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私は、健康的な食事を求めるなら、知識として「人間の食性」を知っておくことは重要だと考えています。付け加えるなら、「バランスの良い食事」よりも、「人間本来の食性に合った食事」の方が理に適っていると思っています。
そう考える理由は、人間の視点から見て「偏っている」様に見えても、体の構造に沿った燃料を利用する方が、体に余計な負荷がかからず、健康を維持できるはずだからです。
よくわからないマシンを「これまで大丈夫だったから」等と言って、適当に使っていたら、意図せず壊してしまうでしょう。何がダメで、何が大丈夫なのか・・・普通に考えると、マシンの仕様を的確に理解して使っている人の方が、物を長持ちさせる事ができます。
例えばですが、私は車に乗らないので車に関する知識が0です。だから、「レギュラー」、「ハイオク」、「軽油」の違いを知りません。どの車にどんな燃料を入れたらいいのかわかりません。
そこで、車の構造を無視して、「バランスが大事だ」と言って、これらの燃料を満遍なく混ぜて入れたらどうでしょうか?
バカですね。
さらに、「天ぷら油」や、「灯油」を入れたらどうでしょうか?車は大丈夫でしょうか?
でも、偏ってないからバランスは良いですよ。
でも、車について知っている人がその現場を見たら、間違いなく止めるでしょう。
それは何故か・・・
バランスが良くても壊れるからです。車がそのように出来ていないからです。
これは例え話なので、さすがに「天ぷら油」や「灯油」は入れません。ですが、運転しない私にとって「レギュラー」、「ハイオク」、「軽油」は同じようなものです。偏って入れる意味がわかりません。
ここで、考えてみて下さい。「何事もバランスが大事」と言われていますが、そうでもないことに気が付きませんか?
偏っていてもいいんです。仕様通りであれば。逆にバランスを取っていても、それが設計者にとって想定の範囲外の扱い方であれば壊れる可能性があります。そして、壊れた時、仕組みがわかっていなければ、何で壊れたのかもわかりません。だから、何度でも同じ間違いを繰り返すことになります。
想定外の扱い方をしない為にも、仕組みや仕様を理解する事は大切なのです。この世に物理的に存在している以上、機械でも生物でも一緒です。
生物が食事をすると、体の中で化学反応が起きます。何を食べるかによって体に影響がでるのは当たり前です。
しかし、機械には「取り扱い説明書」がありますが、生き物には「取り扱い説明書」がついていません。従って、実際に体を動かして使う事は出来ますが、「何を体に入れたらいいのか」といった「仕組み」の100%の正解は誰にもわかりません。
大勢の人が長い時間をかけて調べていても、わからない事はたくさんあります。また、すでにわかっていると思われている一般的な知識ですら、正確ではないのです。その証拠に様々なテーマにおいて、専門家の意見が割れています。
それは、「人間の食性」についても言えることです。
人間は何でも食べるので、一般的に「雑食」という扱いになっていますが、人によって考え方がバラバラです。
例えば...
一般的には、「人間は雑食だ」と考えられています。
ベジタリアンは、「人間は草食だ」と考えています。
糖質制限実践者は、「人間は肉食だ」と考えています。
このように、「人間の食性」についての答えが「定まっていない」のが現状なのです。
そして、この部分の考えが、「何を食べるのが良いか」に反映されます。
人間は雑食だと思う→バランスよく食べた方が良いと考える
人間は草食だと思う→植物性の食品を食べた方が良いと考える
人間は肉食だと思う→動物性の食品を食べた方が良いと考える
このように、前提である「信じる食性」が違えば、当然、その答えである「何を食べるのが良いか」もバラバラになります。
「別にバラバラでも問題ないじゃないか」と思われるかもしれませんが、「食性」を間違えば、食べるものの選択を間違うので、不健康になります。だから、軽い話ではないのです。従って、真実がわからないというのは問題です。
ですが、こう様々な説があると、正しい答えが知りたくても、一体どれが正しいのかわからなくなってきます。
人間の場合、体の構造がどうであろうが、口に入るもの、手に入りそうなものは、こねくり回してでも食べるので、それもまた、本来の食性をよく分からなくしている原因だと思います。
人間の食性は何なのか...真相をつきとめるのはハードルが高いと言えます。
ここからは、そのハードルを高くしている、ある原因についてお話していきます。
「人類の食性は何か」の意見がバラバラになる原因ですが、それは元となっている「人類の歴史」に対する認識に問題があるような気がします。
何故なら、「人間は何食であるか」、「人間は何を食べるのが良いか」について語る人は、必ずと言っていいほど「人類の歴史」を語ります。そして、その歴史の話があるから、その後の主張が成り立っているのですが、
私に言わせれば、それが怪しいのです。
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歴史の大前提に疑問を持つ
何を食べると良いか・・・について語られる時、「人類の歴史」を1つの根拠にされます。
例えば、以下のような内容です。(全員が全員ではないですが、)前者が「糖質制限実践者」が主張される意見です。そして、後者は「ローフードの実践者」が主張されていました。
●700年前、人類はチンパンジーと同じ仲間で、主に果物や新芽を食べていた。その後、進化をして450万年程前には二足歩行になった。果物や新芽を食べていては競争相手が多いので、人類は草原に進出した。その後、肉食獣の食べ残しの、骨にこびりついた肉や、骨髄を食べるようになった。そしてこれらの食材から得た栄養によって脳が発達した。人間は進化して、果実食から肉食に変わったから動物性食品を食べるのが良い
●人類とチンパンジーは共通の祖先から枝分かれした親戚。遺伝子配列もほとんど変わらないから、チンパンジーの食事をお手本にするのが良い。(チンパンジーの食事は、果物や野菜がほとんどで、木の実や昆虫がほんの少し。場合によっては動物も食べる。そして、そういう食生活を送っているチンパンジーは、肥満やガンなどがないといわれている。)
ざっくりと書きましたが、あなたはこの2つの説を読んだ場合、どちらに信憑性を感じるでしょうか。
私はというと、糖質制限をしていて人類は肉食だと考えているから、前者・・・
ではありません。これに関しては、申し訳ないですが両方とも信憑性を感じません。
何故なら、どちらの説も、「人類はチンパンジーと共通の祖先から進化した」という大前提で語られていて、「チンパンジー」を意識しているからです。
人間は昔、〇〇だったが、進化して〇〇という能力を獲得して、〇〇になった~
・・・誰でも目にしたことがある話だと思いますが、私はこの、「進化という現象が絶対に存在している」という前提を崩さないところに違和感を感じるのです。
「食性」を語る時に、進化を持ち出す事の何が問題なのかというと、進化論を信じている人の頭の中では、生物が「変身」するわけですから、同じ生物であっても「変身前」と「変身後」では、体の仕様が変わります。「草食→肉食」みたいにです。
すると、その過程の何時頃に話の重点を置くかによって、意見が割れるわけです。「あの時は果物を食っていたんだ」とか、「いいや、ここからは肉を食っていたんだ」...とかです。
「進化がある」という前提で物事を考えてしまった場合、人類は長い時間の中でどれも経験している事になるのですから、「全ての食性」を持っていても不思議ではありません。また、そうであるからこそ、何とでも言えるわけです。
そういう発想が全て悪いとは思いません。「人類の起源」の真相はわかっていないのですから。私が問題だと思うのは、そこに「進化はないかもしれない」という発想が全くない事です。
「食性」について調べていくと、進化論を前提に人体について語られている場面に遭遇します。本来なら、情報を発信する側も、受け取る側も、「進化論という仮説」の上に成り立っている事を忘れてはいけないのですが、多くの人は、その意識が薄いのです。文脈から、「進化を疑っている」形跡は微塵もありません。
進化が嘘か本当か・・・誰も気にならないのでしょうか。
私は気になります。「進化論」も所詮、仮説に過ぎないからです。また、医療や栄養の分野では、いい加減な説が、一般論として通っています。だから「進化論」が事実ではなくても、別に驚きません。
私は糖質制限の他の理論は、かなり整合性があると思っているのですが、進化論を前提に語られたところに関しては、糖質制限実践者だろうが、何者だろうが、納得ができません。首をかしげたくなります。
「進化論」は多くの人が信じています。そんな中で、「進化論は本当なのか?」という突っ込みを入れると、それだけで「何を言っているんだ」と思われるかもしれません。
避けて通りたいテーマですが、「食性」について調べる以上、必ず出てくる視点なので、「進化論」を無視するわけにはいきません。
「食性」を人間やチンパンジーの祖先から逆算して考える前に、そもそも「進化」があるのか、そこを追求する必要があります。
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進化論を疑ったキッカケ
なんで私が進化論に拘るのか・・・その事について、ちょっと触れておきます。
もうずいぶん前なのですが、「進化論はウソだ」という話をどこかでチラッと読みました。
特に興味もなかったですし、「トンデモ」だと思ったので、調べる気にもなりませんでした。嘘だと言う理由も知りません。
内容も確認しないくらいバカにしていたんですね。
しかし、「進化論はウソ」という言葉だけは頭の中に残りました。
小バカにしていた「進化論は嘘」という説でしたが、何か調べる度に、引っ掛かるようになりました。
私は「体を丈夫にしたい」と思っていたので、その方法を探して、食事も色々と変えてきました。なので、時期によって違いますが、「雑食だ」「草食だ」「肉食だ」・・・これら3つとも「本当だ」と思ったことがあります。
その都度、「その食事が正しいと思う根拠」、「他の食事が間違いだと思う根拠」を調べてきました。
すると、「昔の人類は〇〇だったから、〇〇を食べる方が良い」と書かれているのです。こんな感じでチラッと「進化」の話が出てくるんですね。
進化論を信じていた時は、そんな説を読んでも疑問に思わなかったのですが、「進化自体が嘘」という話を知った後は、どんなに力説されても、バカバカしく感じるようになったのです。
一度こうなると、「では何故、進化があったと思うのか」・・・そこまで説明してくれないと、納得出来ないのです。「もし「進化がない」と過程した場合、どうお考えですか」と、聞き返したくなります。
進化を前提として語られる歴史が、本当に正しいのなら説得力があるのですが、もし進化が嘘だった場合、言うまでもなく、その言説は崩れます。
ですが、今のところ、健康や食の専門家で、「進化論」まで疑っている人は見たことがありません。それだけ「進化論」は根強いと言えます。
誰も突っ込んでくれないので、自分で探していくしかないのかなと思っています。
というわけなので、「進化はあるのか」、「進化があるとしたら、チンパンジーの祖先と人間の祖先は、本当に同じなのか」、そして、「何故、進化論が嘘と言われているのか」について、考えてみました。
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野獣すぎるチンパンジー
まず、人間と最も近いといわれているチンパンジーが、どんな動物で、どの辺が人間と違うのか調べてみました。
「志村どうぶつ園」に出演していたパンくんを見て、チンパンジーは賢く、人間にもよくなつく可愛いイメージでしたので、「人間に近い」と言われるものわかります。
しかし、大人になるとどうなるかを調べると、チンパンジーは完全に猛獣でした。
以下を読むと、どうやったら「これらと共通の祖先」が人間に変身するのか、首をかしげたくなります。
『知ったかぶりの境界線』より引用
・成獣の平均握力は約300kg
・ギネス記録では怒り狂ったメスのチンパンジーが572kgの握力を記録。
・脚力 約350kg
・垂直跳び 3.5~4m
・体重45kgのチンパンジーが両手で簡単に270kgのものを持ち上げた。
・80kgの鉄板を軽々と放り投げる。
・素手で車のフロントガラスを簡単に叩き割る。
・強靭な犬歯と爪を持ち、さらに雑菌ウヨウヨ
・赤ちゃんチンパンジーを貪り食う習性があり、人間の被害も多数ある。
・大人になったチンパンジー(顔が黒い)はきわめて凶暴
人間になつくのは子供のチンパンジー(顔が肌色)まで。
引用元でも、「書かれていることの全てが正しいかどうか分かりませんが、」と前置きしてありますが、それにしても、人間と近いとは思えない程の猛獣ぶりです。筋力はなんと、人間の5倍だそうです。
頭脳ですが、「京都大学の霊長類研究所」の実験によると、子供のチンパンジーの瞬間的な記憶能力は、人間の大人よりも優れているそうです。
他の動物に比べると知能が発達しているので、人間に近い感じがしますが、「赤ちゃんチンパンジーを食べる」とか、「大人になると制御不能になる」様子からは、とても賢い動物にはみえません。調教次第では生涯を通して人間に忠実な犬の方が賢い気がします。
賢いといっても、所詮「動物にしては・・・」という範囲内での賢さです・・・。
チンパンジーは動物の中では賢くて、姿形は人間に一番似ているかもしれませんが、精神面はやっぱり野獣で、完全に別の動物です。人間の賢さとは程遠いです。これの祖先が、どうやったら人間になるのでしょうか。
何代世代交代しようと、物理的にそんな事は無理な気がします。
その疑問は、チンパンジーと人間に対してだけではありません。生物の進化にまつわる全てのストーリーに対しても言えることです。
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環境に適応する為に体は変わるのか?
「チンパンジーと共通の祖先から、時間をかけて人間になった」というのも怪しい話ですが、同じように、「魚が進化して、手や足が生えてきた」という話も、今となっては全く現実味がありません。
体が出来ていない状態で、どうやって魚が陸で生活するのでしょうか。魚の状態の時に、すこしずつ筋トレしていたら、手足が生えてきた→さぁ、陸に上がろう!とでもなったのでしょうか。
しかも、一匹だけ奇跡的に成功しても、同じ特徴を持つ異性がいないと、そいつの代で終了です。
1人だけ特殊な血が混じっても、ハッキリした影響が出るのは次の代か、その次の代くらいです。代を重ねる事にその特徴は薄まっていきます。クォーターの人を見ると、ほぼ日本人に見えるのがいい例です。
大勢で陸に上がらないと意味がないわけです。
それでも、もしかしたら頑張ったらできる・・と思えなくもないので、今度は逆に考えてみます。
もし地球の海面がどんどん上昇したら、陸の動物が、海の中で生活できるように変化する・・・ような気がするでしょうか?
そう考えると、ちょっと厳しいと思いませんか。
なんというか、感覚としてありえないのです。
何万年たっても、エラ呼吸出来るようになるとは思えません。溺れるのが先です。代々水泳選手の家系でも難しいと思います。
魚が陸上に、サルが人間に・・・と「他の動物が人間に近づいてくる」というのであれば、想像が出来ます。何故か「そういう変化が本当にあっても不思議ではない」と思ってしまいます。
ですが、その逆、「人間が何か別の動物になる」と思うと、それはありえない気がしませんか?
また、世界には、厳しい身分制度のせいで、何世代にもわたって、繰り返し繰り返し同じ仕事を強いられる人達がいます。しかし、そういう人達が、「何世代も同じ環境に晒された事で、その仕事に適したように体の形が進化した」という話は聞いた事がありません。過酷な労働で短命になるという共通点があるくらいです。
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生き物は最初から完璧である
子供の時から進化はあるものだとして教えられると、なんとなく「体は変化していくのかな・・・」と思ってしまいます。進化の過程の絵やCGを見せられるので、説得力もあります。
しかし、「進化論は嘘」という視点で考えると、ファンタジーに思えてきます。考えれば考える程「進化はありえない」気がしてきます。
そして、進化がありえないと思う理由はまだあります。
もし、生物が必要に迫られて、生きる為に体をカスタマイズするとなると、時間がかかるはずです。パソコンと違って、操作1つですぐに拡張できるわけではないからです。
もし「新しい能力を獲得できないと、環境の変化に耐える事が出来ない」としたら、少なくとも、新しい体への移行期間は生き続けることが出来ません。カスタマイズの途中で途絶えてしまいます。
例えば、魚が陸に上がるには、最初から体に陸で呼吸できるシステムがないと生活できません。そして、あの体では、例え陸に上がったとしても外敵にやられてしまいます。
人間も同じです。「チンパンジーと共通の祖先」から人間になる為には、知能が発達する必要があります。しかし、知能がない人間は弱小です。
祖先にどれだけの身体能力があったのかは知りませんが、人間の元なら大した身体能力ではないでしょう。だとしたら、人間の祖先が弱肉強食の野生で生きるには、道具を使える知能が最初から備わっていないと、弱すぎて生き残ることは難しいと考えられます。
時間をかけてゆっくり脳を大きくして、知恵で他の動物に勝利するまでに、他の動物に駆逐されてしまいます。人間の場合、劣っている体力をカバー出来る、他の動物を出し抜く頭脳が必要になります。最初の時点でバカだったら終わりなのです。
パワーアップするまでにやられる可能性が高いことを考えると、途中からジワジワ能力を獲得するのは現実的ではありません。生物は最初から「生き残る為に必要な機能」を備えていなければ、生きることは困難だと思います。
でも、私が言っても説得力がありません...。
なので、似たような趣旨をより具体的に説明している、ファーブル昆虫記のアンリ・ファーブルの話を紹介します。
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進化論に否定的だったファーブル
昆虫学者のアンリ・ファーブルは、自身の研究から、「生き物は、生まれたときから完璧なシステムをもっている」という事を知っていました。その上で「進化論」を否定していたようです。
生き物と向き合うという地道な研究をしていた人の意見なので、これを読むと「進化論は嘘だという説は正しいのではないか」という思いが強くなります。
『宇宙ゴーゴー』より引用
つちばちの親は、自分よりも大きなハナムグリ(こがねむしの一種)の幼虫をつかまえると、その腹側の神経中枢を針で一刺しにして、生きたまま麻痺させます。
それから、幼虫を地中にひきずりこみ、その腹上の決まったところに卵を一つ産みつけて、飛んでいってしまいます。
やがて卵からかえったつちばちの幼虫は、動けないハナムグリの幼虫の大きな身体を自分がかえったその場所から食べ始め、中へともぐりこんでいきます。あわれなハナムグリの幼虫は、食べられながら身動きもできず、生きているのです。
結局ハナムグリの幼虫は、皮とわずかなすじを残して食べつくされる最後のときまで生きているのですが、つちばちの幼虫はその抜け殻の中でさなぎとなり、やがて親蜂になります。
そこでファーブルさんは、蜂にかわってハナムグリの幼虫をしばって動けなくしたり、卵の場所を変えてみたり、途中でエサをすりかえたり、いろいろやってみます。
そして得た結論は、ほんの少しでもやり方を変えると、ハナムグリの幼虫は死んで腐ってしまい、つちばちの幼虫もそのエサといっしょに死んでしまう、ということでした。針の刺し方、卵を産む場所、つちばちの幼虫が動けないハナムグリの幼虫を食べていく順路など、すべてが正確に行われないと、つちばちは生きていけないのです。
一番最初にハナムグリの幼虫をエサに使おうと思いついた親蜂が、この手順を知らなかったり、ちょっとでもまちがえたら、このつちばちは子孫を残すことはできません。
この一番最初の親蜂が解剖学を心得ておらず、幼虫の集中した神経中枢節の一刺しで全身麻酔をさせられなかったら、もし卵をちがうところに産んだら、もしつちばちの幼虫が少しでもちがった順番でハナムグリの幼虫を食べていったら。それらはすべてつちばちという種の保存にとって致命的であると、ファーブルさんは述べています。
しかし、不思議な話です。どうして最初にこの方法を思いついた親蜂が、ハナムグリの幼虫の神経中枢の場所を知っていたのでしょうか?なぜ卵を産むちょうど良い場所を知っていたのでしょうか?仮にそれらを知っていたとしても、こんな状況は初めてのはずのつちばちの幼虫が、なぜハナムグリを殺さぬよう食べていく順番を知っていたのでしょうか?
ファーブルさんはこう言います。
「まったく、(ダーウィン主義者がよくいう)獲得された習性というのは奇妙なものである。あるひとつのことが、それができないものによって成しとげられ、同じように無能なものたちによってどんどん立派にされていった、想定するのだ。・・
ところが、獲得された習性の起源について、そのいろんな可能性を調べてみると、私はただ”ゼロ”という答えしか得られない。もしも生き物がその職業を(初めから)根本まで究めていなければ、もしも彼に(さらなる能力の)獲得の必要があるのなら、死ぬしかない。これは避けられないことである。。
・・もしも彼が知らねばならぬことをみな知っているのなら、彼は栄え、子孫を残すであろう。しかしそうすると、それは先天的本能だ。覚えることもちっとも要らず、忘れることもちっともない、時を通じて不変な本能だ。」
つまりつちばちは、生存のための手順を、最初の世代からとことん知り抜いていないと、どうしても次の世代を残すことはできないのです。このように生物は、すべての機能をはじめから全て与えられていないと生きていけないのです。
このように、ファーブルは、進化論に対して批判的だったようです。
必要な機能は始めから備わっていないと生きていけない・・・これは、「つちばち」と「ハナムグリ」の話ですが、「生物の設計」に無駄がないというのは、他の動物にも当てはまることだと思います。
ちなみに、「ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル」は、1823年~1915年(91歳)と、結構最近の人でした。
引用元の記事では、このファーブルの話だけではなく、「進化論が間違っている」という根拠が紹介されていますので、興味のある方は是非そちらも読んでみて下さい。
後編へ続く
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