教育と洗脳は紙一重、確認をしなければどんな学問もただの信仰である

日本人は、神社仏閣には行くので、完璧な無宗教とは言えませんが、宗教アレルギーの人が多いです。

 

 

教祖に洗脳されて、思考停止になり、正常な判断を無くし、高額なお金を払う・・・そんなイメージがあるからでしょう。

 

 

でも、学問に対してそれと同じような状況になってしまっています。医学や栄養学に対し多くの人は、

 

 

 

権威、定説、に洗脳されて、思考停止になり、正常な判断を無くし、高額なお金と時間と健康を失っています。

 

 

 

「ブドウ糖は脳の唯一のエネルギー」と権威や定説が言えば、「ケトン体も使える」と無名な誰かが論証つきで述べても、多くの人は耳を傾けようとしません。

 

 

 

権威や定説を信仰しているからです。

 

 

本人は学問の意見に従っているので「頭を使っている」つもりですが、完全に思考停止です。検証もしません。

 

 

 

こう言うと「学問は宗教ではない」と反発されるかもしれません。

 

 

でも、取り組む姿勢によっては、洗脳と信仰になる危険性がです。しかも、表向きは宗教ではなく、あくまで「学問」です。そのため、洗脳されているにも関わらず、本人は考えているつもりなので、洗脳されていることに全く気が付きません。

 

 

そうなってしまったら、学問は宗教と変わりません。しかも、本人が「考えている」つもりになっている分、洗脳の完成度は高いと思います。

 

 

 

「権威が言うなら大丈夫だろ」と、「教祖が言うなら大丈夫だろ」の、何が違うのでしょうか。

 

 

「論文に書いてあるから正しいだろ」と、「教典に書いてあるから正しいだろ」の、何が違うのでしょうか。

 

 

「学問の場合はきちんと検証して発表されている」と思う人もいるかもしれませんが、もしそれがデタラメならどうしますか。それは「権威や論文が善意の元に存在している」という考えに依存しています。

 

 

思い込んで、真実かどうか確認しないのはよくありません。

 

 

何故こんな話をするのかというと、正統派の意見を盲目的に信じる人があまりにも多いからです。

 

 

そんな私は、学問というものを信じていません。

 

 

もちろん、最初からそうだったわけではありません。今でこそこんな事を書いていますが、ほんの数年前まで、

 

 

日本は平和な国だし、世間の厳しい目があるから発展途上国のような不正もない、さらに、学問、研究は真面目に行なわれ、本当に優れた人に権威のある賞が与えられている

 

 

・・・と本気で思っていました。

 

 

もし、このブログを5年前に書いていたなら、このような記事は書かなかったでしょうし、これまでの記事も全く違った意見になっていたと思います。

 

 

でも今は、学問も、その土台である社会全体も、見え方が昔とはまるで違います。一番の違いは「性善説で物事を見るのを止めたこと」です。

 

 

 

以前は、この理論は、誰かが真面目に導きだしたものだから間違いないだろうと思っていましたが、

 

 

今は、学問には嘘が多いので、誰かが捏造した理論を勉強している可能性があると常に思っています。

 

 

 

でも、健康について記事を書いていると、体の中で起こる反応について説明する時は、教科書に書いてあるような話もしなければならない時があります。すると、どうしても医学、栄養学…と、学問の世界に足を踏み入れることになります。

 

 

正直言うと、自分で体験したこと、確認できること、辻褄が合う事は堂々と書いていますが、自分が確認できない、目に見えない世界について説明する時は疑って書いています。これまでも嘘が多かったので、また同じような事があっても不思議ではないと思うからです。

 

 

 

今後、専門的な説明をする事があれば、今回の話を思い出していただければと思います。私は学問に対して半信半疑です。

 

 

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