お知らせ

 

 

私達は憲法によって言論の自由が守られているので、

食や健康等の問題を主張する事ができます。

 

 

 

 

元々憲法改正賛成派だった人の解説です。

 

 

 

 

谷本議員と一緒に飛行機を降ろされたもう一人の人物・高橋清隆氏について

 

 

 

谷本議員らがノーマスクで強制降機! 釧路空港のエアドゥ機、「憲法違反を公然と行う航空各社への行政指導を国交省に求める」

 

 

一緒に飛行機を降ろされた反ジャーナリスト高橋清隆氏による、谷本誠一議員のインタビュー動画です。

 

 

 

 

 

身近な人が被害に合った時の為に

とりあえずブックマークをお願いします。

 

 

 

 

 

 

タグ:学問
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教育と洗脳は紙一重、確認をしなければどんな学問もただの信仰である

日本人は、神社仏閣には行くので、完璧な無宗教とは言えませんが、宗教アレルギーの人が多いです。

 

 

教祖に洗脳されて、思考停止になり、正常な判断を無くし、高額なお金を払う・・・そんなイメージがあるからでしょう。

 

 

でも、学問に対してそれと同じような状況になってしまっています。医学や栄養学に対し多くの人は、

 

 

 

権威、定説、に洗脳されて、思考停止になり、正常な判断を無くし、高額なお金と時間と健康を失っています。

 

 

 

「ブドウ糖は脳の唯一のエネルギー」と権威や定説が言えば、「ケトン体も使える」と無名な誰かが論証つきで述べても、多くの人は耳を傾けようとしません。

 

 

 

権威や定説を信仰しているからです。

 

 

本人は学問の意見に従っているので「頭を使っている」つもりですが、完全に思考停止です。検証もしません。

 

 

 

こう言うと「学問は宗教ではない」と反発されるかもしれません。

 

 

でも、取り組む姿勢によっては、洗脳と信仰になる危険性がです。しかも、表向きは宗教ではなく、あくまで「学問」です。そのため、洗脳されているにも関わらず、本人は考えているつもりなので、洗脳されていることに全く気が付きません。

 

 

そうなってしまったら、学問は宗教と変わりません。しかも、本人が「考えている」つもりになっている分、洗脳の完成度は高いと思います。

 

 

 

「権威が言うなら大丈夫だろ」と、「教祖が言うなら大丈夫だろ」の、何が違うのでしょうか。

 

 

「論文に書いてあるから正しいだろ」と、「教典に書いてあるから正しいだろ」の、何が違うのでしょうか。

 

 

「学問の場合はきちんと検証して発表されている」と思う人もいるかもしれませんが、もしそれがデタラメならどうしますか。それは「権威や論文が善意の元に存在している」という考えに依存しています。

 

 

思い込んで、真実かどうか確認しないのはよくありません。

 

 

何故こんな話をするのかというと、正統派の意見を盲目的に信じる人があまりにも多いからです。

 

 

そんな私は、学問というものを信じていません。

 

 

もちろん、最初からそうだったわけではありません。今でこそこんな事を書いていますが、ほんの数年前まで、

 

 

日本は平和な国だし、世間の厳しい目があるから発展途上国のような不正もない、さらに、学問、研究は真面目に行なわれ、本当に優れた人に権威のある賞が与えられている

 

 

・・・と本気で思っていました。

 

 

もし、このブログを5年前に書いていたなら、このような記事は書かなかったでしょうし、これまでの記事も全く違った意見になっていたと思います。

 

 

でも今は、学問も、その土台である社会全体も、見え方が昔とはまるで違います。一番の違いは「性善説で物事を見るのを止めたこと」です。

 

 

 

以前は、この理論は、誰かが真面目に導きだしたものだから間違いないだろうと思っていましたが、

 

 

今は、学問には嘘が多いので、誰かが捏造した理論を勉強している可能性があると常に思っています。

 

 

 

でも、健康について記事を書いていると、体の中で起こる反応について説明する時は、教科書に書いてあるような話もしなければならない時があります。すると、どうしても医学、栄養学...と、学問の世界に足を踏み入れることになります。

 

 

正直言うと、自分で体験したこと、確認できること、辻褄が合う事は堂々と書いていますが、自分が確認できない、目に見えない世界について説明する時は疑って書いています。これまでも嘘が多かったので、また同じような事があっても不思議ではないと思うからです。

 

 

 

今後、専門的な説明をする事があれば、今回の話を思い出していただければと思います。私は学問に対して半信半疑です。

 

 

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歴史の隠蔽

 

 

 

医学や栄養学の間違いが指摘されても、多くの専門家は無視を決め込んでいます。それは、これまでも話してきました。

 

 

でも、普通に生活している人は、「専門家は真面目に働いているに違いない」と思っているので、こんな話をしても、信じられないと思います。

 

 

「真実を見て見ぬフリをする」というのは、一種の不正ですからね。社会的な地位のある人達が、どいつもこいつも、そんな態度を取る・・・というと、現実感がありません。

 

 

でも、もう少し俯瞰で見ると、そういう話は多いのです。

 

 

 

それも、医学や、栄養学に限った話ではありません。まず、その話をします。

 

 

 

もう何年も前の話です。

 

ある町で、古代の遺跡がたくさん見つかりました。その遺跡は1万年以上も前のものということで、当時、その町では大騒ぎになり、観光に使える・・・とちょっとしたブームになりました。

 

 

しかし、賑わったのもつかの間でした。

 

 

その遺跡を大学が調べた結果、「遺跡ではない」と片づけられ、無かった事にされてしまいました。

 

 

何故、無かったことになったのか・・・というと、一万年以上前と言われていたその遺跡の情報は、その後作られた「その町の歴史をしるした書物」には全く記載されなかったからです。

 

 

歴史的な何かが見つかった事実も書いていなければ、「〇〇が見つかって、研究されているが、詳しい事はわかっていない」とかの記載もありません。一時とはいえ、大騒ぎになったのに・・・です。

 

 

全くの無視です。

 

 

大学が調査し「遺跡ではない自然の石」と判断したからなのか、騒いでいた人達からも、歴史からも忘れ去られてしまいました。

 

 

 

「じゃあしょうがないだろ」と思うかもしれません。

 

 

 

 

 

でも、確かに自然と片づけられる形のものもあったのですが、その中の一つは、人間が作らないとできない細工があったのです。

 

 

「装飾に見える」ではなく、装飾です。

 

 

よくある、丸が三つならんで、それが顔に見えるとか、そんなんじゃないです。誰が見ても、100人中100人が、「これは自然にはありえない」と言うレベルの加工です。

 

 

自然だと言い張れば、「気が狂っている」といわれても仕方が無いです。でも、そんな気が狂った判断を、大学がしたのです。

 

 

で、その言い訳が酷い。

 

 

 

その辺り一帯は、昔は海底だった

 

 

水位が下がった時に岩石が表れた

 

 

太陽の熱と夜間の冷えの繰り返しで岩にヒビが入り、人が作ったみたいに見える

 

 

 

 

・・・というものです。よくもこんな屁理屈が言えるものだなと感心してしまいます。

 

 

普通の人はここで、「大学がそう言うならしょうがないか」と終わらせるかもしれませんが、さすがに無理がありました。

 

 

嘘です。

 

 

この話から分かったことは、どんな嘘にも、もっともらしい理屈はつけられるということです。

 

 

 

 

こういう話が一度や二度であれば、ただの残念な話で終わりますが、日本全体、世界を見わたせば、他にも似たような話はあります。場所、遺跡の種類は違えど、発見からその後にいたるまでの経過が共通しています。

 

 

 

 

 

それまでの歴史を覆すような発見がある

 

 

専門機関が調査

 

 

過小評価

 

 

発見などなかったかのように忘れられる

 

 

定説のまま

 

 

 

この流れです。一件、一件を「全く違う話」だと思えば気付かないかもしれませんが、似たような話を見比べてみると、明らかに、何かおかしいのです。正常な人は違和感を感じるはずです。でも、

 

 

「専門家が言うのだから、素人には理解できないような、複雑で専門的な理由があるのだろう。それを理解できない素人がバカだ。」

 

 

そう頭を抱えてしまう人もいるかもしれません。しかし、その理論が真実なのかどうか疑ってみる必要があります。

 

 

子供でも「自然にできるのはありえない」と思える石を、自然のものにする理論を作ることがあるのですから、要注意です。

 

 

 

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専門家の仕事

 

 

 

調査にはコストかかるはずです。わざわざ現場に行き、バカな結論を出す。しかも、「自然のものだ」といって、議論をスパッと切ってしまうわけです。その後の調査もありません。

 

 

 

調査した人達はなにをやってんだ?って話です。大学の存在意義はないと思いませんか。何の為に学問のトップに君臨しているのか。

 

 

 

ここで、

 

 

 

頭の良い人達が、日夜、真剣に研究しているハズのに、なんでこんなバカなことを言うんだろう

 

 

・・・と、性善説に当てはめて考えていたら絶対に答えは出ません。ですが、前提を変えるとすぐに解決します。

 

 

 

大学は調査するところではなく、事実を隠蔽するところ

 

 

 

こう考えると整合性がとれます。どんなに頭が良くても、バカな事を言うでしょう。

 

 

考えてみてください。本物のバカなら、大学入学どころか高校も卒業できません。もし、本当にバカな結論を大真面目に語っているのなら、幼稚園からやりなおしてもらいたいです。

 

 

さらに、似たような話を見聞きして、毎回決まったパターンになる様子を見て、これは明らかに、どこかから否定するように指令が降りていると感じるようになりました。

 

 

もちろん、大学は表向きには真面目な機関ですから、そんな風には見えませんが、やっていることを見ていると明らかにそういうところです。これは、歴史だけじゃなく、医学、栄養学、その他の学問にもいえることです。これを、

 

 

大学は頭のいい人達が真面目に調査、研究しているところである

 

 

と思っていたら、高学歴の人間が、明らかに人工の装飾がされている石を「自然のもの」と主張しているのを聞いて、悩まなければいけません。

 

性善説で考える人は、「もしかして、自然の石に見えない私がバカなんだろうか?」と真剣に悩み続けるでしょう。学問だけに首をつっこむと、こういう背景が見えなくなります。

 

 

 

正常ですから、気をしっかり持ちましょう。

 

ここで石に見えるように洗脳されてはいけません。「大学は事実を隠蔽する機関」とすれば、そこで頭を抱える必要はありません。

 

 

「専門家は真面目に研究しているに違いない」と思うと、幼稚なトリックにも騙されてしまいます。コレステロールのインチキが言い例です。

 

科学や論文のインチキはコレステロールが教えてくれる

 

 

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無駄に複雑な理論は要注意

 

 

今の世の中、物事をより複雑に語る人が、頭が良い、偉い・・・という風潮があります。

 

 

どんな分野も、上に行くほど、専門的になればなるほど、複雑難解で誰も理解できないようになっています。

 

 

昔は、そういうのが凄いと思っていましたが、今となってみれば、その複雑さは、真実に根ざしたものなのかどうか疑ってしまいます。

 

 

私は、真実はシンプルに語ることができると思っています。シンプルに語れないものは、あまり信用していません。

 

 

嘘をつく場合、騙す相手がバカなら、一言二言の嘘でも騙せるかもしれませんが、標準的な知能を持った人間を騙すとなると、やましいことを、やましくないように見せかけないといけない為、多少話を複雑にする必要がでてきます。

 

 

そして、嘘がばれないように、さらに嘘を重ねます。

 

 

 

そうすることで、話がどんどん複雑になっていきます。当然、嘘をつけばつくほど、シンプルから遠ざかります。

 

 

 

物事を無駄に複雑にする・・・相手に真実を教えない為の方法でもあります。複雑難解にして、誰も理解できない構造にしておけば、真実を追究する人間を煙に巻くことができます。

 

 

 

 

例えば、遺跡を見て、「人の手で作った物だ」と素直に認めれば答えはシンプルですが、

 

 

 

明らかに人工の装飾があるものを、自然のものであるように思い込ませるには、巧妙な屁理屈を考える必要があるので、一言二言では表せません。

 

 

誰も確かめることができない物語を考えたり、馴染みのない記号を使ったり、聞いた事がないような専門用語を使って、相手を思考停止させ、深入りさせないようにします。

 

 

 

 

そして、真実ではない反対の方向に誘導する理屈も考えます。

 

 

どんな嘘でも盲目的に信じ込む人、積極的に洗脳にされてくれる人だけがその学問に染まることができます。

 

 

 

学問に精通している人に失礼な言い方かもしれませんが、定説を覆す真実が見つかったのにも関わらず、頑なに真実を見て見ぬフリをする姿勢を取られると、そう思うしかありません。

 

 

 

 

 

普通の人間の感覚では、嘘をつき続けることは恥ずかしいことです。恥も外聞もなく、それでも嘘をつき続けるのは、嘘をつくことが目的だからとしか考えられません。

 

 

インチキなストーリーですから、化けの皮が剥がれますが、元々の目的が嘘をつくことなので、何を言われようとも、そのストーリーは意地でも変えません。嘘を正当化する為、新たなストーリーを考えることもあります。

 

 

そうしているうちに、だんだん話がややこしくなってくるわけです。複雑難解、何故か専門家の意見が真っ二つに割れる。

 

 

真面目な人間は、考えれば考える程頭が混乱してきます。でも、そのこと自体がおかしいと気付くべきなのです。

 

 

学問は、悪意があれば、事実をないことにしたり、存在しないものをあることにして、世の中を騙すことが可能です。

 

 

 

 

  • 存在しているものを、なかった事にするために、理論を作る

 

  • 存在しないものを、あるように見せかけるために、理論を作る

 

 

 

 

言う方も言う方ですが、信じる方も信じる方です。私は、人工的なものを無理矢理自然の石にしてしまう学問、それに疑問をもたない人達をみると、一種の宗教に見えます。

 

 

思考ではなく信仰です。

 

 

 

 

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確認できないものに対しては慎重になる

 

 

先日、「ATP」と、「エネルギー代謝」についての記事を書きました。

 

 

ATP(アデノシン三リン酸)について分かりやすく説明してみた

 

エネルギー代謝について分かりやすく説明してみた

 

 

 

これを読まれた方はお気付きだと思いますが、生化学的な話をしているにも関わらず、私は、化学式や、専門用語などはほとんど説明に使っていません。

 

 

 

何故、そういう形をとるかというと、複雑難解にして、小難しく語るのが嫌いというのもありますが、確認できない存在に対して慎重だからです。複雑な数式を見るたびに、「こんな世界が本当に存在しているのか」と思ってしまいます。

 

 

理系の人から怒られそうですが、文系である「歴史」に嘘が多いように、理系である「科学」に嘘があってもおかしくはないと考えています。

 

 

 

いやいや、そんな事を言っていたら先へ進まない、・・・そう思って勉強するのですが、調べていると、たまたま見たページに間違いが書かれてあるのを見つけたりします。

 

 

例えば、「ブドウ糖は脳の唯一のエネルギー源」とか、堂々と書いてあるわけです。そういうのを読むと、「この学問大丈夫か?」と思ってしまいます。

 

 

 

私は間違いに腹は立ちませんが、間違いを頑なに訂正しない姿には不審感を覚えます。

 

 

「他にも嘘があるんじゃないか」「学習者を騙そうとしているのでは」・・・と思うようになります。ですが、どれが嘘でどれが本当かは、目に見えない世界なのでわかりません。

 

 

「ブドウ糖は脳の唯一のエネルギー源」・・・程度の嘘なら、「ケトン体」を利用することで、簡単にその嘘を証明できます。ですが、このように、自分の体験を通して確認できる事象は限られています。

 

 

 

分子や原子など、本物を見ることは出来ません。画像検索をかけても、イラストばっかりです。CGのような写真があったり、なかったりです。

 

 

本物は簡単には見れないということです。

 

 

 

「見れる立場にいる人が存在を確認しているんだから間違いない」

 

 

 

と思う方もいるかもしれませんが、私はそういう人を信用していません。過去の記事でも書きましたが、「優秀な人」と「善人」であることはイコールではないのです。

 

 

遺伝子組み換え食品から学んだ、学問に不毛な議論が発生する本当の理由

 

遺跡の話を思い出してもらったらわかると思いますが、学問に携る人間がと言ったら、白いものも黒にできるのです。

 

 

 

この人達が嘘をついていたら終わりなわけです。この人達の人間性に依存することになります。

 

 

 

また、遺跡等、「肉眼で確認できるような事」でも嘘をつく人がいるのですから、「目に見えない世界の事」に嘘をつく人がいても不思議ではないと思いませんか。

 

 

 

それに、ナチス・ドイツの宣伝大臣だったゲッべルスは次のように述べています。

 

 

 

 

確かめないやつは必ず騙せる。

 

 

 

『Wikipedia ヨーゼフ・ゲッベルス』より引用

 

 

 

 

確かめるがない場合も、必ず騙せるでしょうね。

 

 

 

ここで、誤解のないように言っておきますが、私は目に見えないものを信じていないのではありません。

 

 

そうではなく、目に見えない事をいいことに、嘘をつく輩がいるから信用できないと言っているのです。

 

 

 

信用できる情報の条件

 

 

世の中は嘘が多いわけですが、そんな中、「まぁ、信じてもいいかな」と思う情報もあります。それは、以下の条件です。

 

 

 

① 理路整然としていて、辻褄が合う理論であること

 

② 情報発信者が誠実である(地位、知名度、人数は関係ない)

 

③ 行動と①が噛み合う

 

 

 

この3つは重要視しています。

 

 

私は糖質制限を実践している医療関係者の話に耳を傾けています。それは、理論に整合性があることと、現場の体験を重要視されているからです。

 

 

心根のキレイな医療関係者の観察のもと、多くの患者が結果をだしたのなら、「試してみようかな...」という気になれます。

 

 

で、徳の高く頭の切れる医療関係者が考え、調べ、実践し、発信している情報を、吟味して実践し、その結果をこうしてブログで発信しているというわけです。

 

 

理論と実践、この2つがかみ合えば良い。かみ合わなければ、要注意です。

 

 

 

 

  • 理論を実践して、その通りにならなかったら、それは理論が間違っている可能性が高い。

 

  • 理論を実践して、その通りになるなら、その理論は正しい可能性が高い。

 

 

 

 

当然、理論そのものが「おかしい」と感じるものは信じません。

 

私は過去に「進化論を信じていない」と言いましたが、あれなど正にそうです。

 

 

人の食性を考える時、チンパンジーを参考にしてはいけない理由【前編】

 

 

人の食性を考える時、チンパンジーを参考にしてはいけない理由【後編】

 

 

 

 

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警戒してしまう情報

 

 

反対に、「胡散臭い」と感じる要素を挙げてみます。

 

 

 

 

  • 話が無駄に複雑

 

  • 枝葉の情報は十分すぎるのに、肝心な所は「まだわかっていない」とはぐらかす

 

  • 考えれば考えるほど頭が混乱して、何が真実かわからなくなる

 

  • 専門家の意見が真っ二つに割れている

 

  • 理論を真面目に実行したのに結果が違う

 

 

 

これらの特徴が見られた場合、私はその理論を警戒します。特に、考えれば考えるほど頭が混乱して何が真実かわからなくなる理論は要注意です。理論に嘘が混じっている場合、そうなります。

 

 

勉強をすればするほどわけが分からなくなるというのは、そもそも、学んでいる事がデタラメである可能性があります。

 

 

誰かが誰かの利益の為に嘘をつき、主張し合っているから、理論が支離滅裂になって全くかみ合わないのです。例えば放射能、

 

 

「プルトニウムは危険」と言う人がいたり、方や「プルトニウムは飲んでも大丈夫」という人がいたり・・・

 

 

反対のことを主張し合っています。とても同じ対象について述べているとは思えません。読書感想文じゃないんですから。

 

 

とにかく、どんな分野であれ、このような支離滅裂な理論に遭遇したら、誰かが意図的に嘘をついているかもしれないので、一歩引いて考える必要があります。

 

 

まともにとりあっていたら、頭が混乱するだけです。嘘つきに真面目に返していたら疲弊します。

 

 

そして、一番ダメなのは、納得できないのに「そういうもんだ」と納得してしまうことです。それは信仰です。

 

 

 

 

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実践せずに批判する人達

 

 

批判する人が実践しないのは理由があります。

 

 

私は糖質制限を始めてから、先駆者の本を何冊も読んできました。著者は医療関係者ですが、やはり、糖質制限を実践されている方は、自身のコツコツ行なってきた治療(事実起こったこと)を重視されています。

 

 

しかし、それを公に公表すると、風当たりは強いみたいです。常識と逆の事を言えば、反発が来るのはよくあることですから、それだけなら別に気にしません。

 

 

でも、アンチにはおもしろい特徴があります。

 

 

 

  • 実際に実践して失敗した素人のアンチ

 

  • 批判はするが、絶対に実践しない専門家のアンチ

 

 

 

前者は、「糖質制限について勉強不足の状態で実践して失敗する」というケースです。私もこれに該当してました。失敗は自分の不注意なのですが、一応、実践はしているので、文句を言ってしまうのは分かります。

 

 

 

ですが、問題は後者です。専門家のアンチは、批判はするけど実践はしないのです。

 

 

これが私が読んだ本、ネット、どちらにも共通してみられる流れです。

 

 

不自然です。

 

 

さすがに、頑張って導き出した説を、実践もしないで否定されたら腹が立つのでしょう。

 

否定された側も、「実践して批判しろ!」的な返しをされているんですね。

 

 

「何故、実践しもしないで、批判してくるのか理解に苦しむ」・・・といった心情が文面から伺えます。

 

 

でも、そうじゃないんですね。

 

 

性善説で物事をとらえられているからなのか、こういう考えになったのでしょう。

 

医療関係者同士では、言いにくいでしょうから、私がその理由を教えます。

 

 

彼ら実践しないで反対している人達は、真面目に医療について考えて批判しているわけではありません。そうではなく、「否定しろ」という指令を遂行しているだけです。

 

 

否定するのがお仕事ですから、実践するわけありません。

 

 

本気で医療のことを考えていたら、もうすでに結果をだしている医師がいるなら、真似をしない理由がありません。

 

 

 

もう一度言います。

 

 

彼らは最初から否定することが目的です。だから、どんなに「実践してから反論してくれ」と言われても、実践もしないし、素人でも論破できるようなバカげた屁理屈で押さえ込もうとします。

 

 

理論が破綻していようが、自分の品格が落ちようが、関係ありません。潰すのが目的ですから、否定できれば何でもいいのです。

 

 

遺跡を自然石とした大学のように。

 

 

性善説で捕らえてはいけません。そうしている限り、「何故、実践せずに反論してくるんだ?」と悩むはめになります。

 

 

逆に、真実を知っているからこそ、実践しないのかもしれません。

 

 

実践なんてしてしまったら、正しさを証明してしまうことに繋がります。それは、従来の説を覆すことにつながります。つまり、ご主人様に顔向けできないのです。

 

 

実践したら、事象は間違いなく起こる・・・それを知っているからこそ、実践しない、できないのです。だから、口だけで否定します。

 

 

 

教育と洗脳

 

 

学問の実態がこれですから、知識を詰め込む勉強は洗脳に等しいと言えるでしょう。

 

 

常に疑い、確認できることは確認するようにしないと、騙されていることに気づかないように騙されてしまいます。

 

 

私はそういう事を考えながら記事を書いています。

 

 

 

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遺伝子組み換え食品から学んだ、学問に不毛な議論が発生する本当の理由。

世の中を見渡してみると、「危険な食品」を紹介した書籍や、ランキングが氾濫しています。

 

 

 

しかし、お約束のように、「危険だ」という説が出たら、その後「危険じゃない」という説が出てきます。

 

 

 

 

 

「知識のない素人」は、どちらが正しいのか分からなくなり、たいていの人はめんどくさくなって、危険だろうが、危険じゃなかろうがどうでもよくなります。

 

 

 

多くの人は、今までのライフスタイルを損ねない方を優先するので、結局、危険だと言われた食品でも買い続けます。楽な方を信じるわけです。

 

 

 

一方、一部の真面目な人は、どちらが正しいのかを考えると思いますが、袋小路に入り込む事も少なくありません。

 

 

 

真面目であるが故に分からなくなるのです。

 

 

 

私も昔は、栄養や医療の話で意見が割れているのを見て、どちらが正しいのか分からなくなって、混乱していました。

 

 

 

どちらの言い分も、一応、説得力があるからです。

 

 

 

惑わされずに分析できるようになった今だから言えることですが、

 

 

 

特に「学問だけにフォーカスして考える人」ほど、真実が見えなくなります。

 

 

 

そこで、意見が真っ二つに割れている場合、どちらが真実かを見分けるためのポイントについてお話します。

 

 

 

まず、私が不毛な争いに左右されず、どちらが本当の事を言っているのか分析できるようになったキッカケについてお話します。

 

 

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遺伝子組み換え食品の存在

 

 

今から4年前の事です。

 

 

私は「食品添加物」や「残留農薬」については知っていましたが、「遺伝子組み換え食品」には全く関心がありませんでした。

 

 

わざわざそんな物を買わない(買ったつもりがない)ので、「自分には関係ない話」だと思っていました。

 

 

しかし、調べてみると、食べていない(買ったことがない)と思っていた「遺伝子組み換え食品」が、実は普段買う食品(調味料やお菓子)の中に入っていたのです。

 

 

しかも、その危険ぶりは「食品添加物」以上でした。

 

 

強烈だったのが、「遺伝子組み換え食品」を食べて腫瘍ができたマウスの写真です。

 

 

「食べなければ良い」と思われるかもしれませんが、そんな単純な問題ではありません。「遺伝子組み換え食品」は、ある条件では表示の義務がありません。

 

 

 

その為、危険なのにも関わらず、多くの人が気付かず購入し、「遺伝子組み換え食品」が混じったものを食べているのです。

 

 

腹が立ちました。

 

 

危険だと教えてくれたり、入っていると分かるように書いてくれれば気をつける事もできますが、表示されていないのなら、避けることもできません。

 

 

また、「遺伝子組み換えコーン」からできている「ブドウ糖果糖液糖」のように、名前から正体が「遺伝子組み換え食品」だと分からない物は、知識がない人は避けません。

 

 

 

食の質に関心のない人は世の中に大勢いるわけで、そういう人達が知らずに口にしてしまうのは目に見えています。それを分かって食べさせるように仕向けるのは悪質ですし、そもそも、こんなものを混ぜる意味が分かりません。

 

 

 

不審に思って調べる事にしました。

 

 

 

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害のある物質が出回る理由

 

 

「遺伝子組み換え」とは、遺伝子を操作する事によって、本来その生物が備えていなかった特徴を持たせる事ができます。

 

 

「ある生物」に、「別の生物」のDNAを挿入することで、普通の品種改良では不可能な「種の壁」を越えることが可能です。

 

 

そうして誕生した未知の生命を食品にするわけですから、「気味が悪い」と思うのは当然です(と言っても既に食べていますが)。

 

 

これを「健康的だ」と思う人が何人いるでしょうか。

 

 

自然界にない物なので、生理的な嫌悪感というか、毒々しさを感じる人もいると思います。(ちなみに、「青い花」や、「青い着色料を使った食品」も、私は同じような理由で好きになれません。)

 

 

そして、「遺伝子組み換え食品」は、危険だと世界中で抗議されています。

 

 

 

健康被害も起きています。

 

 

 

 

 

何故こんな危険な物が流通しているのか、最初は本当にわかりませんでした。

 

 

 

「先進国でそんな非人道的な事がまかり通るはずがない」と思っていたからです。

 

 

 

そして、「危険なものが流通している」・・・というのも驚きでしたが、それ以上に驚いたのは、

 

 

 

危険であることを証明する根拠がいくつもあるにも関わらず、何故か「安全だ」とする説が存在している事です。

 

 

 

 

「ある物質」を取り込んだ場合の「人間の身体の中で起こる反応」についての話なのですから、結果がそんなに食い違うはずはありません。

 

 

 

それなのに、正反対の意見が存在しているのは納得できませんでした。

 

 

 

しかし、その後「何故、全く逆の意見が存在しているのか」、その理由が分かりました。

 

 

 

 

 

安全だと言われる理由

 

 

 

この世の専門家、研究者、企業は「善」だと思っていた私は、以下の本を読んで愕然としました。

 

 

『「モンスター食品」が世界を食いつくす! 著者・船瀬俊介』より引用

 

 

米国民の病気が二倍、アレルギーも急増

 

 

「遺伝子組み換え食品がアメリカ国民に押しつけられてから、たった一〇年で、国民の多重慢性疾患の患者は二倍近くに急増した」(『ハフィントン・ポスト』紙)

 

 

アメリカ国民の健康悪化は、それだけではない。アレルギー患者の救急外来も、一九九七年から二〇〇二年にかけて、わずか五年間で二倍増の勢い。食品アレルギーが急増しているのだ。

 

 

健康異常は、とりわけ子どもたちを襲っている。ぜんそく、自閉症、肥満、糖尿病、消化器障害、小児ガンも急増している。これが、アメリカ中に遺伝子組み換え食品が蔓延した冷酷な結果である。

 

 

因果関係は、もはや疑う余地もないだろう。疑念を抱く向きは、本書の冒頭に掲げたマウスの巨大腫瘍の写真を、ふたたび凝視することをおすすめする。

 

 

いったいなぜ、このような有毒食品がアメリカ中に蔓延したのか?

 

 

その理由は、アメリカ政府が認可したからだ。

 

 

では、なぜ政治家や行政官は、そのような愚策に決定を下したのか?そこには、恐るべき官民の癒着があった。

 

 

遺伝子組み換え食品によって健康被害が出ているのに、それが野放しになっているのです。

 

 

何故、それが可能なのか、続きをどうぞ。

 

 

 

“回転ドア人事”で政府も骨抜きに

 

 

モンサント社は、“元従業員”を政府機関に送り込んでいたのだ。いわば秘密工作員、つまりスパイである。

 

 

彼らの多くは、アメリカ政府の主要ポストに収まる。その任務が、モンサント社など、バイオ化学業界を監督することとは!

 

 

わかりやすく日本でたとえるなら、暴力団の幹部が、警察の「暴力団対策本部」を牛耳るようなものだ。

 

 

それと同時に、モンサント社はアメリカ政府の省庁出身者を超高給で雇い入れている。これが、悪名高い“回転ドア人事”である。官から民へ、民から官へ―支配エリートたちは、自由に行き来できる。こうなると、官民の癒着などという生やさしいものではない。

 

 

アイク氏もこう指摘する。

 

 

「ビッグ・バイオテックが法律をつくり、みずからの企業活動を管理・規制する動きを牽制している」

 

 

決して憶測でものを言っているわけではない。

 

 

事実遺伝子組み換え食品の安全性をチェックし、規制を行なわなくてはいけない部会に、モンサント者の“工作員”たちが多数忍び込んでいるのだ。

 

 

たとえば、リンダ・J・フィッシャーという人物は、モンサント社の政府・広報担当副社長だ。この重役が堂々と、モンサント社を規制するはずの政府機関のイスに収まっている。しかも彼女は、かつてEPA(米国環境保護丁)の職員でもあった。“回転ドア”を行ったり来たりして、出世している!

 

 

また、マイケル・A・フリードマンという人物は、モンサント者の医薬部門であるサール社の上席副社長だ。やはり、政府機関であるFDA(米食品医薬品局)に勤務していた。

 

 

まさに“回転ドア人事”のなせる業。

 

 

こうして“かれら”は、アメリカ政府を丸ごと支配していったのである。

 

 

良識ある識者たちは、次のように嘆く。

 

 

「FDAはクローン牛に安全宣言を出し、販売を許可した。しかも、表示義務すらない」

 

 

「アメリカのスーパーマーケットで売られている食品の九〇%以上に、遺伝子組み換えコーン、遺伝子組み換え大豆が含まれている。なのに 、その表示は居だ企業に阻止された」

 

 

「この現状を批判すると、違法行為で処罰されかねない」

 

 

早く言えば、米国、英国両政府は、“回転ドア人事”によって、とっくの昔に乗っ取られている。その事実に気づかないかぎり、ことの恐るべき本質は見えてこない。

 

 

さらに巨大資本は、魔法の“回転ドア”を通じて、あらゆる国々の政府をも篭絡支配してきた。もちろん、その支配による戦慄の腐敗・堕落は、わが国も例外ではない。

 

 

(62p~65p)

 

 

こんな事が可能なら、他のどの分野で似たような事があっても不思議ではないと思いました。

 

 

これはアメリカの話ですが、「遺伝子組み換え食品」を大量に輸入している日本も同じ穴のムジナです。

 

 

これを読んでからは、権威のある期間に「安全性は保障されている」と言われても、信用できなくなりました。

 

 

 

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性善説

 

 

私も以前は、政府も企業も「消費者の健康を考えている」と思っていました。

 

 

そして、「体に悪いものが流通しないように、国がきちんと対策している、だから、その目を掻い潜って悪い事をできるはずがない。そんな企業があれば世間から袋叩きに合う」と大真面目に思っていました。

 

 

 

 

政府が管理していれば、

 

法律がきちんとしていれば、

 

世間の目が厳しければ、

 

大企業ならば、

 

専門家が大丈夫と言えば、

 

 

 

・・・全て前提が間違っていました。

 

 

 

性善説で判断していたので、「これらが機能している限り、変な商品は流通しない」と思っていたのです。

 

 

そして、中国の粗悪な食品を見て、「日本は良い」と思っていました。

 

 

 

 

 

本当に、頭の中がお花畑でした。

 

 

堂々としたインチキには気が付かないものです。

 

 

 

多くの人が「危険な食品」に対して、「危険なはずないでしょ」と肯定派を支持してしまうのは、過去の私と同じように、日本の品質を信じていて、「儲けの為に消費者の健康を疎かにするような、そこまでの悪人は企業にはいないだろう」と思っているからだろうと思います。

 

 

 

だから食品の中に体に悪い物質が入っていても、「その害は少しで、たいした害ではない」と思ってしまうのです。

 

 

 

前提が「国や起業は、国民の健康を考えてくれている」だからです。

 

 

 

だから、気付いた誰かが、散々「毒だ、害だ、」と危険性を訴えても、裏事情に一切関心のない人は、「悪い事しない」と思っているので、

 

 

 

「そんな物を売るはずがない」

 

 

「害があると言っても、そこまで大騒ぎするレベルじゃない」

 

 

「そんなものが食品に含まれているの?」

 

 

 

 

認識はこの程度です。

 

 

もうお分かりだと思いますが、このような視点、前提でいる限り、どんなに「医療」や「栄養」について学んでも、決して正しい情報に辿り着けません。どちらの説が正しいかを正確に判断する事は出来ません。

 

 

これは「遺伝子組み換え食品」だけでなく、「食品添加物」、あらゆる健康情報について考える時にも言える事です。

 

 

前提を変えなければ、社会問題に注目しなければ、本当の問題は見えてこないのです。

 

 

この部分を見ずに、専門家の意見だけを真に受けていれば、意見が対立している時、混乱します。

 

 

真面目な人ほど、否定派、肯定派の説明を真に受け、どっちが正しいのか分からなくさせられてしまいます。

 

 

 

 

学問より大切な事

 

 

「正しい健康情報」を得ようと思ったら、「医療」や「栄養」について調べるのも大切ですが、まずそれを取り巻く「人」や「社会」といった裏事情を分析するのが先です。

 

 

そして、これは「医療」や「栄養」に限らず、あらゆる学問に言える事です。

 

 

この視点がない人は騙されますし、そういう人達と議論しても、社会構造が把握できていないので話になりません。

 

 

例え話ですが・・・

 

 

 

人間が「水槽の外から見る世界」と、魚が「水槽の中から見る世界」は見えている世界が違います。同じ水槽についての認識がまるで違うのです。

 

 

 

魚は、「水槽だ」という自覚がないので、何故上から餌が降ってくるか、何故水質が悪化したり、綺麗になったりするのか把握できません。

 

 

水槽の中に住んでいる体験者としては詳しいのですが、外から中を見ないので、その水槽を取り巻く環境や、構造が理解できないのです。

 

 

しかし、水槽を管理している人間は、餌のタイミングも、水槽を洗うのも全て飼っている人間の都合で行なわれていることを知っています。さじ加減一つで、水を汚すことも、綺麗にすることもできます。

 

 

水槽の中にいる魚と、水槽の外にいる人では、同じ「水槽の水質」を語らせても、世界が全く違うのです。

 

 

魚に対して、飼っている人が、人間の都合を話しても通じないように、

 

 

「医療や栄養の世界だけで物事を考える人」に対して、「医療や栄養をはじめとした学問も、社会構造の上に成り立っている・・・と捕らえている人」が話をしても、残念ながら通じません。

 

 

 

社会構造が腐敗していれば、そこから成り立つものも影響を受けます。

 

 

その視点がないと、誰かの都合で真実が捻じ曲げられていても、「そんなことあるわけない」の一言で終わるのです。

 

 

しかし、「学問そのものの情報」、「社会構造を理解する事、どちらか一方が大事なのではなく、どちらの視点も必要です。

 

 

私はそれぞれの専門家の方々に、水槽の外から水槽を把握出来る人になってもらいたいと思っています。

 

 

 

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権威側の主張が正しいのか?

 

 

「社会構造が理解できていない人」と、「理解できている人」の視点は違う・・・というお話をしました。

 

 

ここまで読んで下さった方は後者だと思います。

 

 

一度この視点を手に入れると、「社会構造を無視した話の展開」に違和感を感じるようになります。

 

 

一例です

 

 

『Business Journal 「食品添加物は危険」ブームのまやかし 毒性を示す明確なデータなし』より引用

 

 

安全性は十分に保証されている

 

 

世界中の研究機関が何千、何万という安全評価を行い、膨大な実験の結果から認められた食品添加物には、一日摂取許容量(ADI)という生涯にわたり毎日摂取しても影響が出ないと考えられる分量が定められています。

 

 

このADIの信頼性は、国際連合食糧農業機関(FAO)および世界保健機関(WHO)が合同で設けた機関であるFAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)が保証しています。

 

 

多くのエリート科学者が膨大な実験をして、さらにそれを上回るスーパーエリートが何百人も頭脳を突き合わせて検証し、メリットとデメリットを天秤にかけて最適な分量を決めているのです。もちろん、認可を受けられないものもたくさんあります。

 

 

しかし、この評価自体を否定する人がいます。世界屈指のエリートたちの実験結果と聞いただけで、うさんくさい感じがするのもわかります。しかし、「発がん性がある」「食べると危険」と言う人は、それ以上に権威がある人なのか、そうでなければ世界中の研究者を納得させられるほどの根拠を示すべきです。

 

 

また、「大企業が強大な資本力によって科学者をコントロールし、安全だという実験結果を捏造させている」と主張する人もいるでしょう。100%ないとは言い切れませんが、常識的に考えて、たった1つの食品添加物を認可してもらうために、世界中の科学者に賄賂を渡して結果を捏造させるよりも、別の毒性の低い化合物を開発するほうが安く簡単なはずです。

 

 

 

これは「食品添加物」の話ですが、「遺伝子組み換え食品」の話と分析の仕方は同じです。

 

 

「社会構造が頭に入っている人の意見か」どうかに目を向けるのです。

 

 

 

どんな分野であれ、権威が「安全だ」と主張する場合は、以下のような事を言います。

 

 

 

 

 

 

  • 危険だという人の主張は、不安を煽っているだけで、科学的根拠がないから鵜呑みにしない方がいい

 

  • 安全性を主張している側の方が、科学的な根拠があるから正しいのだ

 

 

 

 

このように言われた時、もし「栄養」や「医療」の知識しかなければ、「そうか、なるほど」と、言いくるめられてしまします。

 

 

 

私も昔は、一旦は否定派の「危険だ」という意見を信じても、再び「科学的根拠を持つ肯定派の主張」を信じ直していたのでよくわかります。

 

 

 

「正統な」「権威」・・・といった「社会的に立場が上の人」は、ちゃんとしていると思っていたからです。

 

 

まさか、堂々と適当な事は言わないだろうと思っていました。

 

 

 

このように、普通の人が権威の情報に触れると、「その道の権威が「大丈夫」と言っているんだから、そんなに危険じゃないんだな」と安心してしまいます。

 

 

安心する方がなので、こちらを信じる方を選ぶわけです。

 

 

権威が善なのか、悪なのか、そこまで踏み込んで真面目に考える人は、ほとんどいません。

 

 

 

性善説を無くした状態で、さらに細かく見ていきましょう。

 

 

>多くのエリート科学者が膨大な実験をして、さらにそれを上回るスーパーエリートが何百人も頭脳を突き合わせて検証し、メリットとデメリットを天秤にかけて最適な分量を決めているのです。

 

 

「スーパーエリートが善人である」という前提で話が展開されています。

 

 

 

「企業」が善か、そうじゃないか・・・その前提が違うだけで、見える景色は全く違いました。それと同じように、このスーパーエリートが善人かどうかによって、この後の話は空論になる可能性もあるのです。

 

 

勘違いしてはいけないのは、スーパーエリートというのは、「頭脳が優れている人」であって、「人格が優れている人」ではないということです。

 

 

ですが、多くの人は、「エリート」と聞いただけで思考停止になり、つい、「人格まで良いはずだ」と錯覚してしまうのです。

 

 

彼らが本気で人々のことを考え、世の為、人の為に研究をしようと考えている「善人」であれば、実験結果を信じることが出来ます。それに越したことはありません。

 

 

 

でも、「善人じゃなかったら?」そういう視点が大事なのです。

 

 

>しかし、「発がん性がある」「食べると危険」と言う人は、それ以上に権威がある人なのか、そうでなければ世界中の研究者を納得させられるほどの根拠を示すべきです。

 

 

これも同じですね。

 

 

「権威」、「世界中の研究者を納得させられるほどの根拠」とありますが、そもそも権威や、その世界中の研究者がまともな人達なのか、という視点が一切ありません。

 

 

「彼らは善である」という考えに依存した展開なのです。

 

 

 

 

>「大企業が強大な資本力によって科学者をコントロールし、安全だという実験結果を捏造させている」と主張する人もいるでしょう。100%ないとは言い切れませんが、常識的に考えて、たった1つの食品添加物を認可してもらうために、世界中の科学者に賄賂を渡して結果を捏造させるよりも、別の毒性の低い化合物を開発するほうが安く簡単なはずです。

 

 

「科学者をコントロールする」とか「実験結果を捏造させる」という買収系の話は、現実味がなく胡散臭く感じます。表現が曖昧で具体性に欠けるからです。

 

 

そんな言い方をすれば、漫画の話にしか聞こえません。

 

 

 

実際、ほとんどの人は、そんな事が起きるのは、映画や漫画の中だけだと思っています。

 

 

何故なら、そのような現場に遭遇しないからです。

 

 

 

遭遇しなくても、「理屈で物事が考えられる人」であれば、ある程度考えを膨らませる事が出来るのですが、「自分の体験だけで物事を測る人」にとっては、「自分の身の回りにない事、見えない事」は、全てありえない事なのです。

 

 

 

「漫画の世界だから」と、水槽の外には興味を持ちません。

 

 

 

人というのは、聞いた話を「自分を取り巻く環境」に変換しながら想像します。

 

 

 

だから、「自分の環境」で無理だと思った事は、「無理だろうな」「ありえない」と思うわけです。

 

 

 

これは、魚が「自分の住む水槽」の世界観だけで物事を判断するのと一緒です。一歩外に出て、水槽を取り巻く環境(人間の都合など)を知るだけで随分違うのですが。

 

 

 

で、「実際に、コントロールや捏造が出来るかどうか」についてですが、そのような根回しが可能かどうかは、「回転ドアの話」が証明しています。

 

 

 

現実に、「遺伝子組み換え食品は危険だ」という説と「危険じゃない」という説に割れています。このように、一つの事象に対して、意見が真っ二つに割れるのは、どちらかが真実を捻じ曲げようとしている可能性を考えに入れるべきです。

 

 

 

そして、コントロールの方法ですが、なにも世界中の科学者をコントロールする必要はありません。

 

 

権威のある科学者を味方につければ、その下っ端が反対意見を言っても、信憑性に欠けますし胡散臭く感じます。

 

 

議論を傍観している一般人は、「どちらが正しいか」検証をしませんし、権威を信じる人の方が多いのです。

 

 

 

(追記)その結果、どうなるかは以下をお読みください。

 

教育と洗脳は紙一重、確認をしなければどんな学問もただの信仰である

 

 

 

さらに、トップクラスをコントロールしてしまえば、その下っ端の科学者も簡単にコントロールできます。権威に従うのは、一般人に限った話ではありません。ほとんどの科学者も同じで、大多数の意見に流されます。

 

 

人間のこの特性を利用すれば、賄賂を渡さなくても、全体の流れを意図した方向に向けさせる事が可能です。

 

 

 

何故なら、賄賂や利権は、「お金」だけではないからです。

 

 

 

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しがらみ

 

 

どんな業界でも「常識と違う事を言う」というのは、下手をするとそれまで築いてきたものを失う程危険なのです。「変わった事」を言えば、白い目で見られるわけです。

 

 

別にこれは、珍しい話ではありません。国内でも国外でも、大人でも子供でも、普通に見られる光景です。日本人だけかと思っていましたが、そうではないようです。

 

 

 

 

立場を悪くしないために世間の流れに逆らわない、その業界での地位、存在を維持する・・・

 

 

 

これも立派な利権です。

 

 

 

お金を貰わなくても、自分の立場を危うくするような事をしない人は、どの世界にもいます。

 

 

むしろ、お金よりも、この縛りの方が強いわけです。異端児はいますが、少ないでしょう。

 

 

 

例えば、医者でも研究者でも、「自分の世話になった人」の唱える説と、間逆の説を主張出来る人が何人いるでしょう。

 

 

どんな業界もそうだと思いますが、医師や歯科医師も横の繋がりが凄いそうです。横のつながりが強ければ強いほど、そのコミュニティと違うことは言いづらくなります。

 

 

 

人間ですから。

 

 

 

出る杭になる人は、よっぽどの人です。

 

 

 

波風を立たせないで、同調し、自分の立場を守ることは、ある意味利益です。

 

 

 

しかし、賄賂や利権を「お金」と決め付けると、こういう事が見えなくなります。

 

 

『ジョージ・サエキのブログ エイズは存在しない。医者にダマされている。』より引用

 

 

医者という職業は医学部を卒業するとほぼ全員が医者として病院に勤務するか研究センターで働くことになります。(稀に医師国家試験に受からない人もいますが)

 

 

他の大学の学部はというと、法学部を出ても法律に携わる職業に全員が就いていません。むしろ法律に携わった仕事をしている方が少数派なのです。経済学部とか商学部を出ると色々な職業に就いております。理系の学部も学部で勉強したこととは別の分野の職業に就くことができます。鳩山由紀夫元首相・管直人元首相が理系出身の首相として有名ですよね。

 

 

ところが、医学部を出ると医者になりこの業界で一生を過ごすわけです。なぜ医者が医者として一生を過ごすかという理由ですが、医者になれば一生生活が安泰だからなのです。

 

 

厳密に言えば医者という職業でしか食っていくことが出来ないのです。医者の世界は医者を辞めると全てを失います。

 

 

大学時代の友人からも「あいつは医者を辞めた」ということでつまはじきにされてしまいます。彼らが求人で営業職や事務職等の募集に応募しても受かることは先ず無いと思います。ですから転職が非常に難しいのであります。

 

 

だから医者は一生医者なのです。

 

 

ですから、医学部に入学して最初は人助けの為だと思って頑張ってきたとしても現実の世界が抗がん剤治療や薬漬け治療で人間の健康を逆に害していることに気がついて良心の呵責にさいなまれても医者を辞めることができないのです。医者が医療業界の闇を暴いて世間に公表することはほとんどないのです。

 

 

全てを失いますから。

 

 

自分の人生を失うか、殺人医療で他人の命を奪うかの二者選択なのであります。

 

 

そうなると自分の人生を失うわけにはいきません。自分の人生を失うわけにはいかない人達が集まった集団が今の医療業界なのです。(中には善良な医師もいます)

 

 

若い医師が院長に向かって「この治療法は間違っています。患者が死ぬだけです!」とは間違っても言えないのです。そんなことでも言ったならば病院をクビになるどころかキチガイ扱いされてどこの病院も雇って貰えなくなるのです。

 

 

その筋の世界の『絶縁状』を貰うことと同じなのです。ですから医療業界は日本医師会を本家とする日本最強の組織なのです。

 

 

 

その結果、治らない治療法が採用されています。

 

【注意】癌の本質を理解していないと症状が悪化する治療法を選択します

 

 

 

これは医者の例ですが、別に医者に限った話ではないと思います。

 

 

どの世界でも異端児は歓迎されないでしょう。

 

 

 

熱い人は、流れに逆らうような事でも平気でしますが、頭の切れるエリート程そういうな事はしません。

 

 

エリート程です。

 

 

 

 

「一つの事象に対して意見が真っ二つに割れる」議論でつまづいた時は、一歩下がって、「人間社会の都合」について考える事をお勧めします。

 

 

一見、学問上の争いに見えて、実は学問とは関係のない争いかもしれません。

 

 

どちらが正しいのか迷ったら、この話を思い出して下さい。きっと、それまで混乱させられていたのがバカバカしくなると思います。

 

 

 

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