続編は必要なのか。セル画時代のドラゴンボールと超を比べた感想

今回の記事は、リメイクものとか、続編ものとか、ドラゴンボール超が好きな人にとっては不愉快な話しかもしれません。今までこの作品を見てこなかったのですが、たまたま見る機会があったので、その感想を書きます。

 

何故ドラゴンボールなのかというと、元々ドラゴンボールが好きだったんです。子供の時の話ですが。なので、昔と今を比較しながらドラゴンボールの続編について思う事を語っていきます。趣味ですので、超主観で書きます。

 

私が学生の頃は、凄いアニメブームで色んな作品が溢れていました。他の作品も見ていましたが、ドラゴンボールだけは別格でした。そして、「ドラゴンボールGT」が終わった時から、アニメ自体も見る事がなくなりました。

 

その後、アニメ業界もデジタル化し、セル画が消えました。

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セル画時代のドラゴンボール

 

「セル画に馴染みのない世代の人」からすると、セル画は綺麗じゃないそうですが、私は逆にセル画のあの艶っぽさが好きです。今のパソコンで塗られた絵は、確かに動きも滑らかで綺麗なのですが、セル画の時のような味がありません。綺麗だけど、全体的にのっぺりとしていて、どんなに綺麗な絵でも絵に生命感を感じないんです。

 

例えるなら、

 

電話の音声ガイダンスって、美しい日本語ですよね。イントネーションが完璧で、発声の訓練もする、いわば「声のプロ」が吹き込んだ美しい声です。美しいんだけど、なんか単調でつまらない。味がない。・・・デジタルの絵ってそんな感じです。

 

テレフォンオペレーターって、「声のプロ」ではなく、「トークのプロ」です。私も経験がありますが、イントネーションを治したり、発声の訓練もなしです。音声ガイダンスのような美しい日本語ではありません。しかし、オペレーターの場合は、あえて美しい日本語をしゃべろうとするよりも、普通にしゃべった方が、相手もよく聞いてくれるんです。味があるんです。・・・アナログのアニメはこれに近いです。

 

デジタルも良いですが、とくに芸術の分野ではアナログが好きです。セル画以外のイラストでも、パソコンで付けられた色よりも、手塗の絵が良いです。

 

「セル画は綺麗じゃない」と思われるかもしれませんが、デジタルに移行する前、特に1990年代後半のアニメの作画はメチャクチャ質が高かったです。キャラクターデザインを担当した人が、作画監督を務める回の絵は、特に美しかったと思います。

 

デジタルの操作で塗ったのはなく、セル画であの質を出すのがすごいんです。セル画にアニメカラーを塗るのって、技術がないとムラになったりして、結構難しいのです。

 

劇場版など、あの小さいセル画に描かれた絵が、巨大なスクリーンに拡張されて映し出されるわけです。

 

絵と言うのは、縮小したり、遠目で見たりすると、元の絵より美しく見えるものです。
逆に拡大したり、近くで見たりすると、元の絵には見えなかったようなアラが目立ちます。

 

ですが、それでも、劇場版の絵は美しかったんですね。

 

私の好きなドラゴンボールも例外ではなく、やはり、当時の作画レベルは相当なものでした。ドラゴンボールと言えば、原作者である鳥山明氏の作画が主に評価されますが、私は、氏の画風を崩さずアニメに再現した当時のアニメーターもかなり評価しています。

 

昔は原作漫画をアニメ化した時に、「原作の絵と全然違う」って事が結構ありました。「原作が好きだけどアニメ化は嫌い」という人がいて、理由は「声が嫌いだから」というのと、「絵が違う」というものが多かったです。特に少女漫画のアニメ版は全然違う絵になる事が多かったです。

 

そういう点でも、ドラゴンボールのアニメは、質が高いと言えます。

 

通常のTVは、作画監督によって画質のバラつきがあるので、上手い下手、好き嫌いもありましたが、劇場版は一貫して美しかったです。

 

もちろん、絵だけではなく、物語も好きです。

 

私が初めて一人で見に行った映画が、「ドラゴンボール~最強への道~」でした。旧作のドラゴンボールの、最後の映画です。

 

この作品が劇場で見た最後のドラゴンボールの映画だと思っていたので、十数年後に、新作の劇場版が公開された時は最高でした。まさか、この歳になって、ドラゴンボールを劇場で見られるとは思っていませんでしたから。

 

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ドラゴンボールの劇場版を見た感想

 

「神と神」は2回見に行きました。

 

で、その次に公開された「復活のF」も当然見に行きました。

 

これも、前回と同じように、最初は2回見るつもりだったんです。

 

一回は2D、二回目は3Dと。

 

でも結局一回しか見ませんでした。

 

「もう一度見たい」という気持ちになりませんでした。

 

作者が関わっているという情報を得ていたので、凄く期待していたのです。しかし、映画を見たところ、旧作の設定を壊すような部分が目につきました。

 

旧作では戦闘力の低い亀仙人が、やたらと強くなっていて、倒せるはずのない敵を倒したり、
悟空がつまらない攻撃に倒れたり、
ベジータの性格が違う、

 

明らかに私の知っているドラゴンボールの世界ではありませんでした。

 

ストーリーがつまらないのなら許せます。しかし、世界観やキャラクター設定が変わるのは許せないわけです。

 

連載期間の長い作品ですから、作者も忘れるのか、旧作の中にも、過去の設定とズレた部分はありました。コミックスの始めの方では、巻末に「読者の質問に答えるコーナー」があったのですが、そこで、読者に矛盾点をつかれて作者が謝っている事もありました。

 

なので、少々のことは慣れっこなのです。

 

しかしながら、「復活のF」の設定は、目に余るものがありました。前作はもう一度見れるという感動が上回って、ベジータが「ベジータとは思えないセリフ」を吐いても、まあ許せました。

 

しかし、キャラクターのパワーバランスが変わっているのだけは許せなかったのです。ドラゴンボールだけど、ドラゴンボールじゃない感じがしました。

 

そういう事があって、その後「ドラゴンボール超」が放送されているのは知っていたのですが、「復活のF」の事があって、見る気がなかったのです。

 

しかし、最近になってyoutubeのオススメ動画に、やたらとこのドラゴンボール超が上がってくるんです。

 

最初は無視していたんですが、何回も勧めてくるので、試しに一回だけ見ました。

 

「超のこれまでのストーリー展開」を全く知らない状態で、オススメにあがってきた話を見た感想ですが、話自体は悪くなく、結構引き込まれました。後半を過ぎるまで見入ってしまったので、ストーリー自体は面白いんじゃないかなと思いました。

 

だけど、だけど、総合的な感想を述べると、作品としては良いと思う。だけど

 

 

ドラゴンボール・・・ではない。

 

申し訳ないですが。

 

絵もドラゴンボールだし、声優陣も同じ、しかしドラゴンボールを見ている気がしなかった。上手く言えないですが、何かが違う。別の作品のようでした。

 

何故そう思ったのかというと、一つは作画です。

 

見え隠れする流行の描き方

 

ネットを調べると、作画崩壊と色々書かれてありましたが、ここでは上手い下手はひとまず置いておきます。

 

問題は、「過去のドラゴンボールらしい作画」が踏襲されていない事です。

 

パッと見、当時のアニメと似ている部分もありますが、よく見ると、明らかに昔の作画に比べてキャラクターの線が弱い気がします。旧作の作画は、筋肉の線が丁寧に書き込まれていて、体の細いキャラでも体がガッチリとしていたため、強そうだった。子供の孫悟販を、強そうに見せるだけの画力があった。

 

また、旧作は、服のシワもしっかり描かれていたので、それもメリハリがあってよかったです。

 

メリハリのないのっぺりした作画は、最近の流行なのでしょう。ドラゴンボールも、間違いなくその影響を受けていると言えます。

 

ドラゴンボールはバトル漫画なので、キャラの体つきは、強さに説得力をもたせるうえで非常に重要なポイントです。最近の流行の描き方かもしれないけど、旧作を引き継ぐのだから、違和感をもたせない為にこの部分は踏襲するべきだったと思います。

 

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物語は生き物

 

作品としては面白くても「ドラゴンボールではない」と感じたもう一つの理由ですが、「終わった物語を甦らせる事」に対する違和感です。いくら良い物語でも、復活させると不具合がでます。

 

これはなにもドラゴンボールに限った話ではありません。あらゆるリメイク作品や、続編に対して昔から感じていたことです。

 

私の歳で「昔は良かった」などと言うと、若者に笑われるでしょうが、別に「昔だから良い」とか、「今だから良い」とか、そういう事を言っているわけではありません。

 

私は元々、物語において「リメイク」とか、「予定になかった続編を創る」というのが好きではありません。

 

「私が続編ものをどうしても好きになれない理由」ですが、今回ドラゴンボールの続編「ドラゴンボール超」を見てわかりました。

 

好きになれないのは、続編だけど、続編じゃない気がするからです。

 

いくら続編として話を創っても、「終わった作品」と「新しく作った作品」は、どこか切れています。「一旦終わってしまった物語」は、そこで命が終わるからだと思います。

 

物語は人が創ったものですが、生き物みたいでもあります。

 

作者が一度、終わりだと決断して幕を閉じてしまったら、後でどんなに姿形をそっくりに再現しても、それは別物になる・・・続編だけど「別の作品のように感じる」とは、そういう意味です。

 

 

「再開することを念頭に置いて、いずれ続けるつもりで休憩するように幕を閉じた物語」に関してはこの限りではありません。作品の命は終わっていません。しかし、ハッキリと終了してしまうと、生き物の生涯が閉じるように終わります。

 

なんというか、THE ENDとなった作品の続編を創るというのは、無理矢理生き返らせたり、誰かのDNAを利用してクローンを誕生させるようなものです。

 

甦らせたのが、原作者でもです。

 

一度終わったものを生き返らせると不都合が生じるだろうし、DNAを利用して姿形が全く同じものを生み出せても、それは、元になった生き物とは全く別の存在です。

 

「前の生き物」の人生が再開されるわけではありません。

 

「姿形が同じ違う生き物」の違う人生がスタートするだけです。

 

二つの間は完全に独立していて、切れています。

 

オリジナルの人生ではないクローンの人生

 

少し前に、愛犬のDNAを保存しておいて、「そっくりの愛犬」をもう一度造って喜ぶ飼い主をテレビで見ました。私はそれを見て、「それは違う犬だよ」と思いました。「元の犬」と「コピーした犬」は全く別の人生なわけです。

 

これは犬だからわかりにくいかもしれませんが、人に置き換えてみればわかりやすいと思います。

 

例えば

 

もし私が、大好きな祖父のDNAを使って、祖父と同じ人を造ったところで、それはもう「私を可愛がってくれた祖父」ではありません。完全に別の人間です。別の人の人生が始まるだけです。それでも嬉しいと感じる人はいるかもしれませんが、私はこいうのは好きではありません。

 

ハッキリ言って、血が繋がっているともいえません。

 

このように人に置き換えて考えると、どんなにそっくりにコピーできたところで、全く違う存在でしかないという事がわかります。

 

私は「物語は生きている」と思っているので、一旦終わった物語を甦らせても、私の中で最初の物語は終わったままです。元の作品が甦ったわけではないので、旧作と新作が完全に切れているわけです。

 

従って、どんなにストーリーが良くても、旧作のスタッフを起用しても、違和感が消えないわけです。

 

「ドラゴンボール超」を見ても、「旧作のドラゴンボール」から続いているように感じないのは、このためだと思います。

 

脳が違っても別物

 

この「物語が切れるような感覚」ですが、「原作者が物語を終えたケース」以外にも感じることがあります。

 

原作者がストーリーを終わらせず、他の人に託した場合にも、違う作品になったような違和感が生まれます(面白い面白くないは抜きです)。人間で言えば脳が変わるのと一緒なので、これも違う物語のように感じます。

 

「最初からチームで創った物語」は違うかもしれませんが、「一人の作者が創った物語」というのは、その作者の手を離れたら、どんなに似たような物語でもどこか違う作品になります。

 

物語というのは、作者が創ったものでありながら、生き物でもあり、命があり、唯一無二の存在です。

 

 

思い返せば、「原作に基づいたドラゴンボールZ」から、「原作者の手を離れたドラゴンボールGT」に変わった時も同じような違和感がありました。

 

当時、「フリーザ偏で止めておけばよかった」「続けたとしてもセル偏までだった」と言う友達がほとんどな中、私は好きな作品が終了することの方が嫌で、「とにかくドラゴンボールが続けば良い」と思っていました。だからGTが創られると知った時は嬉しかったです。ドラゴンボールは終わらないと思ったからです。

 

 

でも、見ているうちに、だんだん本当の続きじゃないような気がしてきたのです。

 

「ドラゴンボールでも、なんか違うな」と感じたのを覚えています。それまでは、毎週欠かさず見て、ビデオに録っていましたが、途中から録画するだけで見なくなったんです。当時、再放送のドラゴンボールは見ていましたが、GTは見たいと思いませんでした。

 

両者を見比べると、繋がっている物語だとは思えなかったのです。

 

「ドラゴンボールは、どんなに他の人が話を続けても、原作者が切った時点で終了だったんだな」と思いました。なので、GTが終了した時はそんなにさみしくありませんでした。

 

ドラゴンボールはアニメが原作に追いつかないように、時々「アニメオリジナルのストーリー」が加わっていました。その程度なら、原作の雰囲気を壊さないので「ドラゴンボールの中の話」として自然に受け入れられていました。中には、原作を引き立てる良い話もありました。

 

例えば、バーダックの話など、原作にはありませんが、「よくぞ創ってくれた」と言いたくなるような、「原作と一体」になったような素晴らしい物語です。

 

また、「劇場版のストーリー」も、原作とは関係ない話です。時に「原作とかみ合わない設定」が出てきたりもしましたが、それでもドラゴンボールという同じ作品として見れました。「最強への道」なんて原作のストーリーと全然違います。

 

原作にない部分や、違った部分があっても「同じ作品」として捕らえられたのは、やはりドラゴンボールの物語自体が終了していない中で展開された物語だったからだと思います。

 

 

ずっと前に、「ドラえもんの作者が亡くなってからの映画は何か違う」と、友達と話した事があります。ストーリーが面白いとか面白くないとかではなくて、何かが違う。

 

作者が生きている時も、原作者が作ってない「のび太のパラレル西遊記」という物語が創られました。

 

しかし、同じオリジナルでも、「作者が亡くなった後に創られたオリジナルの物語」と、「作者が生きていた時に創られたオリジナルの物語」では、やはり、何か違う。

 

物語を「作品」として物の様にとらえるか、生き物の様にとらえるかで、感想も分かれると思いますが、私は後者ですので、どんな面白いストーリーだったとしても、続編やリメイクに対しては違和感を感じると思います。

 

リメイクや続編に対して思う事

 

街中を歩いていても、ドラゴンボールのパッケージのお菓子だったり、セーラームーンのガチャだったり、私が子供の時に親しんだ作品が使われている商品を見かけることが多いです。

 

リメイク作品は昔もありましたが、今のような勢いはなかったと思います。

 

ドラゴンボール超を見ても思うのですが、「続きが気になるような面白い物語」を生み出せるのですから、別に無理して「過去作品の続編」を創らなくても、新しい作品を創れるのではないでしょうか。ドラゴンボールを見ている気にはなれませんでしたが、物語としては、別に悪くないわけです。

 

せっかくの才能ですから、続編ではなく、現代の作り手による、今の時代に合った、新しい作品を作ったらいいと、私なんかは思うわけです。

 

 
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