ではありませんので、日本料理に対して否定的な事を言うと、「お前は料理人でもないくせに知ったような事を言うな」と言う人が出てくるかもしれません。

 

これまでも身近な人に日本料理のおかしな点について話して、それに近い事を言われた事があります。

 

というわけなので、ここで料理人の意見を参考にしてもらいたいと思います。

 

以下は、フランスのお菓子を作る方なのですが、興味深いことを言われています。

 

『失われし食と日本人の尊厳 荒廃した日本の食と闘う鬼才パティシエが追い求めた「真実のおいしさ」/著者・弓田亨』より引用

 

1 きれいな料理のため栄養素をやみくもに投げ捨てる料理法が日本人の心と身体に不幸をもたらした

 

これから述べる、料理法はまぎれもなく日本人の身体を地に貶めた、もっとも大きな原因の1つと考えています。この料理法とは、形式的な実体のないおいしさのために、食材の中の栄養素をただやみくもに捨て去る料理法です。

 

多くの方は、ここまで書いても私がどんな料理法を指しているかお分かりにならないと思います。それは多くの読者が、今日もされようとしている料理法です。

 

素材を水に着けて灰汁を取る。下茹でする、あるいは煮汁が沸騰したら執念を持って表面に浮いてくる灰汁を取り続ける。

 

そしていりこは糞くさいと言って頭や腸を取り去る。

あるいは一番出汁、二番出汁という手法により、鰹節から軽く出汁をとり、煮汁を搾り取った鰹節は捨ててしまう、いつもの慣れ親しんだ料理法です。

 

「どうしてそれがいけない料理法なの。誰もが当たり前にしていることですよ」と多くの方が不満と疑念を持たれるでしょう。

 

でもこんな七面倒くさいことは、私の子供の頃は普通の家では誰もしていませんでした。乾物などを戻すためにつけていた水で最後まで煮る、ただそれだけでした。

 

煮汁の表面に浮いてくるものを汚いからとすくい取るなんて考えたこともありませんでした。

 

ましてや煮干は一尾すべてを食べるのが大事だということを、理屈では分からなくても、誰もが先人の教えとして受け継いでいました。味噌汁のいりこを残そうとした時の母の怒りようは、何にもましてきつかったように思います。

 

「煮干、全部食わねど身体丈夫になんねぞ」、今でもあの母の声はよく記憶に残っています。

 

今、私達が「灰汁」として身体に良くないものと思い込んでいるものは、私達の身体があえぎながら渇望している栄養素なのです。

 

これなくしては身体や細胞が変調をきたし、やがて様々の疫病を引き起こしてしまいます。

 

(中略)

 

本当に徹底して下茹で、灰汁抜きをしてこられた家では身体に変調をきたしている確立は100%に近いのではないかと思います。現在、70歳代から後の世代の方で家にアトピー性皮膚炎の子供がいる家庭では確実に、下茹で、灰汁抜きのご飯を作られてきました。

 

この頃のお母さん達は、1970年代以降に土井勝氏の影響を強く受けた人達です。

 

土井氏はNHKテレビで、きれいな料理の作り方を全国の家庭に浸透させているところでした。

 

この啓蒙を受けたお母さん達は大勢おられるはずです。

 

またこの頃から日本の素材からは急激に栄養素が欠落し始めてきたと思われます。ちょうどこの2つのとても重要な変化が重なる時期なのです。

 

(28~29p)

 

「素材の味を生かした料理」というのは、誰が言い出したのでしょうか。

 

実態を確認せずに表現するのはいかがなものかと思います。

 

そこには、私の母のかつての日々の食事作りの中ではまったく目にした記憶のない料理法が次から次へと繰り広げられています。

 

執拗に灰汁抜き、下茹でが繰り返されます。

 

こんにゃく、さといもなど五種類の素材をそれぞれ1つずつ下茹でして、その煮汁を捨てて、改めて新しい水で煮ていきます。

 

中にはさらに下煮をするものもあります。

 

これだけしつこくすれば素材の味わいは著しく失われ、私にとっては間の抜けた眠りこけた味としか表現できない「上品な薄味」の素材と煮汁ができます。

 

何も味がしません。

 

これに味を持たせるためには、砂糖やみりんをたっぷり加えてごまかすしかありません。

 

人間の口に入ることなく捨て去られるだけの5つのボウルの中の煮汁を並べてみました。これらは間違いなく私達の細胞の血や肉となる栄養素なのです。

 

(138p)

 

ちょっと考えさせられる話ではないでしょうか。

 

私は灰汁はフィチン酸など、害があるから抜かなくてはならないと思っていましたが、本当にそうなのかという気になりました。

 

時々、「野菜を少しは摂った方がいいのでは?」という質問を受けるのですが、このような調理法の料理を食べるのであれば、摂っても摂らなくてもほぼ同じのような気がします。

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

ご飯を減らした後の注意点

 

 

もし、ご飯に依存しなくても平気になったら、おかず中心の食生活になると思います。

 

ちょっとした糖質制限です。

 

慢性疾患の予防になる「糖質制限」ですが、「体質的に糖質制限をやってはいけない人」、「少しずつ慣らしていく方がいい人」、「やってはいけない事」・・・等、細かい注意点がたくさんあります。

 

それを学ばずに、適当に始めると失敗する可能性があるので、実践を考えている人は先に情報収集を行なって下さい。

 

糖質制限に失敗した経験を持つ私が、2回目の挑戦で成功する為に行なった事は情報収集と分析です

 

ここでは、「体質的に糖質制限をしても問題ない人」が、ご飯を減らす時の注意点の一つを紹介します。

 

それは、糖質だけを減らす糖質制限を行なうのは危険ということです。糖質を減らしたら、タンパク質、脂質を摂る必要があります。

 

和食は糖質は多いですが、タンパク質、脂質が少ない料理です。家庭料理の場合、肉ガッツリより、野菜を煮たようなものが多いです。

 

このようなメニューから「ご飯」だけを抜くと、タンパク質、脂質不足になります。「タンパク質不足」も問題ですが、深刻なのは「脂質不足」です。

 

糖質と脂質は、主なエネルギー源です。

 

 

両方制限すれば、エネルギー不足になります。そうなっては生きていけないので、糖質を制限したら必ず脂質を摂るようにして下さい。

 

 

(追記)エネルギーの重要性については、以下の記事に詳しく書いています。

 

ATP(アデノシン三リン酸)について分かりやすく説明してみた

 

エネルギー代謝について分かりやすく説明してみた

 

 

ご飯など、穀物を減らしたら、おかずの内容を、「野菜」→「肉、魚、卵」に変えると、食事からタンパク質(体の材料)、脂質(エネルギーの材料)をしっかり摂れるようになります。

 

 

「脂質を摂りましょう」と言うと、多くの人は心配になると思います。しかし、勘違いしてはいけません。

 

 

「脂質は動脈硬化の原因になる」と思っている人は多いですが、動脈硬化の原因は「糖質」です。

 

 

動脈硬化を改善・予防する方法を分かりやすく説明してみた

 

 

「脂質は肥満の原因になる」と思っている人は多いですが、肥満の主な原因は「糖質」です。

 

 

経験上、脂質は悪くない。太った原因はただの勘違いだった

 

 

 

そして、糖質は代謝する時に、ある条件で「乳酸」を発生させます。その「乳酸」が蓄積すると「癌」の原因になります。

 

 

 

(追記)ご飯はブドウ糖に分解されます、そこからさらに代謝されエネルギーが作られるのですが、体質によってこの代謝が上手くいかない人がいます。すると、「乳酸の蓄積」を招き、癌が発生しやすくなります。ご飯の食べすぎには十分注意して下さい。

 

余命わずかの末期癌患者が退院できたのは病院での栄養療法のおかげだった!

 

癌細胞と癌家系について分かりやすく説明してみた

 

 

 

「脂質」は高エネルギーで人体に必要な栄養素です。

 

 

 

(追記)「糖質を食べても何も問題は起きていない」と思っている方へ

 

日本人は「主食」や「おかず」から糖質を摂りすぎています。

 

しかし、「ご飯等、糖質をいくら食べても、身体にはなんの問題も起きていない」と言う人が一定数います。

 

そう思われるのは、2つ理由があります。

 

●実は糖質による害が身体に出ているが、糖質が原因だと気付いていないので、本人が「不調はない」と勘違いしているケース

 

 

例えば、以下の症状は、糖質が原因です。

 

本当は怖いいくら甘い物を食べても太らない体質と、後で払う肥満以上の大きな代償

 

卵子が老化する原因と防ぎ方。卵子の質を悪化させない食習慣は、不妊症の改善にも期待できる

 

瞼に脂肪の塊ができる「眼瞼黄色腫」の放置は要注意!意外な原因と解決方法とは

 

関節の痛みや理由もなくパキッっと音が鳴る原因は食生活に問題あり。根本的な原因を取り除いてクラッキングを改善させる方法

 

 

●身体が他の人より少し丈夫(代謝が良い等)なので、害が表れるのが遅い、問題が起きても小さいので「何も問題ない」と勘違いしているケース

 

糖質の毒性は遅効性。体に合わない物を食べると、表面的には問題がなくても水面下では体が劣化する

 

糖質を食べると病気になる人と、健康で長生きする人の違いについて考えてみた

 

癌細胞と癌家系について分かりやすく説明してみた

 

 

糖質の害は遅効性で分かりにくいです。

 

しかし、目、脳、卵子等、一度ダメージを受けると回復しない部分もあるので、「何も問題はないから」・・・と無防備に食べると、後で身体を壊ししんどいめに合います。

 

糖質をたくさん食べる人は、このようなリスクを知っておいて下さい。

 

 

まとめ

 

ご飯を止めるには、ご飯がなくても食べられる薄味のおかずにする必要があります。

 

最初は薄味は物足りないと思いますが、本来なくてもいいものなので、時間と共に慣れていきます。

 

人間は、味付けの濃い食べ物がないと生きていけないようにも、ご飯がないと生きられないようにもプログラムされていません。

 

 

(追記)「和食は糖質が多くて不健康だ」と話をしましたが、「例え不健康の原因になっても止められない」・・・という方は多いです。

 

習慣を変えられない人はいますから、対策として、糖質を多めに食べる人に気をつけて欲しい事を書きました。

 

ベジタリアンや糖質を止められない人が、健康の為に摂っておきたい栄養素とは

 

 

スポンサーリンク

 

糖質を食べると病気になる人と、健康で長生きする人の違いについて考えてみた

 

気付いていない方は多いのですが、糖質の過剰摂取は、糖尿病、癌、膠原病、動脈硬化、高血圧...等、あらゆる慢性疾患の原因になります。

 

 

糖質制限は「ダイエット効果」ばかり強調されますが、一番のメリットは、これらの疾患を予防できる事です。

 

 

この事を多くの方に知ってもらいたいと思って、私は常に「糖質の害」と、「糖質を制限する事のメリット」を伝えているわけですが、

 

 

「糖質は必要だ」とか、「糖質には害はない」と言われる事が多いです。

 

 

でも、そう思われるのも無理はありません。

 

 

世の中には糖質ばかりを食べているのに元気なお年寄りがいるからです。

 

 

 

そして、糖質の害を訴えると、必ずこの部分を指摘してくる人がいます。糖質が悪いなら、これは一体どういう事なのか・・・と。

 

 

 

私も長寿の人に密着したテレビ番組を見た事があります。

 

 

 

長生きの秘訣は何かを追っていくと、食生活は様々でした。肉や卵を食べられる人もいましたが、和食中心の人も多かったです。

 

 

 

また、「昔ながらの和食」で健康を保っている人が書いた本も、これまで何冊も出版されてきました。

 

 

糖質制限を始める前の私は、そのような本を参考にして、「バランスの良い」、「野菜多め」のスタイルを真似していましたが、一向に健康になりませんでした。

 

 

私はそのような食事を止めて、糖質制限に切り替えたことで健康になったわけですが、

 

 

「私の体験」と、「昔ながらの和食のような糖質の多い食事で健康になっている人の体験」は、理論上かみ合いませんね。

 

 

なんとなく「糖質は悪いかもしれない・・・」と思っている人も、この矛盾点が引っ掛かって「糖質の害」を信じ切れないのではないでしょうか。

 

 

 

糖質は本当に毒なのか?

 

 

毒だとしたら、何故、食べても平気な人がいるのか?

 

 

・・・について考えてみたいと思います。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

糖質をたくさん食べても健康で長生きな人の謎

 

 

和食の醍醐味である穀物や野菜には、たくさんの糖質が含まれています。

 

 

醤油、みりん、砂糖、酒、酢・・・と、調味料にもこれまたたくさんの糖質が含まれています。

 

 

日本の料理はご飯に合う「甘辛い」ものが多いです。

 

 

このように、和食中心の食生活は、糖質過多ですから、糖質制限の理屈で考えると「体を傷つける食事」になります。

 

 

しかし、糖質をしっかり食べているにも関わらず、元気で長生きをする人がいるのは確かです。その様子を見て、

 

 

「糖質をたくさん食べても病気にならない人がいるから、糖質は大したダメージではない。だから、糖質を食べても問題はないんだ」

 

 

・・・と、解釈する人が出てきます。

 

 

では本当に、食べても平気な人がいるから、糖質は毒ではないのでしょうか・・・

 

 

糖質制限否定派も、肯定派も疑問に思うこの部分を、素人の私の現時点での考えを書いておきます。

 

 

まず、化学的な理由ですが、ハッキリ言います。

 

 

私にも分かりません。

 

 

糖質を食べて健康に生きられる人の体の中でどんな化学反応が起きているのかは分かりません。

 

 

 

糖質の処理が出来るように体の構造が変化した人なのではないか、

 

 

という説もありますが、それを確認する為には、そういう人の体を徹底的に調べてみないと正確にはわかりませんし、私は医者でも研究者でもないので調べる事はできません。

 

 

 

でも、私的には、糖質の処理が得意な構造に人体が変化したわけではないと思っています。

 

 

 

何故「変化はしない」と考えているのかというと、

 

 

「糖質を食べ続けていたら、体が糖質に適した体になる」というのは、「生物が進化する」という前提があって成り立つ展開だからです。

 

 

 

「進化論」を信じている人はその話に乗っかるでしょうが、私は「進化論」は仮説に過ぎないと思っています。

 

 

 

信憑性について疑っていますので、今のところ「進化」をベースに理論を展開しません。従って、「糖質の処理が得意な構造に変化(進化)することはない」と考えています。

 

 

 

「進化論」についての私の考えは以下の記事で述べています。

 

人の食性を考える時、チンパンジーを参考にしてはいけない理由【前編】

 

 

 

もし、生き物が本当に「状況に応じて進化する」のであれば、地球上のほとんどの人間は、もう長い間、糖質を食べているわけですから、もっと大勢の人に「糖質に適した体になる」現象が起こらないと不自然です。

 

 

糖質に対応できる体に変化できるなら、「糖質が原因の病気」はこれほど蔓延してないでしょう。

 

 

「糖質が原因の慢性疾患が多い」という事は、「糖質に適応するように進化していないと見受けられる人」の方が圧倒的に多いという事です。

 

 

多くの人は何も変化していないわけですから、「糖質を食べても平気な体になった」という進化論的な発想はできません。

 

 

糖質を食べても大丈夫な一部の人は、体の構造が変化したのではなく、別の理由があると考えています。

 

 

もし、「糖質を食べても食べても、健康で長生きな人」がいたとしたら、それは、糖質が安全だからでもなく、体の構造が進化したからでもなく、ただの特異体質だと思います。

 

 

つまり、「ダメージに強い」特殊な例です。

 

 

 

単純に、私は「その人の体が、たまたま丈夫だった」という風にみています。

 

 

 

生き物には「丈夫な個体」と、「弱い個体」がいます。

 

 

たくさんの個体を扱うとわかるのですが、数多くの生き物を、同じ環境で飼育すると、「全く同じ種類でも個体差がある」事に気付きます。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

生物は、同じ種類でも均一ではない

 

 

随分前に、メダカとグッピーを3~4年飼っていました。

 

 

メダカは屋外のカメにほぼ放置・・・でも元気でした。コケがついても気にならないので、カメの中を水槽のようにゴシゴシ洗った事はありません。時々水を替えるくらいです。

 

一方、グッピーは熱帯魚ですので、屋内の水槽にヒーターを入れて飼っていました。

 

 

カメと違って、水槽は水質の悪化が目立ちます。そこですぐ対処すればいいのですが、後回しにしてました。

 

 

すると、病気になる個体が多くて、とくに「松かさ病」という鱗が逆立つ病気はよくなっていました。

 

 

でも、同じ環境でも、病気になる個体と、ならない個体がいます。

 

 

同じ親から生まれて、同じ餌を食べて、同じ汚い水の中です。

 

 

同じ条件なのに結果に差があるわけです。

 

 

この差を説明しようとすると、「水の質(害)」や、「体の質(構造)」は関係ないと思いませんか。私には生命力の違いしか思いつきません。

 

 

 

これは体のシステムの違いではなく、単純な体の強弱の違いです。

 

 

 

 

 

害がないのではなく丈夫なだけ

 

 

基本的に汚い水は、どの個体にとっても良くありません。

 

 

 

普通は、ダメージを受けて弱っていきます。

 

 

しかし、そんな環境でも耐えられる個体がいるのは事実です。

 

 

でも、だからといって「汚い水は害ではない」事にはなりません。

 

 

例えば、ブラック企業の過酷な環境に耐えて働ける労働者がいたとしても、それは、「耐えられる人がいるんだから、ブラック企業は問題ないだろ」ということにはなりませんよね。

 

 

「悪い環境に耐えられる固体が一定数いること」と、「その環境は害があるのかどうか」は、全く別の問題なのです。

 

 

「水」や「ブラック企業」を、「糖質」に置き換えて考えてみます。

 

 

糖質は人間の体には合わないので、摂取すればするほど、普通はダメージを受けて弱っていきます。しかし、それでも耐えられる人がいるのは事実です。

 

 

でも、だからといって「糖質は害ではない」事にはなりません。

 

 

 

 

病気になる人とならない人

 

 

糖質は人の体にダメージを与える物質ですが、それに「耐えられる人」もいます。

 

 

しかし、「耐えられる人」がいるからといって、そのダメージはダメージではない、問題のない物質になる・・・かというとそれは違う。

 

 

この↑「糖質」のところを、「酒」や「タバコ」など、他の害になりそうなものに置き換えて考えるとわかりやすいと思います。

 

 

例えば、同じ年齢で、同じ性別で、同じ戦場に出向いても、PTSDになる人とならない人がいます。

 

 

wikipediaより引用

 

 

心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、Post Traumatic Stress Disorder、PTSD)は、命の安全が脅かされるような出来事、戦争、天災、事故、犯罪、虐待などによって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害である

 

 

この障害になる兵士が増えていると、テレビで放送しているのを何度か見た事があります。

 

 

でも、私は年配者から、戦時中の話を聞く機会が多かったのですが、このPTSDになったという話は、身近では一度も聞いた事がありません。

 

 

戦争中の事を聞いても、わりと普通の昔話のように語ってくれます。

 

 

最初は、「最近の若者は弱くて、昔の人は根性がすわっていたからPTSDにならなかったのだろう」と思っていました。でも、調べてみると、昔の人でもPTSDになっている人はいるみたいです。

 

この病気も、時代は関係なく、なる人とならない人がいるわけです。

 

 

ここで、さっきの話に当てはめると、同じ状況でもPTSDにならない人がいるんだから、PTSDなんて障害は存在しない・・・という理屈にはなりません。

 

このケースでも、「害」は確かに存在します。

 

「ダメージを受けにくい個体」がいるからといって、その害が無害ではないはずです。

 

また、その個体が「人と違った進化」をしているようにもみえません。

 

 

 

問題点を履き違えない

 

 

汚い水、ブラック企業、糖質、PTSD・・・は、ダメージを生じます。

 

それでも耐えられる人がいるのは、単純に害の攻撃力より、防御力が勝っていただけの話ではないかと思うのです。

 

 

 

同じ環境でも、病気になる人とならない人がいるのはその為でしょう。

 

もう一度言いますが、「丈夫か、丈夫でないか」の問題であって、「ダメージの種類が悪いとか良いの問題」ではありません。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

単純な理屈

 

「症状」や「毒性」といった化学的な事のみに気を取られると、「個体の強弱」という単純な事が見えなくなります。

 

 

生命力 < 害

 

生命力 > 害

 

 

前者はダメージが表れやすいけど、後者はたくましく生き延びる・・・

単純に「生命力の値が勝る」か、「ダメージの値が勝る」かです。

 

髪の毛も、

 

 

抜け毛が100本でも、新しい髪が150本生えてくれば、ハゲません。

 

抜け毛がたった10本でも、新しい髪が5本しか生えてこないのなら、いずれハゲます。

 

 

 

お金も、

 

 

毎月の出費が50万でも、給料が100万なら黒字です。

 

毎月の出費がたった10万でも、給料が5万なら赤字です。

 

 

 

このように、「ダメージ」と「回復力」を天秤にかけて、どちらが勝っているかです。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

体力のある人の真似をするという事

 

 

丈夫な人は防御力だけでなく、回復力も違うので、ダメージを受けてもヘッチャラです。その様子を見て、その回復力を持たない人が「真似をしてみよう」と考えるのは軽率です。

 

分かりやすいので、お金に置き換えて話てみます。

 

 

年収1億円の人にとっての「借金1000万」は、ダメージは少ないです。

 

平均的な収入の人にとっては、「借金1000万」は、かなりのダメージです。

 

 

例えば、年収1億の人が「1000万ぐらいすぐに返せますよ」と言っているのを聞いて、「自分でもすぐに返せる」と真に受ける普通の人はいないでしょう。

 

すぐに返せるというのは、「1000万に耐えられる資金力がある」という前提があっての話だからです。従って、資金力のない万人の参考にはなりません。平均的な収入の人が、金持ちのように浪費をしたら破産します。

 

 

健康も同じです。普通の体の人が、丈夫な人の真似をしたら体を壊します。

 

前も言いましたが、人間は「動物食性動物」です。消化器官もそのようになっています。

 

 

(追記)食性と体の構造については以下の記事を参考にして下さい。

 

「人間が肉食か草食かは、歯を見れば分かる」という説は正しいのか

 

遺伝子の99%が同じでも、人間とチンパンジーの消化器官の構造は違う

 

 

その構造に背けば、いきなりは壊れなくても、なんらかの不具合が生じてきます。「体が弱い人」は症状が早く表れますが、「丈夫な人」はかなり耐えられるでしょう。

 

そこで、丈夫な人が「私はこの食事でも健康だから、植物性食品だけを食べる生活をしても問題がありません」・・・と言っても、それは万人の参考にはなりません。これもやはり、「元々生命力が強い」という前提があって実現出来る事だからです。

 

(追記)人間は動物食性動物なので「植物性の食品」は合いません。しかし世の中には、青汁一杯で生きている人、ベジタリアンで生きている人もいます。しかし、人間の体の構造に合わないので、真似をすると以下のようなリスクもあります。

 

ローフーディストやベジタリアンの真実。肉を避け野菜や果物を多く食べる人に見られる肌の特徴と、健康上の問題

 

 

 

人は「他人の体の感覚」は分かりません。

 

体が丈夫な人は、体が弱い人の感覚は分かりませんし、体が弱い人は、体が丈夫な人の感覚は分かりません。

 

 

丈夫な人は、糖質は何の問題もない(と感じている)ので、「誰でも出来る事だ」と思って、「糖質を摂りながら健康になる方法」を勧めているのかもしれませんが、

 

 

「糖質を食べながら元気で長生きになる」は、世界中で糖質過多による生活習慣病が蔓延している事からみても、万人には向いていません。この食事で健康を維持するのは、体の構造に背いている為、ハードルが高いのです。

 

 

 

一方、「糖質を制限して脂質タンパク質中心」は、基本的に人間本来の食性に合っているので、(やり方に注意すれば)ほとんどの人は誰でも健康になれます。

 

 

スポンサーリンク

 

 

例外の存在について

 

 

人間の食性を無視した、「糖質たっぷりのメニューを食べながらの健康維持」は、ハードルが高いです。しかし、それで健康を維持できている人が存在しているので、「特殊な人の為の、特殊な方法」が存在したって、それはそれでいいでしょう。

 

しかし、そのやり方を「それを真似ることのできない万人」に、簡単な事のように薦めるべきではないと思います。

 

「少数や例外を無視しろ」と言っているわけではありません。しかし、数少ない例外に捕らわれる事で、本質が見えなくなっては意味がありません。

 

健康になる方法を、「真似が難しい特異体質の(丈夫な)人達」を基準に開発したら、脱落者が多いでしょう。「一部の人しかできないような、再現性の低い解決策」よりも、「誰でも再現できるような方法」の方が使えるわけです。

 

 

特異体質や生命力の強い人の真似をする時は、真似出来る事か、そうじゃないかをよく考えて挑戦した方がよいです。

 

 

そして、丈夫であれば糖質を控える必要がないか・・・というと、そうでもありません。ハッキリ言って、糖質という害を制限したらもっと健康になれます。

 

ドラゴンボールでは体に付けている重りを外したら戦闘力がアップしますよね。あれと同じです。

 

 

スポンサーリンク

 

 

実は健康そうに見えるだけで劣化している可能性も...

 

これまで「丈夫な人」について述べてきましたが、ここでは、「その人が本当に丈夫なのか」について考えてみたいと思います。

 

丈夫に見えているだけの可能性もあるからです。

 

体が特定の害でダメージを受けていないように見える理由は、以下のように考えられます。

 

 

●ダメージはあるけど、高い防御力のお陰で酷く傷つかない(ダメージの減りが遅い)。でもダメージはダメージなので、小さい傷はある。しかし、周囲の人と比べると元気なので傷がないように見える。

 

●傷ついても、回復力が上回っているので、傷ついていないように見える

 

 

そして、「ダメージがどんなものか知らない」というのも、丈夫に見える原因になります。

 

 

「糖質を食べても何も問題がない」と言う人は多いですが、本人が気付いていないだけで、実はしっかり不健康の症状が表れていたりします。何故、気が付かないのかというと、それだけ「糖質」の正しい知識が広まっていないからです。無知故に「何もない」と勘違いしているのです。

 

 

あまり知られていませんが、例えは、以下の症状は糖質によるものです。

 

 

・糖質は食べられるが肉や脂質が受け付けず、消化が悪い

・骨や歯、爪が弱い

・髪が痛んでいる

・菌やウイルスへの抵抗力が弱い

・怪我が治りにくい

・関節が鳴りやすい

・肌の劣化

・痩せていても締りがない

・セルライトがある

・痔

・アレルギー

・歯槽膿漏

・胃下垂

 

 

 

ここに紹介した症状は、体のタンパク質が、摂りすぎて余った糖とくっついて変性した「糖化」です。

 

歳をとったから~ではなく、糖質とタンパク質と熱の化学反応によって、細胞が劣化した症状です。

 

 

劣化ですから、健康ではありません。

 

「私は糖質を食べているけど健康だ!」と豪語している人も、ここに述べた症状の一つくらい当てはまるのではないでしょうか?

 

糖化については以下の記事をご覧下さい。

糖化反応(メイラード反応)について分かりやすく説明してみた

 

 

「丈夫だ」「平気だ」と思っている人も、本当にそうなのか冷静に観察した方がいいです。

 

 

 

確率的親和力とは

 

 

(追記)この記事は、2016年の11月に書いたものです。

 

この時私は、体質の違いに「生命力」とか、「個体の丈夫さ」という表現を使いました。

 

しかし、その後調べていくと、このような「体質の違い」は、「確率的親和力の違い」である事が分かりました。

 

同じような食事をしても、「病気になりやすい人」と「病気になりにくい人」がいるのは何故か・・・その体質の違いを、以下の記事で「癌になりやすい人」を例にお話しています。

 

癌細胞と癌家系について分かりやすく説明してみた

 

「確率的親和力 かくりつてき しんわりょく」は後半に書いています。

 

癌はブドウ糖(糖質)を分解した時に発生する乳酸の蓄積が原因です。癌家系の人で、糖質をたくさん食べている人は是非読んでみて下さい。

 

 

スポンサーリンク

 

健康情報の実態と、間違った説がなかなか訂正されない理由

 

 

「ネットの健康情報は嘘」・・・等と言われているので、ネットの情報を疑う人は多いです。

 

 

 

しかし、世の中は健康情報に限らず嘘だらけなので、素人の書いたものだけではなく、専門家、医師、論文の主張する内容にも同じような姿勢で対応して欲しいと思います。

 

 

 

言われた事を、何の根拠もなく信じるのは危険です。

 

 

スポンサーリンク

 

 

勉強した事そのものを疑う

 

 

このブログは医療や栄養をテーマにしていますから、以下のような知識は必要になってきます。

 

 

 

 

  • 栄養の名前と働き

 

  • 体のシステム

 

 

 

このような基礎的な情報は確かに大事です。

 

 

 

しかし、それ自体が本当かどうか・・・私自信、今では半信半疑です。勉強はしますが、話半分で覚えています。

 

 

 

そうなったのは理由があります。

 

 

 

私は、長年、栄養や健康の事について調べてきたのですが、辻褄の合わない情報によく遭遇しました。

 

 

 

特に同じ事柄に対して、専門家の意見が真っ二つに割れている場合は、どちらが正しいのか分からなくなりました。真面目に勉強すると混乱するのです。

 

 

 

最初は「どちらも真剣に研究して、自然に意見が割れた」とばかり思っていたのですが、ある時、「そうではない」と悟りました。

 

 

 

遺伝子組み換え食品を調べていて気付きました。

 

遺伝子組み換え食品から学んだ、学問に不毛な議論が発生する本当の理由

 

 

 

その後、嘘が多いとハッキリ思ったのは、糖質制限に関する主張を見た時でした。

 

 

 

 

私は糖質制限を2回やっているのですが、1回目は失敗して、2回目の今は成功しているので、両者の意見にものすごく関心があります。

 

 

 

糖質制限肯定派と、糖質制限否定派の対立を見た時、否定派の意見が非常にいい加減だったのです。

 

 

 

肯定派は、理論だけでなく、必ず実践し、それが真実である事を実証しています。

 

 

 

 

 

それに対し否定派は、教科書に書いてあるような事を言っているのですが、明らかに調べずにものを言っているのです。

 

 

 

 

このような事が何度もあり、今では教科書に書いてある事を信用しなくなりました。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

常識と真実が違う

 

 

ちょっと具体的に話します。

 

 

 

以前、消化について記事を書いたことがあります。

 

消化に良い食品の嘘。慢性的に胃がもたれる人は糖質の過食を疑え!

 

 

 

こちらの記事の後半で、

 

 

あるサイトで、「拒食症の人に食べたものを吐いてもらって、動物性食品と植物性食品の消化具合を確認したら、前者は消化が早すぎて吐けないのに対し、後者はほとんど消化されていない」・・・という話を読んで、それまでの常識と間逆であることにビックリしたという事を書きました。

 

 

 

一般的に、植物性の食品は消化に良いが、動物性の食品は消化に悪いということになっています。

 

 

 

テレビでも、病院でもです。

 

 

 

ところが蓋を開けてみると、消化に良かったのは「植物性の食品」ではなく「動物性の食品」でした。

 

 

 

つまり、人間の体は肉食向けに出来ている・・・という事です。

 

 

 

そして、以下は夏井睦医師のブログで紹介されていた、寿司を食べた4時間後に救急車で搬送された男性の胃の中の写真です。

 

 

タンパク質である寿司ネタは消化されているのに、米は消化されずに残っています。このように、消化に悪いのは植物性食品であり、動物性食品ではないのです。

 

 

『正しい創傷治療 2014/08/06』より引用

 

 

%e5%86%85%e8%a6%96%e9%8f%a1

 

 

 

この程度の事は、確認しようと思えば簡単に確認できるわけです。それなのに、「体調が悪い時は消化に優しいお粥」となっています。

 

 

 

 

専門家が語っている説も、真実と違う事があるので注意した方がいいです。

 

 

 

 

悪いのは間違えることではなく、間違えても訂正しない事

 

 

 

私は、食事内容を植物性中心から断糖肉食に変えてから、消化が楽になりました。

 

 

 

しかも、3回、実際に食べた後に吐いた事があるので、「肉は消化が早く、野菜や炭水化物は消化が遅い」事を目で確認しました。

 

 

 

「やっぱり、常識と反対だった」と思いましたが、それよりも、専門家がこんな簡単な事も分からない事の方にビックリしました。

 

 

 

こんな単純な間違いがまかり通っていて、しかも訂正もされないのなら、他の医療の基礎知識が間違っていても不思議ではありません。

 

 

 

間違うだけならともかく、訂正せずに、「従来の前提」を頑なに変えない専門家の姿を見て幻滅しました。

 

 

 

「人を助けたい」とか、「世の中の為に役に立ちたい」とかいう姿勢が全く伝わってきません。

 

 

 

私は、「実践せず、定説を疑いもせず、一方的に否定する否定派」よりも、「糖質制限を自ら実践し、調べ、否定派の意見にも真面目に向き合う肯定派」の方が、人間として誠実に見えます。

 

 

 

 

しかし、否定派の医師や専門家の数の方が圧倒的で、おかしな常識は野放しです。この状況では、単純に知識を収集するだけでは不十分です。

 

 

 

言うまでもありませんが、専門家が学んだ教科書も怪しいです。

 

 

場合によっては下手に知識など持たない方がよいです。おかしな知識を吸収してしまうと、考えが広がらなくなるからです。

 

 

 

教育と洗脳は紙一重、確認をしなければどんな学問もただの信仰である

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

健康になるのは難しい

 

 

私はこれまで、自分が気になった事は調べてきましたし、色々試しました。その過程で、効果があるものにも巡り合えました。しかし、

 

 

 

どうして、健康になる為にこんなにお金をかけなければならないのか

 

 

どうして、健康になる為に必要な情報を手に入れるのはこんなに難しいのか

 

 

 

・・・こう思うようになりました。

 

 

具体的に言います。

 

 

 

  • 健康に気を配ってサプリメントをあれもこれも使っていたらお金がかかります。サプリメントが効いて、ある特定の疾患がマシになったとします。それはそれで嬉しいですし、非常にありがたい事です。しかし、そもそも、どうしてサプリメントが必要な体になったのだろう、これを飲まなくても健康であるのが本当じゃないのか・・・と思ったり。

 

 

 

 

(追記)そう思った経緯は以下の記事で書いています。

 

ネットワークビジネスを通じて学んだ健康食品の体験談の信憑性とお金の話

 

 

 

 

  • 「健康になりたい、でも病院の世話にはなりたくない」と思って、情報をかき集めると、人によって内容はバラバラ、どれが正解で、どれが間違いなのかわからない始末。どうして正しい情報を手に入れるのはこんなに難しいんだろう。本当は正しい情報が簡単に手に入るべきではないのか・・・と思ったり。

 

 

 

このうち、やっかいなのは後者の方です。

 

 

 

人に伝える意味

 

 

 

真実が広がらないので、人が不健康になるような環境になっています。

 

 

 

例えば、癌の原因はかなり前に分かっていましたが、いまだに分からない事になっているので、原因である「乳酸の蓄積」を避けるという選択肢が全ての人に届いていません。

 

【注意】癌の本質を理解していないと症状が悪化する治療法を選択します

 

 

 

また、膠原病の原因に「糖質」が関わっているのですが、これも「原因は分かっていない」ことになっています。

 

炎症と自己免疫疾患について分かりやすく説明してみた

 

 

 

これらの情報を得られない人は、根本的な治療ではなく対処療法ばかり選択する事になるので、お金と時間と健康を失います。

 

 

 

 

どんなに「健康になりたい」と思って真剣に情報を探しても、世の中がこのような状況では、デタラメな情報を掴む確率は高くなります。そうなるように誘導されているような気がします。

 

 

 

もし、最近病気になって健康を気遣おうと思ったり、子供が出来たから今日から栄養の事を勉強しようと思った人だったら、 どれを信じたらいいかわからなくなります。

 

 

 

「自分の得意分野じゃない事について学ぼう」と思った時に、複雑難解でまとまりのない説の中から、「よりまともなもの」を探すのは難しいです。

 

 

 

この場合、ほとんどの人は「世間一般で信じられている説」に落ち着きます。

 

 

 

それが不健康のはじまりです。

 

 

 

「騙されるのが悪い」「もっとよく調べないから悪い」という意見もありますが、正直言って、この状況なら、誰が騙されても不思議ではありません。

 

 

 

何故なら、嘘の中に真実が混ぜてあるから見分けがつきにくいのです。

 

 

 

デタラメを信じてしまった本人が完全に悪いとは思えないので、放置できません。

 

 

 

 

「例えデタラメ情報でも、本人がそれで納得しているなら、それでいいだろう」

 

 

 

・・・そういう意見もあるでしょう。

 

 

 

確かに本人がこの状態では、それ以上、周りが踏み込むのは厳しいです。

 

 

 

 

しかし、その人がバカだからつまらない情報を掴む・・・果たしてそれで片づけていいのでしょうか。

 

 

例えば、騙されて掴んだのがとか、絵画なら、私も「本人が良いならいいんじゃない」と片づけます。

 

 

しかし、嘘の情報を掴んで、健康になると信じて病気になっていくというのは、どうしても納得できないのです。

 

 

 

その人が真実を知った時「騙されて良かった」等と思うでしょうか。「壷」や「絵画」と同じにするべきではないと思います。

 

 

 

私も過去に、一般的に良いとされる「バランスの良い食生活」を心がけ、体が弱かったのです。調べて調べて、その結果実践しても変わりませんでした。しかし、糖質制限という非常識な方法で、あっけなく健康になりました。30代にして人生で一番の健康体です。

 

 

 

 

私は健康とか栄養に興味があるので、この分野に関しては、昔から調べるのが苦ではありません。

 

 

 

ですが、好きな分野ですら、ここまで情報が複雑難解になって、専門家の意見がバラバラだと、混乱してしまいます。

 

 

 

 

真実を知ったおかげで上手くいきましたが、できれば早く知りたかったです。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

間違った説が訂正されない

 

 

これまで、何度か、食事に気をつけているけど健康にならない人に、糖質制限の話しをした事があります。

 

 

 

一度は私の言う事に耳を傾けてくれ、結構興味も持ってくれるのですが、その後で、その人がテレビをつけた時、専門家が違う事を言えばパアです。

 

 

 

テレビでなくても、他の人に「止めたほうが良い」と言われたとか、医者に言われたとか、とにかくほとんどの人は、中身関係なく常識の方に傾きます。

 

 

 

なんでこうなるんだろうという思いを散々してきました。

 

 

 

こうして、いい加減な情報に惑わされる人が多ければ多いほど、その情報がいい加減であっても「常識」となります。で、その常識が、また別の人を惑わせるわけです。

 

 

悪循環です。

 

 

 

そういう状況を放置すれば、健康になろうとしている人が、常識によって流されます。この状況はなんとかしなければいけません。

 

 

 

また、こういう人達が、どんなに理屈を理解しても実践できないのは、常識と違う事をする恐怖があるからです。

 

 

 

脂質を食べようと思っていても、「コレステロールが高くなるから~」と言われればビビって食べられない。

 

 

 

 

糖質を制限しようと思っていても、「脳にはブドウ糖が必要~」と言われればビビって制限できない。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・このように言ったのが、医者とか、専門家だったら、恐いわけです。恐怖や常識に逆らって、よくわからない事を始めるのは不安です。

 

 

 

情報を知って、状況を変えるチャンスは目の前に転がっているのに出来ないのは、そういう社会的、心理的な問題もあります。

 

 

 

子供の頃から鎖に繋がれた動物が、大人になって鎖を外しても逃げない状況と似ています。

 

 

 

それは、その動物がバカだから逃げないのではありません。心理的に支配されるというのはそういう事です。

 

 

 

そういう人を逃がそうとするのは難しいです。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

 

 

今の現状に対して思う事

 

 

鎖を外しても逃げようとしない人は大勢います。

 

 

 

そういう人を助ける為に一番手っ取り早いのは、常識に固執しない医師や専門家をもっと増やす事です。

 

 

 

そうすれば、恐がって新しいことが出来なかった人でも、少しはチャレンジできるようになるでしょう。

 

 

医者の中でも、「従来の常識通りの方法に固執する人」、「例え従来の方法でもおかしいことは覆し、良いものは研究して取り入れる人」がいます。

 

 

 

当然、後者は少ないです。

 

 

 

どちらのタイプを選ぶかは、人によって違いますが、私はこれからは後者のような人がもっと増えるべきだと思っています。

 

 

そうでなければ、いざ医者にかかる時に、後者の医者が身近にいないという事になります。

 

 

両者は主張が間逆ですから、どちらの医師にかかるかによって運命が変わるわけです。両方いて選べれば良いですが、片方しかいないなら話になりません。

 

 

 

それに、常識に固執しない医師や専門家が増えなければ、おかしな情報がいつまでも放置され、結果的にみんなが損をします。

 

 

 

後者が増えて、間違いが改善されるようになれば、ほとんどの人は医師や専門家の意見を聞きますから、「健康に関するまともな情報」が誰でも簡単に手に入るようになります。

 

 

 

そこまで変わってほしい、常識に固執しない医師や専門家の需要が増えて欲しいと思っています。

 

 

 

 

しかし、そうなるには時間がかかりますから、自分で情報を吟味して健康管理をする必要があります。

 

 

 

私はブログを書く時、「健康になる情報を提供したい」というよりも、一人一人が、いい加減な情報に惑わされる事なく、より良い選択ができるようになって欲しいと思っています。

 

 

 

それが出来ると、有益な情報が手に入るようになるからです。

 

 

 

教科書には書いてあるけど、本当かどうかわからない上辺だけの情報を提供して終わり・・・ではなく、

 

 

 

「当たり前な事でも矛盾に満ちていれば疑う、探求する」・・・そういう能力や習慣を身につけて欲しいと思っています。

 

 

 

スポンサーリンク

 

 

ホームPage 3 / 3123