謙虚さ

 

 

「自分の事」を褒められると嬉しいように、日本人の事や、自分の住む市、県、国を褒められれば嬉しくなります。

 

 

「自分が所属する何か」が褒められると、自分が褒められた様な気になるからです。そういった感覚は、多くの人が持っていると思います。

 

 

しかし私は、「自然体」でいたいタイプなので、基本的に 美化したり盛るのが好きではありません。

 

 

必要以上に褒められたり、美化されると、相手を騙しているみたいな気になるので、あまり嬉しくないです。事実と違えば、「違うよ」と言います。

 

 

「本物を良く見せる為に磨く程度、小奇麗にする程度の美化」ならいいですが、「本物の原型が分からなくなるレベルの美化」は嫌なのです。

 

 

地味かもしれませんが、誤魔化しや嘘が無い方、少ない方を好みます。飾りはできるだけ取っ払いたいタイプです。

 

 

情報を調べる時、発信する時もそのスタンスになります。何かを分析する時は、感情を入れずに、事実は事実として、把握するように心がけています。好き・嫌いは別です。

 

 

日本の国や、日本人の性質に対しても、冷静な見方をします。従って、ここ最近よくみかける、

 

 

ーー

 

天皇の仕事は大変?昔はヒーローに依存していた。ヒーローに依存するタイプ権威主義

 

 

美化していない「日本の本当の姿」を追及しようとすると、天皇や憲法の問題に触れる事になります。

 

 

それらに対して、思い入れが強い人に話すのは気を使います。

 

 

ワクチンを打とうとしている人に、「それ、考え直した方が良いよ」と説明するのは、得意になりましたが、「日本の話」はそれより大変です。

 

 

 

反ワク活動において、今後、分断の大きな原因になるのは、「憲法」や「天皇」に対する考え方の違いです。

 

 

 

人権がなくなると...

 

 

改憲をすると、日本国民は人権を失います。独裁的な社会になれば、多くの人が搾取され虐げられ悲惨な人生を送ることになります。

 

 

コロナ禍では、ドイツなど、いくつかの国がそんな状況になっていました。

 

 

 

 

日本国民を守ろう...と思ったら、憲法を、人権を守る方向で行く必要があるという話を前回しました。

 

 

でないと、こうなるからです。

 

 

もし、戦前・戦中の「大日本帝国憲法」のままだったら、人権は守られてないので、外国のようになったことでしょう。それ以上に酷いかもしれません。

 

 

人権を守ってくれている「日本国憲法」がいかにありがたいか、よくわかります。これだけでも世界に誇れます。

 

 

 

 

改憲は日本国民を守れないのです。改憲すると、国民は間違いなく危険な目にあいます。

 

 

 

 

「憲法を変えたいと望む人達」は、「人権意識の低い世界」に誘導しようとしているので、そうなると日本国民は守れません。

 

 

 

国家による圧力、ワクチン強制、デジタル監視、徴兵制...こんな風になったら、守るどころの話ではありません。

 

 

 

肝心な事が抜け落ちている「守る」の意味

 

 

「憲法を変えたいと望む人達」は、彼らなりに「日本を守りたい」と考えていますし、日本の事は大好きです。

 

 

しかし、好きであるが故に、冷静に分析することができません。

 

 

例えば、「守る」という行為そのものはカッコイイです。子供が戦隊もののヒーローになった気になるのと一緒で、気持ちが高揚します。

 

 

 

 

 

でも、大人はそれではダメなんです。

 

 

「守っている」という役に酔いしれて、「解決にならないトンチンカンな行動」を取るなら本末転倒です。

 

 

本当の意味で「守る」とは、どんな行動の事を指すのか、守っているつもりが、「守っている風」「やってる感」だけになっていないか...冷静に考えて行動しないと、頑張ってるのに、おかしな方向に進みます。

 

 

 

戦前・戦中の日本人も、確かに「日本を守る」という意識はあったと思います。しかし、頑張る方向を間違えたので、変な方向にいきました。

 

 

同じ失敗をしてはいけません。

 

 

 

 

日本は好きだけど、熱狂的な日本ファンにはならない

 

 

「ファンになる事」と、「自然体で大切に思う事」は全く違います。

 

 

前者は「評価の対象」を溺愛しているので、冷静に判断することが難しいです。対象を崇拝したり美化したりします。

 

 

一方後者は、冷静です。だからといって「評価の対象」を嫌っているわけではありません。

 

 

私は日本の事は好きですが、ファンではありません。冷静に判断します。悪い事は「悪い」、良い事は「良い」と言います。

 

 

感情的に「日本っていいなー」と思う瞬間はありますが、それは「日々の暮らしの中」でふと感じることで、どちらかというと落ち着いた気持ちです。人にアピールする事もなく、自分だけで静かに認識します。

 

 

 

ファンのように熱狂しません。崇拝もしません。

 

 

 

私もある程度の年齢なので、日本の良い点、悪い点も把握していますし、それなり語ることもできます。

 

 

また、大正、昭和生まれの祖父母を持つ日本人ですから、年配の人との付き合いも多く、彼らの経験もたくさん聞いてきました。

 

 

日本生まれの日本人だけど、普段はあまり日本の事を意識しません。当たり前すぎるからです。そういう人は多いと思います。

 

 

基本的に私の場合は、「取って付けた様なわざとらしいもの」が嫌いなので、自然体で大切にします。

 

 

好きな事であっても、疑問を感じたら指摘します。

 

 

ーー

 

 

 

 

本当の昔の日本人の姿が埋もれる。

 

 

GHQが日本人にとってよくない政策をしたことは確かです。そしてそれが、今の日本人に大きな影響を与えているのも事実です。

 

 

しかし、だからと言って、「そうではない事」まで、何でもかんでもGHQのせいにするのはダメだと思います。

 

 

私が、「全てGHQ悪玉説」に違和感を感じるのは、大正、昭和生まれの高齢者と仲が良かったからです。

 

 

そのおかげで、以下の事が分かります。

 

 

●本人が語る戦争体験から「日本人の残虐性」が分かる

 

 

●大正・昭和初期生まれの人の性格の傾向(情があるが、縦社会、人権意識低い)が分かる

 

 

知っているので、誰かから昔の日本人は素晴らしかった...等と言われても、鵜呑みにはしませんね...。

 

 

どこからどこまでの範囲を「昔」と定義しているかは、人によって違うでしょうが、「GHQ以降」と比較されることが多いので、それ以前を「昔」としているのだと思われます。

 

 

昔の日本人の精神性が優れている...とか、こんなすごい武勇伝があった...とか、「素晴らしさの元ネタ」は、やはり戦争中の話が多いです。

 

 

「あの当時の人の性格」がどんなものだったのかも、実際の付き合いを通じてよく分かっています。

 

 

「彼らは特別に素晴らしいと思うか」...と問われたら、申し訳ないですがそうは思わないです。「人による」としか言いようがありません。でもそれは今の日本人も同じです。

 

 

「戦争を経験してないであろう人が語るストーリー」と、「大正~昭和初期生まれの人から聞かされた生の戦争体験談」が大きくかけ離れていることが分かるので、違和感が先にきて、感動にはいたりません。

 

 

 

昔の日本や、日本人の事を特別素晴らしく感じないのは、よく言われる「GHQに植え付けられた自虐史観」ではありません。

 

 

「美化が壊れるような都合の悪い説」に対して、何でもかんでも「自虐史観」、「自虐史観」と言う傾向がありますが、それは言論弾圧なので辞めた方がいいでしょう。

 

 

リアルと理論。

 

 

私は昔から、知り合いから色んな体験談を聞くのが好きでした。テーマはなんでも。

 

 

 

闘病の話、家庭の話、仕事の話、そして戦争の話もです。普通の人でも、ドラマがあって面白いので、食いついて聞いてました。それが可愛がられた原因でしょう。

 

 

 

 

特に、平和な日常とかけ離れている戦争や。その当時の社会状態は興味深かったです。

 

 

彼らの生きた現実は、平和な時代に生まれた私からすると、非日常的、十人十色の凄いストーリーなので、下手な映画よりも印象に残っています。

 

 

昔の人の話を聞いていると、歴史として後世に残るのは、ほんの僅かな情報なんだなとよく思います。その話も、受け取った人が誰かに伝えなければ、消えてしまいます。

 

 

情報を沢山集めて記録する事、そしてそれを歪めずに伝えて行くことの大切さを実感します。

 

 

情報を整理する時は、次のどれに当てはまるのかを考えます。

 

 

事実・・・現に発生した不変的な出来事や状況のこと

 

 

現実・・・個人が,自分自身の知覚フィルターを通して見聞きした(体験した)事実のこと

 

 

理論・・・個々の現象を法則的、統一的に説明できるように筋道を立てて組み立てられた知識の体系。

 

 

 

どれも大事ですが、どちらかというと、私は事実や現実を重視します。

 

 

この世には「素晴らしい理論」が沢山ありますが、「話を組み立てた人」の思想が入り込んだり、悪意をもって作られることもあるので、どんなに完璧そうな話でも、鵜呑みにはしません。

 

 

事実や現実といった「良い素材」をたくさん集めることで、理論が正確かどうかを検証しやすくなります。

 

 

 

 

 

事実や現実と、理論が合っていれは、それは正解だと捉えますし、

 

 

事実や現実と、理論が合っていなければ、理論の方を疑います。

 

 

 

事実や現実が伴わなければ、どんなに素晴らしい理論でも、机上の空論です。

 

 

 

私はこういう基準なので、「経験者の話」は重要視します。(彼らが嘘をついていないという前提ではありますが)あと聞いた件数も。

 

 

歴史の場合はどうかというと、自分で確認できる事は限られています。事実や現実を確認するのは、過去になればなるほど難しくなってきます。

 

 

理論の方は、「時の権力者」が都合よく書きかえたがる...ということも頭にいれているので、「主流の説」であっても、「この説が絶対」と決めつけないようにしています。

 

 

自分が直接知っている年寄り達から聞いた戦争体験談や、彼らの性質と、あまりにかけ離れている話は、信憑性を疑います。

 

 

地域や置かれている状況に差があったとしても...。

 

 

 

 

国民の怒りを外国へ向ける手口

 

 

GHQが日本の教育や文化を変えてしまって、それによって戦後日本人の価値観に影響があったのは事実です。その恨みがあるから、GHQ叩きが大好きなのでしょう。

 

 

昔からありましたが、だんだん過剰になってきてるように感じます。

 

 

これって、韓国や中国の人が、ことあるごとに日本人を叩くのと似ています。

 

 

「自国の問題」に目を向けさせない為に、外国人を叩くよう誘導するのは、昔からある手口です。

 

 

乗せられた人と誘導している人がいるはずです。

 

 

GHQ許せんがエスカレートし、こいつらがいなければ日本はもっと良かったがエスカレートし、日本人はこんなに素晴らしかったがエスカレートし、日本人は何も悪くない...

 

 

という流れで今の美化に繋がったんだと思います。

 

 

戦争犯罪を美化し、特攻を美化し、遺伝子を褒めるようになるなど、目に余ります。

 

 

ーー

 

 

先日、参政党の改憲(創憲と彼らは言っている)案ができたので見てみると、天皇中心の国に変えたい内容となっていました。

 

 

 

要するに、戦前のように、「国の為に死ね」と言われたら、死ななければならない、「国家や天皇ファースト」の世界にしたい...という事です。

 

 

この思想のせいで、80年前に我々の先輩達は悲惨な目に合いました。日本人なら誰でも一度は聞いているはずです。

 

 

この憲法案が危険な内容である事は、小学生でも理解できるはずですが、これを絶賛している大人がいます。参政党に期待をかけている人達です。

 

 

ヒーローに依存するタイプの人はこうなります。ヒーローの思考や言動や行動に問題があっても、「おかしい」と感じなくなるのです。それどころか、何でも称賛します。

 

 

また、日本や天皇を神格化している人にとっては、参政党の考えは素晴らしく感じるみたいです。

 

 

天皇を神格化したり、崇めたりするのも、「依存」や「他力本願」が根底にあります。そして、天皇のマイナス面は見ようとせず、プラス面ばかり褒めます。

 

 

天皇は素晴らしい、凄い人だ...と、言う人はけっこういるのですが、その誰も、天皇と直接の知り合いではありません。

 

 

適当に想像で言ってるのでしょうが、彼らなりの理由はあるみたいです。

 

 

聞いた理由を思い出しながら、どんな風に凄いのかを考えてみたいと思います。

 

 

天皇の仕事~スケジュールの大変さ~

 

 

天皇を崇拝している人達は、「天皇の公務の大変さ」を評価しています。だから凄いと。

 

 

それはそうでしょう。否定はしません。あの堅苦しい話し方、式典、ハードなスケジュール...確かに大変だと思います。

 

 

でも、だからといって、「他の日本人」が凄くないわけではありません。大変な仕事をしている人は、他にもたくさんいるからです。

 

 

それに、「仕事量が多いから偉い」、「仕事量が少ないから偉くない」...という基準だけで、正確な「人の評価」はできません。

 

 

お金の有無、能力、仲間の数...等、条件が違うので、「出来る事」に差があるのは仕方ないです。

 

 

サポート無しで、1人で仕事をこなす人、

 

おつきの者やマネージャーや秘書...何でもいいですが、サポート役と協力して、大きな仕事をこなす人

 

 

...役割の違いもあるので、人によって「大変さ」は違います。

 

 

環境に差があるので、「出した結果」だけを見て、能力はもちろん、人間の尊厳や価値を決めない方が良いです。

 

 

天皇の仕事~環境適応~

 

 

天皇の仕事は大変だと思います。

 

 

「なんの訓練もしてない庶民」があれを代わりにやれ...と言われるとキツいですが、

天皇の場合は、生まれた時から経験しているので、それが普通になっていると思います。

 

 

天皇に使えている人達は優秀で、必要な物も揃っているはずなので、「敷かれたレール」に沿って業務をこなしていれば、「生まれ持った能力」は関係なく、それなりにできるようになるでしょう。

 

国会議員もハードスケジュールですが、「本人の努力」だけではなく、秘書のサポートがあるから滞りなく仕事をこなせるです。

 

 

天皇の仕事は庶民にはキツイですが、その逆も言えます。

 

 

「皇族の暮らし」をしていた人が、いきなり「最低賃金で働く生活」を体験するとしたら、キツイと思います。

 

 

「慣れていない事」は、何でもしんどいものです。適応できるか、合うか・合わないかの問題です。

 

 

頑張ってます!苦労してます!...と苦労を強調する人は多いですが、でもそれ、生きているみんな同じです。苦労している事を語らない人も沢山います。

 

 

「生きる大変さ」だけで誰が大変かを決めるなら、ガザ地区の人達、北朝鮮の貧しい人...等でしょうね。環境から抜け出せないからです。

 

 

何事もそうですが、嫌になった時、合わない時、「変える自由」があるのは幸せな事です。

 

 

逆に、「変える自由」がない人は、本当に気の毒です。

 

 

天皇の気の毒な事

 

 

天皇が可愛そうなのは、「仕事の大変さ」ではありません。仕事が嫌でも辞められない事、自由に発言できない事、人権が無い事です。

 

 

自分の人生を自分で切り開く自由がないのは、さすがに気の毒です。

 

 

天皇にも国民と同じように人権を与えて、今の仕事が大変なら、誰かと協力するとかにして、負担を軽減した方がいいと思います。「天皇が大事」と言ってる人は、そういう発想にはならないのでしょうかね。

 

 

私は誰か一人に「絶対的な権力」を与えて、誰も逆らえないようにするのは反対ですが、逆に、誰か一人に「大変な仕事」を押し付けて、負担をかけるのも反対です。

 

 

私はあの堅っ苦しい式典に参加したり、丁寧すぎる言葉使いで話せ...と言われてもできませんが、世の中には、ああいった雰囲気が大好きで、やってみたい人はいると思います。

 

 

1つの一族だけに大変なことを任せるのは、可愛そうなので、やりたい人がいるなら、任せるのもいいと思います。しんどい仕事は分散すべきです。

 

 

みんなの国なので、みんなが協力すればいいのです。

 

 

「国の体裁」、「国のシステム」を大事にすることが「愛国心」であるかのように語られますが、私は「国を支える人達全員」を大事にする事も「愛国心」だと思います。

 

 

1人を神格化したり、ヒーローに仕立て上げて、みんなが乗っかる...というシステムは、「担がれた1人」に負担がかかるだけではありません。

 

 

「乗っかる側」も依存体質になり、「自分には責任がない」等と言い出すようになるので、全体が腐っていきます。

 

 

一時、ヒーローに依存してた話

 

 

私は以前からヒーロー願望、依存は止めようと呼びかけています。

 

 

自分がそうだった時期があり、今振り返ってもダメだったな...と思うからです。

 

 

10年ほど前の話、ネットジャーナリストのリチャード・コシミズ氏が全盛期だった頃、よく動画を見ていました。

 

 

「世の中で起こる大きな問題は、アメリカとロックフェラーが原因だ」...という単純で分かりやすい言説と、悪事を暴いていく展開が面白かったですし、

 

 

「それまでになかったような考え方」や、「情報」を与えてくれるので、政治について教えてくれる先生みたいな感覚です。

 

 

今では考えられないですが、「この人は凄い人だ」、「この人がいれば世の中が変わる」と思っていました。

 

 

それだけではありません。コシミズ氏は、「日本の素晴らしさ」も伝えていました。日本人の事を褒めるので、当時の私は「そうだったんだー、知らんかったー」と嬉しくなりました。

 

 

悪い事は叩くけど、良い事は褒める...この姿勢も良かったです。

 

 

 

 

「悪の設定」と、「それに立ち向かう日本人のオッサン」の構図。そして、仲間に向かって「日本人が立ち上がるべきだ!」...と呼びかける...。それに賛同する仲間達。

 

 

今も似たような構図がたくさんありますね。

 

 

...昔は共感していたので、今の「参政党」や「誠真会」を応援する人達を笑えません。

 

 

私も最初はコシミズ氏をヒーローだと思ったり、「耳障りの良い言葉」に感動していたので、同じような心理になる人の気持ちは、よ~く分かります。...というか、あの時の経験が今生きているのです。

 

 

ヒーロー依存の原因について考える

 

 

当時の自分はROM専だったので、発信も行動もしていませんでした。講演会にも行きません。本や動画を見ているだけです。

 

 

今のように活動してなかったし、するのも嫌だったので、「替わりに動いてくれる人」、それも「矢面に立ってくれる人」の存在がありがたかったのです。

 

 

今思うと、依存だし、実に横着な考え方です。昔の自分に、「他人にすがるのではなく、お前が動け!」と言いたくなります。

 

 

今でこそ「日本美化は良くない」と言っている私が、何故リチャード・コシミズ氏の「日本は素晴らしい」に感動したかというと、「さじ加減」がちょうど良かったからです。

 

 

具体的に言うと、コシミズ氏が仕事で見て来た「日本企業の話」が多かったからです。

 

 

「日本の物づくりは素晴らしい」とは私も思っているので、コシミズ氏の話を聞いても、「自分の知識」と矛盾を感じなくて、「確かに」と思う内容でした。

 

 

これがもし、「私の見聞きしてきた事」とかけ離れていれば、「変な事を言ってるな」と思って調べたでしょうが、そうではなかったので、疑問を持つことなく納得してました。

 

 

例えばどんな事を言っていたかというと、彼の本に、「リチャード・コシミズ名言」が収録されているので、それを少し紹介します。

 

 

政治が正義に基づいて日本人のために行われる日を実現しなければならない。そのためには、歴史の真実を日本人が知らなければならない。

 

 

戦争というものは、誰かの利益のために捏造されるんです。戦争によって利益を得る連中のために我々の子供たちを死なせるわけにはいかないんです。

 

 

我々の仲間を増やすことが、我々自身が助かる方法です。我々の子供たちを戦争に送らないで済むためには、それしかない。私も私の息子が戦争で死ぬのは、絶対に見たくない。戦争の危機すらある、ということを、周りの人に知らしめましょう。それが我々の仕事である。責任である。

 

 

あくまでも誠実に。愚鈍なまでに、誠実に。

 

 

ここ三十年くらいかけて、日本人の愚民化が進んでいる。一つには、「ゆとり教育」なんてくだらないこと。ゆとりなんて与えちゃダメなんだ。勉強というものは、厳しいんだから。脱落者を出しちゃいけないんじゃなくて、脱落者は、出て当たり前。

 

 

目先の利益を求めて志を曲げる人物には、本当の幸福は訪れないのです。

 

 

日本・韓国・中国にロシアが加わった四つの極東の国が、経済的に協力したら、世界一の勢力です。私は二十一世紀はこの民族的にも文化的にも近い関係にある民族が一緒になって、世界をリードしていくべきだと思います。東アジア共同体を作り、一緒に経済を運営しましょう。

 

 

辺境の公立高校を出た優秀な子供が一流大学に行ける国が正常な国。「大都市、親の年収一〇〇〇万以上、中高一貫私立」が一流大学合格の条件である国にまともな人材が育つわけがない。貧乏であっても優秀で勤勉な学生なら公的私的奨学金を得て、思う存分勉強できる環境を作るべき。

 

 

私が危険を顧みずにこういう講演をしているのは、自分や自分の家族を守るためなんです。だけど、家族だけを守ることは出来ないんです。国を丸ごと守って、アジア全体を守らなければ、自分の子供を守れないんです。

 

 

この日本という技術立国のはずの国で、医者や弁護士の分野にばかりに優秀な人が行っちゃったら、この国はどうなっちゃうんですか?本当に優秀な人は、その能力をもっと他のところで使おうと、なぜ考えないのですか?

 

 

「金融工学」でカネを転がしてカネを作っていこうなんて発想自体が、人間の進むべき道じゃない。我々日本人は、品質を物に込めて、良い物を作ってきた。それで食ってきた。我々は、カネを転がそうなんて、そんなセコイことは考えない。

 

 

2014年に出版された本に載っているこれらの言葉は、講演会での発言です。

 

 

今の私は、コシミズ氏の考え方とは、ほとんど違いますが、「共感できる名言」もあります。日本の事を褒めていますが、ちょうどいい言い方です。

 

 

コシミズ氏は、「日本の魅力」を語る一方で、「日本人にとって都合の悪い過去の話」もちゃんと話していました。日本人が中国でアヘンを売っていた事や、略奪をしていた事です。日本を美化するだけで終わる今のインフルエンサーとは違います。

 

 

「悪い事」を無かった事にするのではなく、認める姿勢には好感が持てます。

 

 

 

裏社会が「アジア地域が団結しないように」わざと国民同士が仲が悪くなるように仕掛けている。従って、我々は隣人である中国や韓国の人と仲よくしなければならない...という考え方にも共感が持てました。

 

 

だから「中国の工作員」と言われてました。リチャード・コシミズ(輿水正)のリチャードは、海外で仕事をしていた時に使っていた名前だそうです。

 

 

「コシミズ氏の情報」は、ブログ、動画...どれも削除されまくっているので、「正確な情報」は見つけにくいかもしれません。本人の本に出身について書かれているので、その部分を紹介しておきます。

 

 

12.16不正選挙 / 著者 リチャード・コシミズ

 

私RKの始祖は、武田信玄公の陪臣、長沢主膳です。川中島の戦いで勲功を上げ、信玄公から「長沢主膳正正方」の名前を頂戴しているそうです。信玄公なきあと勝頼公に従いましたが、長篠の戦いで討ち死にしています。

 

 

その息子と思われる長沢主膳正正式は、落延びる勝頼公に最後まで付き従い、甲府で斃死しています。その妹(ないしは娘)は。勝頼公のおそばに仕え、岩殿山付近で公に殉死しています。

 

 

長沢主膳の一族は、現在の北杜市北部に土着し帰農して現在に至っています。江戸時代に苗字を「輿水」に変え、現在の当主で51代目を数えます。RK自身は、北杜市中小倉の部落をルーツとする分家の出身ですが、その部落には「輿水」姓以外誰も住んでいません。

 

(282p)

 

 

「プライベートな情報は出さないインフルエンサー」が多い中、コシミズ氏は「家族や先祖の話」をするので珍しいです。

 

 

講演会でも時々話してたので、日本人であることは間違いないと思います。

 

 

そのコシミズ氏が、「日本の良さ」を熱く語るので、私は感動し「日本の事を真剣に考えてくれているんだ」...と、信用したわけです。

 

 

今は「日本美化」と合わせて、「日本人が戦時中でやった悪事」まで無かったかのように語る人が多いです。このぐらい話が極端だったら、たぶん信用してなかったかもしれませんね。

 

 

あと以前は、私自身が知識不足なこともあり、「日本は素晴らしい」という見解を受け入れやすい状態でした。

 

 

「日本人の悪行」に関する知識も乏しかったので、「日本は素晴らしかった」と言われた時、「それって本当なのかな?」と思いません。

 

 

「コシミズが言うんだから、たぶんそうだろう」...と考える程度です。

 

 

頼る事の間違いに気付く

 

最初は凄いと思っても、1年2年と観察していると、色々とボロが見えてきます。

 

 

「え?これおかしくない?」...という感じで、最初は「小さな違和感」から始まります。

 

 

しかし、この段階では、「ヒーローだと思いたい」し、「この人がいないとダメだ」...と思っているので、違和感を深刻に考えないようにします。

 

 

そのうち、「疑問に感じる事」が増えて、だんだん信用できなくなるのですが、どうにもできません。「他に変わる団体」もないので、「ないよりはマシか...」みたいな感じで、新しい動画をチェックだけする...みたいな日々が続きました。

 

 

信用はできないけど、離れる程の決定打はない、状態です。

 

 

でもある時、決定的に「思っていた人間」と違う事がわかり、離れました。国士なんていないのか...と、結構ガッカリしました。

 

 

「ちょっと考え方が違う」から離れたのではありません。「仲間に対する態度」が原因でした。その話は長くなるので、別の機会に書きます。

 

 

私が依存したのは、「ヒーローがやってくれたら安心」という横着な気持ちがあったからです。何もせずに誰かに頼って、期待した私が間違いでした。

 

 

それ以降は、どんなに「良い情報」を提供していても、リーダーシップをとっていても、どんな人でも関係なく、厳しく観察するようにしています。

 

 

本当に素晴らしい人だったらいいですが、人は「良い部分」しか見せないものです。良さそうな人を見ても、「もし違ったらどうするか」...を常に考えるようになりました。

 

 

 

ヒーローに依存するタイプ~権威主義~

 

 

「ヒーローに依存する人」のタイプは様々です。私とは違うタイプもいます。

 

 

例えば、「虎の威を借りて、自分の影響力を高めたい...と考える人」です。

 

 

このタイプのヒーロー依存は、たちが悪いです。酷い場合、「依存」や「ファン」のレベルを越えて「崇拝」レベルまで行き着きます。利害関係が生じる場合もあるので、抜け出す事も難しいです。

 

 

また、「依存」とは別に、本当は好きではないけど「利用目的」でヒーローを応援する人もいます。これもたちが悪いです。

 

 

既に世間に「価値がある」と認められているを身に付けたり、

 

 

既に世間に「価値がある」と認められている人物に取り入れば、上手くいけば、努力せず、自分の価値を高めることができます。これも横着の一種です。

 

 

 

「天皇を崇拝する人」には、このタイプが多いです。

 

 

「本当に素晴らしい人」を拝みたいから、天皇を崇拝しているわけではありません。

 

 

「本当に素晴らしい人」を拝みたいのであれば、天皇だけでなく、「世の中のあらゆる素晴らしい人」を拝むはずですが、そうではない...。

 

 

天皇だけを、「最初から決まっているヒーロー」のように特別扱いしています。

 

 

崇拝を公言すれば、「崇拝の対象に近い仲間」であると、印象づけることができます。

 

 

愛国者であればあるほど、側近であればあるほど、忠誠心が強いと思われる人程、「崇拝する対象」に近くなります。

 

 

同じ思いの人達の間では、「どれだけ崇拝できているか」は重要なので、「想いや忠誠心の強さ」を競い合います。これを無意識にやります。

 

 

日ごろから「忠誠心の強さの競い合いゲーム」をしていると、関係ない人にまで、それを押し付けるようになります。出来てない人に、ダメ出しするようにもなります。

 

 

「国旗」というアイテムを使用するかどうかの問題で、他人の「愛国心」にイチャモンをつける人がいます。あれは「お前は国に忠誠を誓ってないのか」という意味合いが含まれています。

 

 

彼らの言う「愛国心」とは、「純粋に国を愛する心」ではなく、どちらかというと「国(政府)に対する忠誠心」に近いです。

 

 

「愛国心」は文字だけ見たら美しい言葉ですが、天皇崇拝の人が使う「愛国心」からは、権力を愛する匂いがします。

 

 

力に対する崇拝なのです。

 

 

「ヒーローに依存する人」には、「自分がのし上がりたい」と思っていたり、「権力の側につきたい」...という気持ちが潜んでいる可能性があります。

 

 

この性質の人はしたたかなので、本心を隠すのが上手く、一見良い人に見えます。しかし、何かの問題に直面した時、「不誠実な面」を出す事もあります。

 

 

「ヒーローを崇拝したり、依存している人」の行動や発言を、普段からよく観察してみて下さい。「付き合う相手」に合わせて態度を変えるタイプが多いです。

 

 

彼らは選民思想、優性思想を持っているので、「自分より下だ」と判断した相手や、「利用価値がない」と判断した相手には、極めて冷たい態度をとるのでよくわかります。

 

 

しかし、「上の立場の人」に媚びを売る能力は高いので、本性を隠し通すことができれば、「上の立場の人」からは信用されます。「いい面」しか見えないからです。

 

 

そしてこのタイプは、「権力がある人の悪い面」を見ても、「自分にとって利用価値がある」と判断したら見ないフリもできます。

 

 

参政党の悪い面、トランプの悪い面、天皇の悪い面...指摘してもスルーです。

 

 

悪い事に見て見ぬフリができるから、権力を崇拝できるのです。

 

 

権力に対する崇拝...この本心が見え隠れするから、天皇崇拝の人とは、最終的に合わなくなります。