お知らせ

 

 

私達は憲法によって言論の自由が守られているので、

食や健康等の問題を主張する事ができます。

 

 

 

 

元々憲法改正賛成派だった人の解説です。

 

 

 

 

谷本議員と一緒に飛行機を降ろされたもう一人の人物・高橋清隆氏について

 

 

 

谷本議員らがノーマスクで強制降機! 釧路空港のエアドゥ機、「憲法違反を公然と行う航空各社への行政指導を国交省に求める」

 

 

一緒に飛行機を降ろされた反ジャーナリスト高橋清隆氏による、谷本誠一議員のインタビュー動画です。

 

 

 

 

 

身近な人が被害に合った時の為に

とりあえずブックマークをお願いします。

 

 

 

 

 

 

タグ:日本人
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昔の人の「体力」と「健康状態」についてお話します。

 

 

前回は、食が欧米化するまでの子供達は、感染症にかかりやすく、実は「現代でイメージされているような健康体ではない」というお話をしました。

 

 

健康には昔ながらの和食が良い?実は栄養状態が悪かった昭和の子供達

 

 

食が「欧米化」する前までの日本は、子供達だけでなく、大人も短命でした。

 

そうなるのは、和食の栄養に問題があります。和食は動物性食品が少ないです。

 

 

人間の体は「動物食性(肉食)」なので、「タンパク質」や「脂質」が不足すれば、当然体は弱ります。和食に多い「糖質」も体にダメージを与えます。

 

 

 

 

 

 

 

昔の日本人は、「脂質」や「タンパク質」が不足していたので不健康だったのです。

 

しかし、ここで一つ大きな疑問が生じます。

 

不健康だったのにも関わらず、昔の人の体力は、異常過ぎるのです。

 

 

 

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昔の人の体力

 

 

ではまず、不健康な食生活をおくっていた昔の日本人の「体力」が、どのくらいのものだったのか見ていきます。

 

 

『Yahoo!知恵袋 江戸時代以前の剣豪や忍者の身体能力 現代のトップアスリートと比べて優れているのか? 劣っているのか?』より引用

 

 

優れている部分もあれば、という感じでしょう。とりあえず、スタミナと筋力に関しては昔の人々は異常です。

 

 

当時の飛脚たちの中で、さらに走るのが達者な人たちを「早道」と言っていましたが、宮本武蔵が書いた五輪書の中で「早道は1日で40~50里(160~200km)ほども走る」と書かれています。

 

 

同じく、日本に来た小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、その飛脚たちの体力に驚愕。「どんな食い物を食ってるんだ」と見せてもらったら、握り飯が2つと漬物が数枚程度だと知りさらに驚愕。

 

 

そこで「よし、力を出すには肉だろ」と思い、その飛脚に試しに肉を食わせて走らせたら、胃もたれして全く走れなかった。小泉八雲は「日本人の食事は完成されている」と悟った…。

 

 

といった記録がありますので、おそらく事実です。

 

 

大体、現代人とは比較することが馬鹿らしいほど昔の人々は身体をよく使いました。
メールや電話もないし、車もチャリンコもないし、普通に生活すること自体がトレーニングでした。

 

 

 

『Yahoo!知恵袋 現代人は昔の人に比べて体力がない?』より引用

 

昔の人は非常に力もスタミナもありました。

 

 

お年寄りの女性でも、米を5俵(300キロ!)背負って山道を歩くことなんて当たり前でした。しかも自分一人で背負って降ろすことをしていました。300キロですよ!

 

http://w1.avis.ne.jp/~take8n/k-toh-8-1.htm

 

 

私の曾祖母も、60歳ぐらいのときでも、200キロぐらいは平気で背負って急な山道を歩いたそうです。

 

 

 

ちなみに、現代人では、若い男性でも1俵が背負えない人が多く、まして1俵とはいえ山道を歩ける人はそうはいないそうです。

 

 

さらにちなみに、山では、今でもボッカ(歩苛)といわれる荷物を背負って山小屋に物品を運搬する職業の人がいますが、尾瀬ヶ原のような比較的、緩やか、かつ平坦、かつ歩きやすい木道の登山道でさえ、120キロぐらいを限界として背負うそうです。

 

 

本格的な山の場合(急な坂道がある登山道の山)、80キロぐらいを限界として設定しているそうです。数十年前は、200キロぐらいを背負うボッカさんはいたようですが、今では健康面を考慮しているのかもしれませんが、その程度だそうです。

 

 

以前、NHKテレビで昔の山形県の農家の女性の米担ぎをやっていましたが、重い荷物を背負うのはコツのようなものがあるそうです。

 

 

でもかといって、300キロは現代人では鍛え抜かれた男でも無理じゃあないですかね?

 

 

 

江戸後期、上州(現在の群馬県)高崎の飛脚で弥助という脚力で有名な男がいましたが、彼はなんと高崎・江戸間(往復二百余キロメートル)を一昼夜で往復でき、そのため藩の御用を勤めるなど繁盛していたそうです。

 

 

 

また、あるとき、高崎藩で大坂に急用ができ、弥助はたったの3日で東海道を走破して大坂に行き、帰路も3日で帰って来たそうです。

 

 

現代では、舗装された緩やかな道路もトンネルも夜間の照明もありますが、それでも高崎~東京の江戸城近辺を24時間で往復でき、東京の江戸城~大阪を6日間で往復できる人なんて絶対にいないでしょう。マラソンの世界記録保持者でも無理ですね。

 

 

 

昔は、忍者はもとより軍使などでも急を要す場合は、まる3日間飲まず食わずで走り続けた例も多々あるようです。これは虚偽ではなく、距離や所要時間を計算した結果でも証明できるようです。

 

 

日露戦争の日本陸軍のある師団か連隊かは、戦争中、補給がうまくいかず、まる3日間食べ物どころか一適の水も飲まずに全員がかなりの激戦を戦いました。2日間程度でしたら、こういった例はけっこうあったようです。

 

 

明治時代、外国人が日本に来て馬車を雇い、二十数日間夜明けから暗くなるまで各地を走り回りました。その間、休憩時間といったら食事とトイレだけだったそうです。

 

 

その外国人が驚愕したのは、常に日本人の馬丁が馬と同じ速度で並走し、トイレと粗末な食事を食べている以外の時間は馬の世話をしていたことでした。世界中を旅行してきたその外国人は、日本人の異常なまでの体力に驚愕したそうです。

 

 

これらは私が知っている知識の中のいくつかの例であって、昔の人のレベルでは取り立てて特別なことでもなかったようです。現代人よりもよほど質素な食事で、スポーツ学もなかった時代、毎日のようにそんなハードな体力を使っていたのですから、まったく昔の人は驚異的です。

 

 

うーん、ただ、戦国時代は「人生50年」でしたよね。だから、三十歳時点では戦国時代の三十歳のほうが持久力も筋力もあるかもしれないけど、50歳だと現代人のほうが上だったりしないのかなあ。

 

 

要するに、筋力も持久力も強いけどその分老化も早い、みたいな。

 

 

今も、スポーツ選手や肉体労働を中心とした仕事をしている人は、そうでない人に比べて寿命がやや短い気がします。「どちらがいいのか」と言われたら微妙ですわね。

 

 

昔は咀嚼回数により顎が非常に発達していて歯並びがよかったらしい
今の人は噛まないので噛み合わせが悪くて力が弱いだの聞いた事がある

 

 

現代のプロスポーツ選手の中には改善のためマウスピース使う選手も居るらしいし
そういう面から考えると肉体的な平均ポテンシャルは高いのかも知れませんね

 

 

『Yahoo!知恵袋 江戸時代の日本人は、現代の日本人よりも身体能力や体力が高かったのですか?』より引用

 

>江戸時代の人は、足で山を平気で越えていたのですよね。

あ、それと江戸時代までの日本人は西洋式スポーツとは違う身のこなし方をしていた。これを「なんば歩き」と言って、非常に体に負担をかけない動き方でした。

 

 

これを現代に再現して、体の故障を予防したり、リハビリに応用したりしています。これも「なんば歩き」でググってみて。

 

 

今はみんな西洋式になってしまって、スポーツにはケガのリスクが付き物になってるね。

 

 

 

以上、気になる話をいくつかピックアップしてみました。

 

 

冗談みたいな話ですが、おそらくこれは嘘ではないでしょう。本当に昔の人は、とんでもない体力を持っていたようです。ここで、紹介した内容を簡単に書き出してみます。

 

 

 

  • トップクラスの飛脚は、一日で160~200kmほども走る。

 

 

  • 飛脚の食べ物は、おむすび2つ、漬物数枚だった。ところが肉を食べさせたところ胃もたれして早く走れなかった。それを見た小泉八雲は「日本人の食事は完成されている」と悟った。

 

  • お年寄りの女性でも、300キロの荷物を背負って山道を歩き、自分一人で荷物を背負って降ろすことができた。

 

  • 江戸後期、弥助という有名な飛脚が、高崎・江戸間(往復二百余キロメートル)を一昼夜で往復できた。またある時、東京の江戸城~大阪を6日間で往復した。

 

  • 忍者や軍使は、3日間飲まず食わずで走り続けることができた。

 

  • 日露戦争の日本陸軍のある師団か連隊は、まる3日間、飲まず食わずで闘った。

 

  • 明治時代の日本、馬車が二十数日間、夜明けから暗くなるまで各地を走った。休憩は食事とトイレだけ。日本人の馬丁は、馬と同じ速度で並走し、トイレと粗末な食事を食べている以外の時間は、馬の世話をしていた。

 

  • 昔は咀嚼回数により顎が非常に発達していて歯並びがよく、その噛み合わせのおかげで力が出せた。

 

  • 江戸時代までの日本人は、西洋式スポーツとは違う身のこなし方をしていた。「なんば歩き」という体に負担をかけない動き方をしていた。

 

 

 

改めて見てみると、凄い体力です。どうして彼らはこのような体力があったのでしょうか。

 

 

「外国人が驚いた」ということですから、特に昔の日本人の体力が凄かったという事ですね。(外国人の体力はわかりませんが)。

 

 

 

この力の源は何なのでしょう?

 

 

 

よく言われるのが「食べ物」です。

 

 

 

「おむすびと漬物の話」にもあるように、外国人がこれを見たら、「日本人のこの体力は、食べ物のおかげだ」と思いたくなるんだと思います。

 

 

いや、外国人だけでなく、現代人でも「昔の人の体力は、食べ物のおかげじゃないか」と思ってしまいます。

 

 

 

しかし、私は食べ物は関係ないと思いました。

 

 

 

老婆が300kgの荷物を背負う時点で、食べ物とか、もはや関係ありません。おそらく全く別のところに理由があるとしか考えられません。

 

 

 

なんでもかんでも食事や栄養に結び付けて考えようとすると、説明がつきませんし、ハッキリ言って、例えどんな食事をしていても、私は300kgの荷物を担いで山道を歩く自信がありません。ご飯だろうが、肉だろうがです。

 

 

 

ご飯と漬物でこの体力が出せるなら、現代の偏食の人でも、この体力が出せるはずです。

 

 

 

というわけで、食事以外で、昔の人の体力の秘密を考えてみました。思いついたのは2つです。「アドレナリン」と、「酸素濃度」です。

 

 

 

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仮説1:常にフルパワー

 

 

これらの異常な体力を読んで「火事場の馬鹿力」が重なりました。常にフルパワーを出せていたのでは?と思ったのです。

 

 

『医教コミュニティ つぼみクラブ 人体のフシギ | 第41回 火事場の馬鹿力は本当に出るのか?』より引用

 

 

★「火事場の馬鹿力」は本当に出るの?

 

 

私たちの身体には、たくさんの筋肉や骨が存在しますが、これらのパワーを100%発揮した状態で身体を動かし続けると、筋肉や骨にかなりの負担がかかったり、莫大なエネルギー量を消費したりするため、身体はボロボロになってしまいます(身体がいくらあっても足りない!)。

 

 

そのため、筋肉や骨の損傷を防ぐために、人間の脳にはあらかじめ安全装置(リミッターともいいます)がかけられており、意識的に発揮できるパワーに制限が設けられているんだとか。

 

 

つまり普段は、自分の意識の中で「これ以上はムリでしょ」と感じるところまでしかパワーが発揮できないようになっているのです(最大でも70~80%程度)。

 

 

ところが、緊急事態の場面に遭遇すると、脳の安全装置が解除され、アドレナリンがドドドーンと大放出!「これ以上はムリでしょ」と感じる限界を超えて、本来備えられている潜在的なパワーが発揮されるようになるんです。

 

 

ちなみに、アドレナリンとは、副腎髄質から分泌されるホルモン(神経伝達物質)。興奮した時に血液中に大放出され、身体のエネルギー代謝や運動能力を高めるんだよね。

 

 

★火事場の馬鹿力を出すと人体はどうなる?

 

 

100%全開でパワーを発揮すると、筋肉や骨にはかなりの負担がかかります。また、緊急事態の場面ではケガを負うことも十分ありえますよね。

 

 

火傷をしたり、骨折をしたり......、あぁ~想像するだけで痛そう(泣)。

 

 

ところが不思議なことに、火事場の馬鹿力が発揮されている間は、痛みを感じないことが多いらしいのです。

 

 

 

これなら、小柄な人でも力が発揮できるのではないでしょうか。

 

 

 

ただ、この「火事場の馬鹿力」ですが、一応定説では、緊急時に出せる事になっています。

 

 

しかし、これに近い事がもし、自分の意思でいつでも出せたらどうでしょうか。

 

 

出来ないという大前提にはなっていますが。

 

 

ドラゴンボールで例えるなら、キレてスーパーサイヤ人になるのではなく、「コントロールして常にスーパーサイヤ人でいる状態」です。

 

 

先程紹介した記事の中にも「昔の人は筋力も持久力も強いけど老化も早い。現代でも肉体労働をした人は寿命が短い」といった記述がありましたが、これも「火事場の馬鹿力」と共通しています。

 

 

 

さらに、「噛み合わせ、身のこなし等、体の使い方が違う」ともありました。その辺にも何か秘密があるのかもしれません。

 

 

 

それと、脳の安全装置の解除には、「アドレナリン」が大量に必要だそうです。

 

 

 

緊急事態に放出されるそうですが、昔の人って、緊張感の連続だったと思います。山道なんて獣が出るわけですから、常に緊急事態です。

 

 

 

平和ボケしている現代人と違って、「アドレナリン」の分泌量は半端なかったと考えられます。

 

 

 

仮説2:環境が違う

 

 

突拍子もない話ですみませんが、あくまで「仮説」として読んで下さい。

 

 

 

特別な訓練を受けていない普通の一般庶民が普通に凄かったわけです。

 

 

 

ということは、「全員、均等に力が湧く環境」が、当時の地球や、日本列島そのものにあったのかもしれません。

 

 

 

300kgの荷物を自分が背負う事を想像した時に、「どうやったらその荷物が楽に背負えるだろう」と考えました。最初は「重力が軽かったら楽だな」とか思っていたのですが、現実味が0です。

 

 

 

で、「酸素濃度が今と違っていたらどうだろう」と考えたのです。すると「酸素濃度」は本当に変わってきているようです。

 

 

 

『Slownet 第2期 第51回 人間を活かす源・酸素の濃度が下がってきた ~呼吸と酸素の健康法(1)~』より引用

 

 

江戸時代は酸素濃度が29%くらいあったと考えられています。

 

 

また、昭和30年代でも26%はあったと考えられています。

 

 

また私が理科で習った酸素濃度も22%でした。

 

 

いまは都内では20.6%位です(最近代謝の装置を使うので実測していますが、こんなものです)。江戸時代と比べると、いまの都会は低酸素状態と言えるほどです。

 

 

 

これは凄い違いです。「江戸時代にどうやって酸素濃度を測ったんだ」と突っ込みたくなりますが、仮にこれが本当だったら、人間はどう変わるのでしょうか。

 

 

 

『yahoo!知恵袋 酸素と運動について』より引用

 

酸素濃度が高い空間では、酸素を使ってのATPという細胞のエネルギー源が活発に作られますので、身体能力、とくに心肺機能を必要とする運動が向上することが考えられます。

 

 

通常大気に含まれる酸素は20%なので、1、2%上がると効果が見られるでしょうね。

 

 

しかし、25%程度の酸素濃度の空間に長い時間いると「酸素酔い」という現象が起こることがあります。これは血液に溶けた酸素濃度があまりに上がってしまうと身体がその変化についていけず、脳が混乱して恒常性を保てなることが原因です。

 

 

25%を越えるような酸素濃度ではその症状はより強くなり、100%濃度だと一呼吸で意識を失うくらいだそうです。

 

 

酸素は人間にとって欠かせない必要なものですが、同時に毒にもなりうるというわけですね。

 

 

エネルギー物質「ATP」については以下をお読み下さい。

ATP(アデノシン三リン酸)について分かりやすく説明してみた

 

 

 

 

高すぎても低すぎても良くないけど、酸素濃度によって人間の身体機能が変わるというのは、信憑性がありそうです。

 

 

 

 

また、酸素濃度が高い昔は、疲労が蓄積しにくい環境だったと言えます。

 

 

 

現代でも酸素カプセルを使えば、同じ環境を再現できます。

 

 

 

 

『抗酸化環境回復サロンAir 酸素カプセルの効果《詳細版》疲労回復・怪我の早期回復』より引用

 

疲労は筋肉に乳酸という疲労物質が蓄積されて感じるようになっています。

 

 

 

酸素カプセルに入ると血中乳酸値が76%軽減されるそうです!

 

 

 

カプセル内で取り込んだ溶解型酸素が、乳酸などの疲労物質を分解し体外へ除去してくれる働きを持っているのです。

 

 

 

「外国人が日本人の体力に驚いた」という話も、森林が多い日本列島が他の地域に比べて酸素濃度が高かったと考えれば説明がつきます。

 

 

 

ただし、これについては、調べが足りないので、まだなんとも言えません。あくまで仮説です。

 

 

 

ちなみに、最近では、乳酸は疲労物質ではないから悪い物質ではない...という意見をよく見かけるようになりました。しかし、そういう人は乳酸のデメリットを語らないので注意が必要です。詳しくは以下の記事をお読み下さい。

 

 

乳酸のエネルギー源としての働きと、疲労との関係について分かりやすく説明してみた

 

 

余命わずかの末期癌患者が退院できたのは病院での栄養療法のおかげだった!

 

 

 

 

 

そして最後に、おむすび(糖質)のエネルギーについてお話します。

 

 

 

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糖質のエネルギー

 

 

「おむすび(糖質)を食べたら超人になれるかどうか」は、ひとまず置いておいて、ここでは、糖質の性質について話しておきます。

 

 

 

糖質は、すぐにエネルギーとして利用できるという特徴があります。

 

 

 

  • 飛脚の食べ物は、おむすび2つ、漬物数枚だった。ところが肉を食べさせたところ胃もたれして早く走れなかった。それを見た小泉八雲は「日本人の食事は完成されている」と悟った

 

 

 

何故、このような事が起きるのかは、以下が参考になります。

 

 

 

『低糖質ダイエットは危険なのか?中年おやじドクターの実践検証結果報告 どうして糖質の味を人は好むのか?』より引用

 

 

人間に限らず、我々動物にとって、三大栄養素というのは糖質、タンパク質と脂質です。

 

 

でも、この中で最も効率の良い、すぐにエネルギーとして利用できる栄養素は糖質なのです。後の二つの栄養素は糖質ほど効率よくすぐに栄養として活用できないのです。

 

 

ずっと以前に、第二次大戦前に日本人がマラソンで好成績を残した時に、日本人はレース前におにぎりを食べて、欧米人はステーキを食べて、スタミナは日本人の方が長く続いたという話がありました。

 

 

それ以来、欧米人も長距離走の前の栄養補給は炭水化物にするようになったという話、本当かどうかわかりませんが子供のころに母から聞かされたことがあります。

 

 

その時は、それほどお米というのは優れた食べ物なんだよ、残さないでしっかり食べなさいと言われたわけでしたが。

 

 

 

食べてすぐにエネルギーになる。

 

 

 

この即効性が糖質の特徴です。

 

 

 

飛脚のように、「さあ、食べて動くぞ!!」という人達には、すぐにエネルギーになる糖質が使えるのです。

 

 

 

だから、スポーツを生業とする人達が、「すぐにエネルギーになる糖質を排除する糖質制限」を批判するのです。

 

 

 

彼らはあくまで「スポーツに勝つこと」が第一目的であり、健康は二の次です。(もちろん健康も考えていると思いますが、スポーツに負けてまで、健康に執着していません。だから「糖化」を無視するのです。)

 

 

 

『AERA dot.「生理がなくて一人前」!? 女性アスリートへの誤解、産婦人科スポーツ医が警鐘』より引用

 

 

女子選手を支える産婦人科医の重要性が高まっている。

 

 

というのも、生理がこないのを無視したまま、トレーニングや競技生活を続けることによって、深刻な故障や体調不良を引き起こすケースが相次いでいるからだ。

 

 

特に注目されているのが、「利用可能エネルギー不足」「無月経」「骨粗鬆症」。

 

 

いわゆる「女性アスリートの三主徴」と称される健康上の問題だ。

 

 

 

これは女性アスリートの話ですが、健康を犠牲にして記録を取っていることがよく分かります。

 

 

 

 

生理がこないのを無視したまま・・・とありますが、「生理がなくて一人前」という考えをする指導者も少なくないそうなので、アスリートもそうなってしまうのです。

 

 

 

スポーツの指導者は、勝たせる事が仕事です。

 

 

 

勝つために必要なら、将来体を糖化(細胞を劣化)させる糖質も推奨します。

 

 

 

そこを分かっていない人が真に受けて、「やっぱり、健康の為に糖質も必要なんだ」と、流されるのですが、注意して下さい。

 

 

「体を損ねてまで勝ち負けに拘らない人」、「健康目的の人」が、参考にする必要はありません。

 

 

 

赤血球やグリア細胞など、ブドウ糖に依存している細胞があるので、糖質も少しは必要です。しかし、食事から摂らなくても「糖新生」という機能によって合成することができます。

 

 

人間の身体に必要な糖質量を血糖値の視点から分かりやすく説明してみた

 

 

「脳のエネルギー源はブドウ糖なので糖質をしっかり摂りましょう」と言う人が語らない話

 

 

また、彼らスポーツを生業にしている人は、常に激しい運動を前提としているので、糖質を食べても「いち早く、上がった血糖値を下げる環境」があります。

 

 

 

普通の人はそこまで運動しませんから、運動量が少ないぶん、彼らより高血糖が長く続くということです。普通の人が、スポーツ選手より、高血糖の害を受けやすいのは間違いありません。

 

 

 

運動量が半端ない飛脚もスポーツ選手と同じです。血糖値もすぐ下がるでしょうから、現代人のように大きな害を受ける事はないでしょう。

 

 

 

しかし、高血糖を押さえられても、「糖化」は避けられません。スポーツ選手も、飛脚もです。

 

 

 

いずれは「糖化」します。昔の人が、体力はあっても老化が早いのは、そういう理由もあります。

 

 

「すぐにエネルギーになる」というのは、燃料としての効能であって、健康的な効能ではありません。

 

 

しかし、目の前でバリバリ働かれたら、健康的に見えますから、とても優れた栄養素に見えます。

 

 

 

でも、実際は違います。

 

 

 

「肉を食べると胃もたれして調子を崩す」...というのは、糖質の食べすぎによる胃の糖化です。過去に私にも起こった症状です。でも、ほとんどの人は、これが糖質のせいでなる事を知りません。

 

 

 

だから、エネルギーのメリットばかりに注目するのですが、そのツケは大きいです。

 

 

 

「飛脚は、血糖値が上がっても、運動量が半端ないから、現代人よりは高血糖の害が少ない」と言いました。しかし、糖質を食べる事によって確実に体が糖化していたのです。

 

 

 

本記事では「昔の人の体力」についてお話しましたが、以下の続編では、「昔の人の健康状態」「飛脚の胃の糖化」について詳しくお話しています。必ずしも「体力=健康」ではないことがお分かりいただけると思います。

 

 

 

昔の人vs現代人、健康で体力的に強いのはどっちか比較してみたへ続く

 

 

 

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和食は素材の味を生かした料理だという嘘と、日本人が不健康な白米を止められないワケ

 

米に含まれる「糖質」は、あらゆる慢性疾患を引き起こします。

 

近年一般的になってきた「糖質制限」は、ダイエットのイメージが強いですが、最大のメリットは、これらの疾患を防げることにあります。

 

穀物、野菜、果物、お菓子・・・植物性食品は糖質が多く含まれているので、減らした方がいいのですが、この中で最も止めるのを嫌がれるのがです。

 

 

米が止められなくて、糖質制限が出来ない人は多いのです。最初から米を制限する気がない人もいますが、健康の為に米を止めたいという気持ちはあるけど、止められない人もいます。

 

 

何故だと思います?

 

 

「日本人だから」でしょうか? それとも、「人間の体には糖質が必要だから」でしょうか?

 

どちらも違います。このような思い込みは、洗脳によるものです。

 

 

何故なら、米が大好きなのは、アジア圏の人達も同じです。日本人だけが特別米を好きなわけではありません。

 

人間の体には確かに一定の糖質が必要ですが、体には「糖新生」という糖を作り出すシステムが備わっているので、本来、食事から糖質を摂らなくても大丈夫なのです。

 

 

実は、米が止められない本当の理由は、「米が美味しいから」です。

 

「日本人だから・・・」とか、「体に必要だから・・・」というのは、説明したとおり、何の根拠もないただの後付です。食べたいから、食べるべき理由をつけているだけです。

 

 

ここで、もう少し踏み込んで考えてみましょう。

 

 

糖質で美味しいものは、他にいくらでもありますよね。何故、米なのでしょうか?

 

 

麺類も、パンも、甘い物も、他のものは止められるけど、米だけは止められない・・・

 

 

その原因をハッキリ言います。

 

 

 

 

 

おかずのせい、

 

もっと言えば、和食の調理法のせいです。

 

 

 

元・白米好きの私が、日本人が白米が止められない原因と、白米から離れる秘訣をお話します。

 

 

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純粋にご飯が好きなわけではない

 

ご飯が好きな人でも、ご飯だけを食べる人は、そんなにいないと思います。

 

ここがポイントです。

 

いわゆる「ご飯好き」というのは、純粋にご飯が好きなのではなく、「ご飯とおかずのセット」が好きなのです。おかずを、ほんのりした甘みで中和した味が好きなのを、「ご飯が好きだ」と勘違いしているだけです。

 

 

セットが好きなのを「ご飯が好き」と勘違いしている状態ですから、米を止める為には、「おかず」の味付けを見直す必要があります。

 

日本人が米を止められないのは、おかずの味付けがすぎるからです。

 

 

和食に対する勘違い

 

 

「おかずの味が濃い」

 

こう言うと...

 

 

「え? うちは味付け薄いよ。素材の味を生かした和食が中心だしね。」

 

 

と思う人が必ず出てくると思います。

 

しかし、その和食自体が、本当に「素材の味を生かした味」なのかを考えて欲しいのです。

 

「和食は素材を生かした味付け」と散々言われているので、みんなそう信じきって、和食を作り、食べていると思いますが、

 

 

ハッキリ言って、和食の大半は、素材の味を生かした料理ではなく、素材の味を一旦消して、味を上塗りする調理法で成り立っています。

 

会席料理は味付けが薄いのかもしれませんが、日常的に日本人が食べているほとんどの和食は、素材を生かした料理とは言えません。

 

 

 

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調味料の減り方が半端ない和食

 

 

私は基本的に和食よりも、インド料理、中華料理、その他アジア料理を好みます。従って、和食を作る回数は、他の人よりも圧倒的に少ないです。

 

特にアジアの家庭料理が好きで、レシピ本や、youtubeをお手本に作ります。

 

で、私は料理があまり得意ではないので、きっちりレシピ通りに料理を作るタイプです。

 

それで気が付いたのですが、アジア料理の場合、家庭料理であれば、レシピ通りに作っても、味は濃くなりません。香りが強いとか、脂が多くてこってりすることはありますが、「味付け」は、日本の料理に比べると薄いです。

 

日本人が「外国の料理のレシピ」を作った場合はそういうことはないのですが、「外国人が作ったレシピ」は味が薄い傾向があります。なんというか、薄くてご飯に合わないのです。

 

 

そんな私ですが、一時期、ある和食料理人のレシピ本にハマって、珍しく毎日和食を作っていた時期がありました。

 

日本料理人が考えた家庭料理の本です。

 

そのレシピ通りに作ると、味は最高に美味いのですが、砂糖がメチャクチャ減ります。

 

砂糖に限らず、醤油や酒等、他の調味料もかなり減ります。こんなに使わなきゃいけないの?とは思うのですが、プロの料理人が考えたレシピですから適当ではないはずです。真似をすると美味ですが、やっぱり調味料が気になります。

 

しかし、これは彼の考えたレシピに限った話ではありません。

 

女性向け雑誌に載っていたレシピや、料理研究家の考案したレシピ、クックパッドにいたるまで、とにかく和食を作ると調味料の減りが異常に早い事に気が付きました。

 

 

私が外国料理にハマッたのは、薄味で、香辛料が多いからです。その私にとって、和食は調味料を使いすぎ、味にパンチがあると感じました。日本料理が濃いというのは薄々感じていましたが、自分で料理を作ることで確信しました。

 

 

言うまでもありませんが、調味料が減るという事は、それだけ素材に、味が添加されているという事です。

 

 

 

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和食は調味料漬け

 

 

冷静に考えると、和食は下茹でしたり、水にさらしたりするので、アクは逃げますが、それによって、素材の味も逃げていきます。そして、味の無くなったところに、大量の調味料を加える調理法です。

 

「これのどこが素材を生かした味なんだろう」と思いました。

 

そういう目で和食を見ると、実生活の知り合いの料理でも、テレビで紹介される料理でも、とにかく調味料の味が前面に出たような料理が目につきます。

 

 

「下処理をするから、大量の味付けが必要」なのか、

 

「大量の味付けをするから、全体の味をまとめる為に、下処理をして素材から余計な味を抜く必要がある」のか

 

 

・・・は、わかりませんが、素材本来の味が複雑に交わるような味は、和食からは感じません。

 

和食は、素材の味というより、「肉じゃがの味」「胡麻和えの味」「筑前煮の味」・・と、まとめた味ばかり目立って、素材の味は影に隠れている感じがします。

これは料理自慢の日本人女性の料理や、小料理屋の板前が作った料理に至るまで、あらゆる和食を食べて感じる事です。

 

素材の味は目立たない代わりに、調味料の味は目立つので、どの料理も同じ味がして、飽きてきます。

 

・・・これが、私が和食をあまり好きではない理由です。

 

(※野菜を水にさらしてアクを抜くことで、フィチン酸の害は減りますから、一概に「水にさらしたりするのが悪い」とも言えません。むしろ健康の事を考えればそうした方が良いでしょう。)

 

 

確かに和食には、「素材の味を生かした料理」もあります。焼き魚に、刺身、お吸い物、焼き牡蠣・・・これらは、余計な味を加えずに美味しくいただける素晴らしい料理です。列挙したものは私の好物でもあります。

 

しかしこれらは、毎日食べる食事のうち何%を占めているでしょうか?

 

和食中心だと多くの場合、これら以上に、味をしっかり添加された料理が食卓に並ぶのではないでしょうか。

 

和食は見た目が綺麗で「脂が少なくあっさりしている」、「素材を生かした料理だ」と言われているので気付きませんが、実は凄く味付けの濃い料理です。例えば酢の物はあっさりしていますが、そこに使われている砂糖の量に気が付いていない人は多いです。

 

子供の頃からそれに慣れていると、その感覚が標準になりますから、それだけ味が濃くても気が付かないわけです。しかも、「素材の味を生かした料理だ」と洗脳もされているので、濃い味を薄味と勘違いしています。

 

和食に限らず、和食の感覚に慣れた人が、外国の料理を日本風にアレンジすると、やはり味付けが濃くなります。

 

従って、「和食は味が濃い」というより、「日本人が味付けをすると濃くなる」といった方がいいかもしれません。

 

どこの国の料理でも、日本人が作ると「味の濃い料理」になる傾向があります。そして、これこそ「白米が止められない原因」です。

 

 

(追記)和食の感覚に慣れた人が外国料理を日本風にアレンジすると味付けが濃くなるのは、ご飯に合わせる為です。例えば、ハンバーグは柔らかくすることで「ご飯に合う仕様」になりました。

 

つなぎ不要!食べ応えのある食感のハンバーグは低糖質でヘルシー

 

 

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ご飯がないと辛くて食べられないおかず

 

 

味が濃いと、辛いので何かで中和したくなります。

 

そこで登場するのが、ご飯です。

 

 

例えば、ぶり大根、さばの味噌煮・・・

 

あれは旨いですが、お酒もご飯もなしに食べると濃いと思いませんか?なんであそこまで濃い料理を発明したのか...。私はご飯がないと、この料理はキツイです。

 

 

こうして、「ご飯がないと食べられないような濃い味付けの料理」を、作って食べ続ける限りご飯は止められません。これは当たり前です。

 

おかずの味を薄くすればいいのですが、日本人は何故かそれをする人は少ないです。

 

 

おかずの味を薄くしたら、今度はご飯があまり美味しく感じられないから物足りない。だから、おかずの濃さはそのまま・・・。

 

このように、ご飯が止められない原因はおかずにあり、おかすの味付けを薄くできないのはご飯があるからなのです。だからこの2つはセットなのです。

 

 

 

 

ご飯至上主義だった昔

 

 

今でこそ、和食の問題点について語っている私ですが、元からこうだったわけではありません。

 

元々は「ご飯と、ご飯の供さえあれば良い」というくらいご飯が好きでした。麺類だったら、ご飯が食べれなくてガッカリしていた程です。

 

梅干、明太子、納豆、カレー、山芋、刺身、ふりかけ、お茶漬け...

 

今思いつく限りで書きましたが、これらは20歳頃まで、私が最も好きだった食べ物です。見てもらったらわかる通り、これらは全てご飯に合うおかずです。ご飯の共にならないおかずは好きではありませんでした。

 

母親は栄養を考えて料理を作るので、おかずを食べない原因である、梅干、明太子、ふりかけ・・・等のご飯の共を、あまり出してくれませんでした。

 

そのぐらい、昔の私は、「おかず食いの人間」ではなく、「ご飯食いの人間」でした。

 

おかずが不味いのは許せても、ご飯が不味いのは許せないわけです。私はグルメではありませんから、「銘柄」とか、「炊き方」まではうるさく言いません。ですが、釜の底の固くなったところや、冷ご飯の色が変わっているところは食べたくなかったです。

 

とにかく食事は、「白いご飯を食べる事」が大事でした。なので、おかずの好き嫌いは、「ご飯に合うと思うかどうか」で決まっていました。

 

ご飯に合うと思う=美味しいおかず

ご飯に合わないと思う=美味しくないおかず

 

・・・こういう基準です。

 

 

 

人によってご飯の共は様々なので一概には言えませんが、私にとって

 

おでん、筑前煮、肉じゃが、野菜炒め、酢の物、山菜、天ぷら、

 

・・・等の具がゴロゴロした料理は「ご飯とは合わない」と思っていたので、何が美味しいのか分かりませんでした。

 

こういう「おかず単体で食べても美味しい料理」が好きじゃなかったのです。体の為、栄養の為、もったいないからという理由で食べていました。

 

飲食店に行く時も、「白いご飯」を扱っていないお店に行くのは不満でした。中華料理のお店も、ご飯系がチャーハンやお粥しかメニューにない場合は不満です。麻婆豆腐も、白いご飯と食べたいと思っていましたから。

 

このように、昔の私はご飯が中心でした。

 

和食に限らず、洋食や中華料理にいたるまで、全てこの基準で決めていましたから、「ご飯とは無縁の料理」に対する評価は、自然と低くなります。

 

パンやパスタも美味しいですが、やはり「ご飯とセット」で食べる組み合わせじゃないと、食べた気がしません。

 

昔は、「外国の料理って、ご飯に合うおかずが少ないな~」って思っていました。反対に、ご飯に合うおかずが多い日本料理は、世界で一番美味しい料理だと思っていました。

 

 

しかし、この味覚は、20歳くらいから、次第に変わっていきました。

 

キッカケは外国の料理を食べたことです。

 

 

 

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外国の料理

 

 

日本で食べる外国料理は、日本人の味覚に合わせてあります。最近は時代も変わって、本場の味を提供するお店も増えてきましたが、私が子供の頃は、洋食屋にしろ、中華料理屋にしろ、日本人向けの料理でした。

 

そんな事は知らないので、日本向けに作られた味を、「これこそが外国の味だ」と思って、美味しいと思いながら食べていました。

 

ですが、ある時、台湾人女性の作った本場の台湾料理をいただきました。

 

その方は料理上手と評判だったので、凄く期待して食べたのですが、美味しいと思えなかったのです。今食べると評価は違ったと思いますが、その当時の私には、「パンチのない、ぼけたような味」でした。味の主張がないのです。

 

 

「これが料理上手女性の作った料理なのか...と思いました。

 

その場にいたみんなは、「美味しい、美味しい」と言って持ち帰っていたので、「私の味覚が変なのかな」と思いました。

 

それが序章です。

 

 

その感覚は、後に行った台湾旅行でも体験しました。

 

 

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外国の料理に対する不満

 

 

「台湾の料理は美味しい」と聞いていたので期待していたのですが、そこでもやはり、以前台湾の家庭料理を食べた時と同じ体験をしました。

 

一週間のうち、ホテルに泊まる事もあれば、普通の家庭に泊まらせてもらう事もありました。

 

泊めてもらった家のお姑さんが、これまた料理自慢だと聞いて期待していたのですが、やはり、どこか「抜けたような味」というか、「ものたりないボケた味」に感じました。色んな味はいっぱいあるけど、まとまりのない味です。

 

 

なので、同じように「これが料理上手の人の作った味なのか...」と思いました。

 

ですが、そう思ったのは家庭料理だけじゃありませんでした。

 

ツアーではなく、現地に住んでいた事のある人と旅行したので、ガイドブックに載っていないようなお店から、高級な薬膳料理のお店、屋台と、色んな料理を食べました。

 

しかし、そのほとんどの食べ物は、私には美味しいと感じられませんでした。香菜や八角等、それまで、日本の中華料理屋で味わったことのない香りもなかなか慣れませんでした。

 

なにより、白いご飯にありつけなかったというのが最大のストレスでした。

 

食べた気がしないんですよ。

 

おかずがどうこう・・・とか、もはや関係ありません。

 

主食がなかったわけではありません。主食は主食でも、チャーハンとか、お粥とか餃子ではなく、「普通に炊いたご飯を食いたい」と旅行中ずっと思っていたのです。

 

結構良いものを食べたので、今思い返せば実にもったいない話で、もっと味わっておけば良かったと思うのですが、当時の私には、あれを美味しいと感じる味覚がありませんでした。

 

 

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味覚の変化

 

 

旅行中は「味付けのハッキリしたおかずが食べたい」、「香辛料が少ない料理が食べたい」、「白いご飯が食べたい」と思っていたのですが、何日もいると慣れるもので、

 

日本に帰る2日前ころから、異国の香辛料の香りとか、ご飯が無くても食べられる薄味のおかずに、少しずつ慣れていきました。

 

 

それまでは、「日本的な味」しか美味しいと思えませんでしたが、ここから味のキャパシティーが広がった感じです。今思えば、私の香辛料好きはここから始まりました。

 

飛行機に乗る前の最後の昼食は凄く美味しかったのを覚えています。

 

 

こうして、台湾の料理の味に慣れたころ、日本に帰国しました。

 

すると、今度は逆のカルチャーショックが起きたのです。

 

 

日本の料理に対する見方が変わった

 

 

私の周りには、海外旅行から帰国して、和食を食べて「やっぱり日本の料理が美味しい」と言う人は多いのですが、私は違いました。

 

帰って最初の夕食を食べた時の話です。

 

あれほど食べたいと思っていた、「白いご飯」と、「ご飯に合うおかず」が何故かあまり美味しく感じませんでした。香辛料がないことの物足りなさ、余計な味が多くついている気がする違和感、単調な味、食べたものは、それまでと変わらない母の作るバランスの良い食事でしたが、まるで違うもののようでした。

 

味付けが濃いと思いました。

 

受け取る側の感覚の違いでこれほど違って感じるのかというくらい、私の味覚や嗅覚が変わってしまったのです。そして、他のどの料理を食べても同じような感覚になりました。

 

台湾で食べた中華料理が気に入ったため、それまで以上に中華料理が好きになったのですが、その後どこの中華料理を食べても、現地のような香辛料の香りはなく、味付けが濃くて、ご飯に合うような味に改良されているように感じました。

 

その時、それまで食べていた中華料理の味も、実は日本人の口に合わせてある事に気付きました。

そこで、「日本人の作る料理って味付けが濃いな」と思ったのです。

 

 

 

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何故和食は味付けが濃いのか

 

 

「何故日本の料理はこんなに味が濃いのか」と考えました。

 

台湾では、おかずがガッツリあって、白いご飯が無くても、(慣れたら)不満を感じなかったのに、日本に戻ると、おかずだけでご飯がないと食べにくいのです。

 

そこで気付いたのですが、日本では、「白いご飯を美味しく食べる事」に重点を置いています。

 

その為、ご飯をより美味しくする為に、おかずの味を濃くするのだと。

 

それか、濃いおかずが先にあって、それに合わせる為にご飯が重要視された可能性もあります。

 

・・・どっちが先かはわかりませんが、「ご飯」と「おかずの味の濃さ」は無関係ではありません。持ちつ持たれつです。

 

 

 

主食とおかずという概念

 

 

私もそうでしたが、日本人は異常なまでの白米信仰です。

 

以前、料理をご馳走してくれた台湾女性に、「日本人は、ご飯のおかずに餃子を食べたり、ラーメンとご飯を一緒に食べる。炭水化物と炭水化物の組み合わせだから変だ」と言われた事がありました。

 

でも、日本人の感覚からしたら、全然変じゃありません。

 

それは何故か。

 

日本人にとって「餃子」は、ご飯に合う「おかず」なのです。「炭水化物」などという栄養的、理論的な概念はありません。

 

私は小食なので、「ラーメンとご飯」は入りませんが、「餃子をおかずにご飯を食べる」は普通にしていました。

 

 

当時は、「ご飯に合えば、何でもおかずに変身する」と思っていたので、それほど変な事だとは思いませんでした。今程ではないですが、当時もそれなりに栄養に気を使うタイプではありましたが、「ご飯」に対しては甘い認識だったのです。

 

 

もちろん今はそんな事はしません。外食で餃子を食べることがあったとしても、餃子だけです。

 

私も人の事は言えませんが、今でも「ご飯と餃子」の組み合わせをおかしいと思わない人は大勢いると思います。

 

料理に過剰に味をつけたり、炭水化物をおかずに炭水化物を食べるという奇妙な組み合わせを発明するのも、全てご飯を基準に考える白米信仰に根ざしたものです。

 

 

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本当の素材の味とは

 

 

後でわかったのですが、この台湾女性は薄味好みでした。

 

ある時ドレッシングなしでサラダを食べたと聞いてビックリしました。塩も使わないのです。

 

 

私は味が添加されていないサラダは食べれません。

 

 

「よくドレッシングがなくて食べれるな」と思ったのですが、本人は「時々、私、牛?って思う」と言って笑っていました。

 

 

なんというか、味付けがされてなくても、素材の味を堪能できるって、ある意味凄い事です。舌が発達しているようです。

 

 

私も試しにレタスを何も付けずに、そのままかじってみたのですが、何が美味しいのかさっぱりわかりませんでした。

 

 

ていうか、これだけ食えんし・・・。

 

 

 

ドレッシング等の味を付けないと、素材の味を美味しいと感じられない私は、鈍感だといえます。

 

先程、この台湾人女性に料理をご馳走になった時、私には美味しく感じられなかった話をしました。

 

素材の味に敏感な彼女は、薄い味付けで素材の味を生かした料理を作っていたため、素材の味に敏感な人達には美味しく、「添加された味を美味しい」と思い込んでいた私には美味しく思えなかったのです。

 

 

 

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しっかり味をつけている料理を「素材の味だ」と言い張る日本人

 

 

わが家は、母親が健康に気をつけてバランスよく料理を作っていましたが、それでも味付けが濃かったんだと思いました。

 

 

それは家だけの傾向ではなく、他の家庭も同じでした。私の周りは、料理が得意な人が多いので、よその家庭料理を味わう事は多いですが、わが家よりも味はしっかりついています。「うちより薄いな」と思った事はほとんどありません。

 

 

「和食は素材の味を生かした料理だ」と言われています。

 

 

しかし、実態は「ご飯に合うように、素材の味を消して、味をしっかり付けた料理」が和食ではないのかと思うようになりました。

 

2015年に、料理上手な女性に昼食をご馳走になったのですが、すごく美味しい肉料理だったので、何で味付けしたのか聞いたところ、

 

(何だったか覚えていませんが、4種類くらいの調味料で)しっかり漬け込んで焼いただけ、素材の味を生かした

 

と言われました。

 

 

 

・・・・・素材の味を生かした、ですと?

 

 

おかしいと思いませんか?

 

4種類の調味料の味が染み込んだ状態が、どうして素材の味になるのか私には意味がわかりません。

 

 

ご馳走になっている手前、それ素材の味じゃないし・・・等とは、言えませんが、どう考えても調味料の味です。

 

味は美味しいですよ。だから作り方を聞いたわけです。

 

 

 

 

●しっかり味付けしたものを「素材の味を生かした」と、はたして言えるのだろうか。

 

●肉に塩だけみたいなのが、本当の素材の味ではないのか。

 

●どうして料理上手な女性が、こんなおかしな認識をするのか。

 

 

 

言っちゃ悪いですが、日本人は「素材の味を生かす」という言葉の意味を勘違いして使っています。

 

 

味付けしたものが悪いと言っているのではありません。

 

しかし、味をしっかり付けたものが、どう間違えたら「素材の味」として認識されるのかです。そんな嘘はいけないでしょう。早急に正す必要があります。

 

和食は「ヘルシー」と言っている事、味付けの濃いものを薄いと嘘をついている事を「間違っている」と指摘しているのです。

 

体に悪いものを良いと言えば、それを信じて食べた人が病気になりますし、味付けが濃いものを、「素材の味を生かしている」と表現して味付けが薄いように思い込ませれば、いつまでたっても、味付けの濃い料理はそのままです。

 

 

それを食べている限り米が止められないので糖質過多になります。

 

 

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ご飯を止める方法

 

 

和食でも、塩だけふって焼いた魚とか、お吸い物とか、刺身なら、「素材の味」だと思います。

 

しかし、それ以外のほとんどは、「素材の味」とは程遠いと思います。板前が作った料理はわかりませんが、一般の日本人が普通に家庭で食べている和食は調味料たっぷりです。

 

 

その事に気付かなければ、おかずを中和する為に、ご飯が必要になるので、ご飯を止めることは難しいでしょう。

 

「慢性疾患の予防をしたい、でも、ご飯を止めたいけど止められない人」は、先におかずを見直す必要があります。「ご飯がなくても美味しい」と思える味になるまで、調味料を限界まで削ぎ落とした薄味のおかずを作るのです。

 

 

「今食べている料理は味付けが濃い」と認識出来なければ、調味料も減らしませんから、それを分かってもらう為に、「和食は本当に素材の味を生かした料理なのか」について書いてきました。

 

薄い味と思い込んでいるだけで、実際には、ご飯が進むような味付けかもしれません。

 

ちなみに、今私は一日10g以下の糖質制限をしているので、調味料はほとんど使いません。砂糖、みりんは、基本的にNGとしています。酒、醤油、酢は、大匙一杯程度使う事はあります。

 

この条件だと、調味料過多のほとんどの和食は作れません。

 

 

和食を諦める

 

 

年配者には酷かもしれませんが、いっそのこと、和食を諦めるというのも一つの手です。

 

 

私はなるべく調味料に頼らず美味しい和食を作ろうと思いましたが、この状態で、和食を作るのは非常に難しいです。

 

調味料を減らすと、和食は途端に不味くなります。

 

味が決まらないのです。

 

下処理を丁寧にやろうが、良い出汁をとろうがです。

 

これをやってみて初めて、和食がいかに調味料に依存した料理かがわかりました。

 

味付けを濃くしないと美味しく感じられないような料理は大したことがない・・・なんて言ったら怒られるかもしれませんが、食材の味を無視していることは確かでしょう。

 

従って、今私が頻繁に食べる和食といえば、調味料をあまり必要としない、魚の塩焼き、刺身、納豆、豆腐だけ味噌汁、豚汁・・・とかになります。

 

 

 

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(追記)日本料理の調理法を分析する

 

 

私は料理人ではありませんので、日本料理に対して否定的な事を言うと、「お前は料理人でもないくせに知ったような事を言うな」と言う人が出てくるかもしれません。

 

これまでも身近な人に日本料理のおかしな点について話して、それに近い事を言われた事があります。

 

というわけなので、ここで料理人の意見を参考にしてもらいたいと思います。

 

以下は、フランスのお菓子を作る方なのですが、興味深いことを言われています。

 

『失われし食と日本人の尊厳 荒廃した日本の食と闘う鬼才パティシエが追い求めた「真実のおいしさ」/著者・弓田亨』より引用

 

1 きれいな料理のため栄養素をやみくもに投げ捨てる料理法が日本人の心と身体に不幸をもたらした

 

これから述べる、料理法はまぎれもなく日本人の身体を地に貶めた、もっとも大きな原因の1つと考えています。この料理法とは、形式的な実体のないおいしさのために、食材の中の栄養素をただやみくもに捨て去る料理法です。

 

多くの方は、ここまで書いても私がどんな料理法を指しているかお分かりにならないと思います。それは多くの読者が、今日もされようとしている料理法です。

 

素材を水に着けて灰汁を取る。下茹でする、あるいは煮汁が沸騰したら執念を持って表面に浮いてくる灰汁を取り続ける。

 

そしていりこは糞くさいと言って頭や腸を取り去る。

あるいは一番出汁、二番出汁という手法により、鰹節から軽く出汁をとり、煮汁を搾り取った鰹節は捨ててしまう、いつもの慣れ親しんだ料理法です。

 

「どうしてそれがいけない料理法なの。誰もが当たり前にしていることですよ」と多くの方が不満と疑念を持たれるでしょう。

 

でもこんな七面倒くさいことは、私の子供の頃は普通の家では誰もしていませんでした。乾物などを戻すためにつけていた水で最後まで煮る、ただそれだけでした。

 

煮汁の表面に浮いてくるものを汚いからとすくい取るなんて考えたこともありませんでした。

 

ましてや煮干は一尾すべてを食べるのが大事だということを、理屈では分からなくても、誰もが先人の教えとして受け継いでいました。味噌汁のいりこを残そうとした時の母の怒りようは、何にもましてきつかったように思います。

 

「煮干、全部食わねど身体丈夫になんねぞ」、今でもあの母の声はよく記憶に残っています。

 

今、私達が「灰汁」として身体に良くないものと思い込んでいるものは、私達の身体があえぎながら渇望している栄養素なのです。

 

これなくしては身体や細胞が変調をきたし、やがて様々の疫病を引き起こしてしまいます。

 

(中略)

 

本当に徹底して下茹で、灰汁抜きをしてこられた家では身体に変調をきたしている確立は100%に近いのではないかと思います。現在、70歳代から後の世代の方で家にアトピー性皮膚炎の子供がいる家庭では確実に、下茹で、灰汁抜きのご飯を作られてきました。

 

この頃のお母さん達は、1970年代以降に土井勝氏の影響を強く受けた人達です。

 

土井氏はNHKテレビで、きれいな料理の作り方を全国の家庭に浸透させているところでした。

 

この啓蒙を受けたお母さん達は大勢おられるはずです。

 

またこの頃から日本の素材からは急激に栄養素が欠落し始めてきたと思われます。ちょうどこの2つのとても重要な変化が重なる時期なのです。

 

(28~29p)

 

「素材の味を生かした料理」というのは、誰が言い出したのでしょうか。

 

実態を確認せずに表現するのはいかがなものかと思います。

 

そこには、私の母のかつての日々の食事作りの中ではまったく目にした記憶のない料理法が次から次へと繰り広げられています。

 

執拗に灰汁抜き、下茹でが繰り返されます。

 

こんにゃく、さといもなど五種類の素材をそれぞれ1つずつ下茹でして、その煮汁を捨てて、改めて新しい水で煮ていきます。

 

中にはさらに下煮をするものもあります。

 

これだけしつこくすれば素材の味わいは著しく失われ、私にとっては間の抜けた眠りこけた味としか表現できない「上品な薄味」の素材と煮汁ができます。

 

何も味がしません。

 

これに味を持たせるためには、砂糖やみりんをたっぷり加えてごまかすしかありません。

 

人間の口に入ることなく捨て去られるだけの5つのボウルの中の煮汁を並べてみました。これらは間違いなく私達の細胞の血や肉となる栄養素なのです。

 

(138p)

 

ちょっと考えさせられる話ではないでしょうか。

 

私は灰汁はフィチン酸など、害があるから抜かなくてはならないと思っていましたが、本当にそうなのかという気になりました。

 

時々、「野菜を少しは摂った方がいいのでは?」という質問を受けるのですが、このような調理法の料理を食べるのであれば、摂っても摂らなくてもほぼ同じのような気がします。

 

 

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ご飯を減らした後の注意点

 

 

もし、ご飯に依存しなくても平気になったら、おかず中心の食生活になると思います。

 

ちょっとした糖質制限です。

 

慢性疾患の予防になる「糖質制限」ですが、「体質的に糖質制限をやってはいけない人」、「少しずつ慣らしていく方がいい人」、「やってはいけない事」・・・等、細かい注意点がたくさんあります。

 

それを学ばずに、適当に始めると失敗する可能性があるので、実践を考えている人は先に情報収集を行なって下さい。

 

糖質制限に失敗した経験を持つ私が、2回目の挑戦で成功する為に行なった事は情報収集と分析です

 

ここでは、「体質的に糖質制限をしても問題ない人」が、ご飯を減らす時の注意点の一つを紹介します。

 

それは、糖質だけを減らす糖質制限を行なうのは危険ということです。糖質を減らしたら、タンパク質、脂質を摂る必要があります。

 

和食は糖質は多いですが、タンパク質、脂質が少ない料理です。家庭料理の場合、肉ガッツリより、野菜を煮たようなものが多いです。

 

このようなメニューから「ご飯」だけを抜くと、タンパク質、脂質不足になります。「タンパク質不足」も問題ですが、深刻なのは「脂質不足」です。

 

糖質と脂質は、主なエネルギー源です。

 

 

両方制限すれば、エネルギー不足になります。そうなっては生きていけないので、糖質を制限したら必ず脂質を摂るようにして下さい。

 

 

(追記)エネルギーの重要性については、以下の記事に詳しく書いています。

 

ATP(アデノシン三リン酸)について分かりやすく説明してみた

 

エネルギー代謝について分かりやすく説明してみた

 

 

ご飯など、穀物を減らしたら、おかずの内容を、「野菜」→「肉、魚、卵」に変えると、食事からタンパク質(体の材料)、脂質(エネルギーの材料)をしっかり摂れるようになります。

 

 

「脂質を摂りましょう」と言うと、多くの人は心配になると思います。しかし、勘違いしてはいけません。

 

 

「脂質は動脈硬化の原因になる」と思っている人は多いですが、動脈硬化の原因は「糖質」です。

 

 

動脈硬化を改善・予防する方法を分かりやすく説明してみた

 

 

「脂質は肥満の原因になる」と思っている人は多いですが、肥満の主な原因は「糖質」です。

 

 

経験上、脂質は悪くない。太った原因はただの勘違いだった

 

 

 

そして、糖質は代謝する時に、ある条件で「乳酸」を発生させます。その「乳酸」が蓄積すると「癌」の原因になります。

 

 

 

(追記)ご飯はブドウ糖に分解されます、そこからさらに代謝されエネルギーが作られるのですが、体質によってこの代謝が上手くいかない人がいます。すると、「乳酸の蓄積」を招き、癌が発生しやすくなります。ご飯の食べすぎには十分注意して下さい。

 

余命わずかの末期癌患者が退院できたのは病院での栄養療法のおかげだった!

 

癌細胞と癌家系について分かりやすく説明してみた

 

 

 

「脂質」は高エネルギーで人体に必要な栄養素です。

 

 

 

(追記)「糖質を食べても何も問題は起きていない」と思っている方へ

 

日本人は「主食」や「おかず」から糖質を摂りすぎています。

 

しかし、「ご飯等、糖質をいくら食べても、身体にはなんの問題も起きていない」と言う人が一定数います。

 

そう思われるのは、2つ理由があります。

 

●実は糖質による害が身体に出ているが、糖質が原因だと気付いていないので、本人が「不調はない」と勘違いしているケース

 

 

例えば、以下の症状は、糖質が原因です。

 

本当は怖いいくら甘い物を食べても太らない体質と、後で払う肥満以上の大きな代償

 

卵子が老化する原因と防ぎ方。卵子の質を悪化させない食習慣は、不妊症の改善にも期待できる

 

瞼に脂肪の塊ができる「眼瞼黄色腫」の放置は要注意!意外な原因と解決方法とは

 

関節の痛みや理由もなくパキッっと音が鳴る原因は食生活に問題あり。根本的な原因を取り除いてクラッキングを改善させる方法

 

 

●身体が他の人より少し丈夫(代謝が良い等)なので、害が表れるのが遅い、問題が起きても小さいので「何も問題ない」と勘違いしているケース

 

糖質の毒性は遅効性。体に合わない物を食べると、表面的には問題がなくても水面下では体が劣化する

 

糖質を食べると病気になる人と、健康で長生きする人の違いについて考えてみた

 

癌細胞と癌家系について分かりやすく説明してみた

 

 

糖質の害は遅効性で分かりにくいです。

 

しかし、目、脳、卵子等、一度ダメージを受けると回復しない部分もあるので、「何も問題はないから」・・・と無防備に食べると、後で身体を壊ししんどいめに合います。

 

糖質をたくさん食べる人は、このようなリスクを知っておいて下さい。

 

 

まとめ

 

ご飯を止めるには、ご飯がなくても食べられる薄味のおかずにする必要があります。

 

最初は薄味は物足りないと思いますが、本来なくてもいいものなので、時間と共に慣れていきます。

 

人間は、味付けの濃い食べ物がないと生きていけないようにも、ご飯がないと生きられないようにもプログラムされていません。

 

 

(追記)「和食は糖質が多くて不健康だ」と話をしましたが、「例え不健康の原因になっても止められない」・・・という方は多いです。

 

習慣を変えられない人はいますから、対策として、糖質を多めに食べる人に気をつけて欲しい事を書きました。

 

ベジタリアンや糖質を止められない人が、健康の為に摂っておきたい栄養素とは

 

 

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